伊能忠敬と四人の妻 その8

 四度目の新婚生活もそこそこに、忠敬
は測量のために、長期間に渡り江戸を留
守にします。

 55歳の時には、東北地方へ180日間。
 56歳の時にも、東北地方へ230日間。

 江戸へ戻れば、資料の整理と地図の作
成に、膨大な時間を割かなければなりま
せん。
 このような日々が続けば、いくら地図
に興味を持つエイ(四番目の妻)としても、
付いていけなくなったのではないでしょ
うか。
 エイは、消息不明となります。
            <つづく>

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  伊能忠敬と四人の妻 その6

  伊能忠敬と四人の妻 その5

  伊能忠敬と四人の妻 その4

  伊能忠敬と四人の妻 その3

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1

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     前回の問題 解答
 七夕を「たなばた」と読むのは、中国や
朝鮮半島から導入された「布地を織る道
具=タナバタ」に由来します。

      今日の問題 
 1807年七月十一日(8月21日)、間宮林
蔵は何を確認したでしょう。
    

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