2025年8月5日夜の広島・平和公園周辺一帯は、車両の通行が止められ、物々しい警戒に包まれていました。
翌朝の広島・平和公園周辺一帯は、前日に増して、何重にも囲まれた、警備体制が敷かれています。
毎年のテレビ中継で目にする、平和公園の平和的な様相とは、まるで異なっています。
人間界の軋轢を横目に、平和公園の脇を流れる元安川は、静やかに広島湾へ下っています。
80年前、大勢の人々が、飲み水を求めて、元安川へ殺到したそうです。
一滴の飲み水を得られた人々も、一滴も飲み水を得られなかった人々も、次々と元安川に飲み込まれて行きます。
被爆者の方々が、阿鼻叫喚と化した広島の様相を語り継いで下さったおかげで、私達は原爆の現実から目を離さずにいられます。
もしそれらの伝承が立ち消えたら、広島は、高層ビルが林立するありふれた大都会の一つに過ぎなくなり、世界的平和都市の意義を失うことになりかねません。
2025年8月6日9時過ぎ、原爆ドーム前で、「中國新聞(広島の地域紙)の特報」が配られました。
そこには、小学生二名による「平和への誓い」が掲載されていました。
いつかはおとずれる、被爆者のいない世界。
同じ過ちを繰り返さないために、多くの人が事実を知る必要があります。
< 中略 >
私たちが、被爆者の方々の思いを語り継ぎ、一人一人の声を紡ぎながら、平和を創り上げていきます。

戦乱続くガザ『それでも、私は憎まない』
〈 人の世 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から
前回の問題 解答![]()
平安時代末期の1158年、大宰大弐に任命されても現地へ赴任しなかったのは、平清盛です。
今日の問題
2025年8月6日、松井一実広島市長は、「平和宣言」の中で、核兵器を廃絶させる市民レベルの取り組みにおいて、何を心に留めるべきと語っているでしょう。
