喜多院の森を抜けて南側へ下ると、小規模な堀が巡っています。
その堀を跨いでいる、5mほどのコンクリート製の橋が、「どろぼう橋」です。
昔々、現在のコンクリート橋が、丸太が一本架かっているだけの橋だったころ、ひとりのどろぼうが丸太橋を渡って喜多院へ逃げ込みました。
当時の喜多院は、江戸幕府から朱印状を授かり、所領は安堵されていました。
御朱印地へは、町方としても深追いできなかったのでしょう。
なんとか逃げおおせたどろぼうは、寺内で犯した罪を自戒するに至ります。
さらに斡旋された奉公先で、改心の一生を送ったということです。
江戸時代、大罪を犯した者には、二つの刑がありました。
死刑 命を絶つ
追放刑 戸籍を絶つ
戸籍から除外されれば、無宿者になって働き先が無く、犯罪を繰り返さざるを得なくなります。
そこで、刑によって懲らしめた後は善に進ませる、「人足寄場」が開設されます。
刑の執行が済んだ無宿者に対して、職業訓練、生活支度金の貯え、身元引受人の斡旋、戸籍への復帰・・・が行われていきました。
「どろぼう橋」は、「人足寄場」など更正施設の役割を思い起こさせてくれます。

前回の問題 解答![]()
赤染衛門の次の歌の◯に入る漢字は、「与謝」と「橋立」です。
思ふことなくてぞ見まし◯◯の海の
天の◯◯みやこなりせば
今日の問題
人足寄場が開設されたのは、江戸時代三大改革の内、何の改革でしょう。
夢を実現する学習塾 開 進 学 園
ホームページ
