関白になった豊臣秀吉は、関白への就任御礼として、御所内で茶会を催します。
御所内での茶会は、前例がありません。
正親町(おおぎまち)天皇へお茶を献じるのは、秀吉自身です。
天皇および皇族さらに公家達に、自らの権威を目に焼き付かせる、一世一代の晴れ舞台です。
傍らに控えていたのは、宗易です。
宗易は、この日をもって、名を宗易改め利休と称することが許されます。
利休にとっても、天下一の茶人と認められた、記念すべき茶会でした。
禁裏茶会が催された直後に、大分から京都を訪れた大友宗麟が、書き残しています。
「秀吉にものが言える人物は、利休以外にいない」
利休にとって、この禁裏茶会が絶頂期だったかもしれません。 < つづく >

前回の問題 解答![]()
乳幼児の死亡率が高かった江戸時代、「神のうち」とされたのは、七歳までのこどもです。
今日の問題
秀吉は、禁裏茶会の後、何製の茶室を造らせたでしょう。
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