〈 どろぼう橋 〉川越紀行その8

 喜多院の森を抜けて南側へ下ると、小規模な堀が巡っています。
 その堀を跨いでいる、5mほどのコンクリート製の橋が、「どろぼう橋」です。

 昔々、現在のコンクリート橋が、丸太が一本架かっているだけの橋だったころ、ひとりのどろぼうが丸太橋を渡って喜多院へ逃げ込みました。
 当時の喜多院は、江戸幕府から朱印状を授かり、所領は安堵されていました。
 御朱印地へは、町方としても深追いできなかったのでしょう。
 なんとか逃げおおせたどろぼうは、寺内で犯した罪を自戒するに至ります。
 さらに斡旋された奉公先で、改心の一生を送ったということです。

 江戸時代、大罪を犯した者には、二つの刑がありました。
  死刑 命を絶つ
  追放刑 戸籍を絶つ

 戸籍から除外されれば、無宿者になって働き先が無く、犯罪を繰り返さざるを得なくなります。
 そこで、刑によって懲らしめた後は善に進ませる、「人足寄場」が開設されます。
 刑の執行が済んだ無宿者に対して、職業訓練、生活支度金の貯え、身元引受人の斡旋、戸籍への復帰・・・が行われていきました。

 「どろぼう橋」は、「人足寄場」など更正施設の役割を思い起こさせてくれます。
どろぼう橋

〈 喜多院と天海 〉川越紀行その7

〈 わらべ唄 ♬通りゃんせ♬ 発祥の地 〉
    川越紀行その6

〈 川越城・本丸御殿 〉川越紀行その5

〈 川越城・中ノ門堀跡 〉川越紀行その4

〈 菓子屋横丁 〉川越紀行その3

〈 鐘撞堂・時の鐘 〉川越紀行その2

〈 土蔵造りの町並 〉川越紀行その1

〈 三池カルタ歴史資料館 〉築紫紀行その3

〈 秩父そば 〉秩父紀行その八

〈 神戸中華街・南京町 〉西摂津紀行その8

 
 

     前回の問題 解答
 赤染衛門の次の歌の◯に入る漢字は、「与謝」と「橋立」です。
   思ふことなくてぞ見まし◯◯の海の
    天の◯◯みやこなりせば
       

 
 
     今日の問題  
 人足寄場が開設されたのは、江戸時代三大改革の内、何の改革でしょう。
           

 

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