秀吉の花見

 弥生十五日(今年は4月11日)、豊臣
秀吉は空前絶後の花見を挙行しました。

 醍醐寺に植えさせた桜の木は、700本。
 この日に合わせて、開花させました。
 花見の接待役をした女性達は何度も着
替えさせられ、その衣装代は合計で九億
円と推定されています。

 醍醐の花見が行われた六年前の弥生十
三日、秀吉は朝鮮半島に向けて進撃を
命令しました。朝鮮半島を手始めに、中国
全土をも支配下に置こうと。

 醍醐の花見は、六年にも及ぶ朝鮮侵略
の渦中に行われました。
 朝鮮の人々に多大な犠牲を強いながら。
 朝鮮、中国、そして日本の、何万もの将
兵が、戦闘や病や飢餓で命を落とし続ける
中で。

 朝鮮と中国を支配しようとする野望は、
秀吉が一人考えたわけではありません。
 毛利・長州藩や島津・薩摩藩など諸大名
も、領地拡張を狙って、朝鮮出兵に積極
的でした。

 朝鮮出兵に消極的だったのは、徳川家
康。
 醍醐の花見から程なくして亡くなった
秀吉の跡を継いで天下を取ったのは、朝
鮮へ出兵せず、余力を残していた家康で
した。

 家康以後、江戸時代には朝鮮とも中国
とも友好関係を保ち続けます。
 しかし、江戸幕府を倒した薩摩・長州
連合政権は、日清戦争を起こし、朝鮮半
島を日本に併合し、三百年来の野望を
成就させます。

hideyoshi hanami
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 発ガン性が指摘されている「臭素酸
カリウム」は、パンなどに用いられてい
ます。

  

        今日の問題 
 秀吉らが醍醐の花見を行っている時、
朝鮮半島にはどれほどの日本人将兵が
いたでしょう。

 

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