「皐月十七日(太陰太陽暦・太陽暦で1641年6月22日)、オランダ商館が長崎の出島に移され、その後鎖国が続いた」と、されています。
ただし、「鎖国」の法的根拠となる『鎖国令』は、実在しません。
1645年には、『海外との往来や通商を禁ずる法令』が、出されます。
1635年には、『日本人の海外渡航や帰国を禁ずる法令』が、出されます。
このような個々の法令名を用いず、さも『鎖国令』なる法令があったかのように、『鎖国令』を使用するのは、いかがなものでしょう。
そもそも「鎖国」という表現は、エンゲルベルト・カンペル(オランダ商館付きの医師)が著した『廻国奇観』を、1801年に志筑忠雄が翻訳する際に初めて用いた訳語です。
それゆえ、1801年よりも前に、「鎖国」もなければ、『鎖国令』もありません。
ちなみに、江戸時代末期の大老・井伊直弼は、「閉洋の御法」と記しています。
< つづく >
皐月の歴史・水無月の歴史 その二
皐月の歴史・水無月の歴史 その一
いつから「日本」に その三
いつから「日本」に その二
いつから「日本」に その一
前回の問題 解答
「肝・心・脾・肺・腎」を五臓と呼ぶのに対し、「胆・小腸・胃・大腸・膀胱」は五腑と呼ばれます。
今日の問題
長崎の出島は、海を埋め立てて築いた島であることから、別名で何島と呼ばれていたでしょう。
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