千利休と豊臣秀吉 その6

 関白になった豊臣秀吉は、関白への就任御礼として、御所内で茶会を催します。
 御所内での茶会は、前例がありません。

 正親町(おおぎまち)天皇へお茶を献じるのは、秀吉自身です。
 天皇および皇族さらに公家達に、自らの権威を目に焼き付かせる、一世一代の晴れ舞台です。

 傍らに控えていたのは、宗易です。
 宗易は、この日をもって、名を宗易改め利休と称することが許されます。
 利休にとっても、天下一の茶人と認められた、記念すべき茶会でした。

 禁裏茶会が催された直後に、大分から京都を訪れた大友宗麟が、書き残しています。
  「秀吉にものが言える人物は、利休以外にいない」

 利休にとって、この禁裏茶会が絶頂期だったかもしれません。      < つづく > 
茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
 乳幼児の死亡率が高かった江戸時代、「神のうち」とされたのは、七歳までのこどもです。
     

 
 
     今日の問題  
 秀吉は、禁裏茶会の後、何製の茶室を造らせたでしょう。
          

 

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