山陰本線は、起点の京都駅から幾つもの盆地を抜けて、山陰海岸部へ進みます。
山陰海岸部は、国立公園に指定されているリアス式海岸の景勝地です。
ただし、鉄道を建設するに当たっては、非常に難しい区間でした。
とりわけ兵庫県最北端の余部(あまるべ)岬に抱かれた余部湾の奥になる余部地区の通過が、難関でした。
海岸部を離れて鉄道を通すには長大なトンネルを掘らねばならず、海岸部を通すには超巨大な盛土を築かなければなりません。
コンクリート橋の実績がなかった110余年前、残された選択は、鉄橋の建設でした。
当時日本で一番高かった余部鉄橋は観光地になり、冬場の松葉ガニも人気で、特別列車も運行されました。
1986年12月26日、〔お座敷列車・みやび〕は、運行が停止されるはずの強風の中、余部鉄橋に進入して、転覆・落下事故を起こします。
この事故を教訓に、橋脚を11基から4基へ減らし、アクリル防風壁も装備した、鉄筋コンクリート橋へ、建て替えられました。
2010年、98年間にも及ぶ余部鉄橋から、新余部橋梁へバトンタッチしています。

前回の問題 解答![]()
2025年8月6日、松井一実広島市長は、『平和宣言』の中で、核兵器を廃絶させる市民レベルの取り組みにおいて、心に留めるべきことを語っています。
「自分よりも他者の立場を重視する」
今日の問題
余部鉄橋や新余部橋梁の西側にあるのは、何駅でしょう。
