大阪城に続いて伏見城さらには聚楽第と、立て続けに造営した豊臣秀吉は、聚楽第完成祝いと九州平定祝いとを兼ねて、京都の北野において大茶会を企画します。
秀吉が開催してきた茶会は、天皇や公家・大名級の武将・大商人など、上層の極めて一部に対象が限定されていました。
秀吉は、それまでの茶会を一新させます。
参加者を一般民衆まで拡大した茶会を催すことで、自身の権勢を広く見せつけようとしたのでしょう。
「北野大茶会」は、「開かれた茶会」に加え、「十日間に渡る連日茶会」とされました。
さぞかし大勢の参加者が連日押し寄せるだろうとの目論見は、無惨にも外れます。
秀吉は、初日の参加者数から二日目以降の参加者数がさらに減少するは必至と予測し、「一日限定茶会」へ急変させます。
連戦戦勝と勝ち戦が続いてきた秀吉にとって、「北野大茶会」は大誤算でした。
茶の湯人気は止まる所を知らないと楽観視してきた利休も、覚醒させられました。
< つづく >

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人足寄場が開設されたのは、江戸時代三大改革の内、寛政の改革です。
今日の問題
「北野大茶会」は、正式には何と呼ばれているでしょう。
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