千利休と豊臣秀吉 その5

 豊臣秀吉は、本能寺の変が起きた翌年から、石山本願寺の跡地に、大阪城を築き始めます。
 高い石垣の上に聳え立つ六階建ての天守閣をはじめ、外観は要塞堅固にして、内観は豪華絢爛な造りです。

 幾多の建物が建ち並ぶ城郭の一画に、「山里丸」も造られました。
 茶の湯の数奇を追い求めた、広さ二畳の茶室です。

 秀吉は、織田信長譲りの名器収集を続けながら、千宗易(千利休の法名・「千利休」は後に与えられた居士号)の進言も取り入れて、「山里丸」を建てたのでした。

 巨大な大阪城と狭小な「山里丸」は、実に対称的です。
 秀吉としては、秀吉なりに、天下人としての居城と、一茶人としての茶室を、両立させたかったのでしょう。
 この時点においては。 < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
 「吾」を用いた、「他者も自己も区別せずに等しく見る」意味の四字熟語は、「視吾如人」です。
    

 
 
     今日の問題  
 秀吉は、何に就任した返礼として、御所で茶会を催したのでしょう。
         

 

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