カテゴリー別アーカイブ: 大地の恵み

広大な農地が消失して住宅・商業地域へ 鷺沼市街化調整区域

 千葉市花見川区幕張本郷一丁目の西隣、習志野市鷺沼東部に位置する広大な農地が消失し、新たな市街地が造成されようとしています。

 長年の間、市街化調整区域として保護されてきた、広大な農地でした。
鷺沼 農地

 市街化調整区域の内、線路寄りで幕張本郷駅に近い一帯が、高層マンション予定地になっています。
 生い茂る雑草の丈は、区域の他に比べ、すでに高いようです。

鷺沼 荒れ地 電車

 わずかではありますが、まだまだ農作業は続けられています。
 整地された跡を見れば、いかに肥沃な土壌かが、分かります。

鷺沼 ビニール覆い 全体

 ビニールの中では、作物が懸命に生長しています。
 この地での最後を、有終の美で飾ろうと。

鷺沼 ビニール掛け 内部

 手入れされなくなって久しい一画には、可憐な花々が自生していました。
 大地の恵みに満ちあふれた、これまでの思い出に浸りながら。

鷺沼 花々

 能登半島からの手採りキノコ

 三年目のモモ一顆

 『牧野万葉植物図鑑』

 

 

      前回の問題 解答
 「舮作崎」は「へなしざき」、「艫作駅」は「へなしえき」です。
 

      今日の問題  
 鷺沼土地区画整理事業の計画面積は、何haでしょう。
       

 
 
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能登半島からの手採りキノコ

 先日、冷蔵と表書きされた発泡スチロールパックが届きました。
 蓋を開け、覆っているシダの葉を取り除くと、キノコがギッシリと詰まっています。
 発送元は能登半島です。

 今夏に能登半島を一周した際、とある食事処に入りました。
 そこで、ご主人と長話になりました。

 店を一時期休業して、海外で和食の反応を探ったこと。
 能登半島に戻ってから、地元の食材を料理の中心に据えたこと。
 中でも、能登半島産のキノコがいかにすばらしいかということ。
 秋になると、毎日のように、キノコを採りに山中を歩き回ること。

 「毎年大量に採れるから送りましょう」
 そう言われても、本当に送って下さるとは思ってもみませんでした。

 今回入っていたのは、主に次の三種だそうです。
  マツミミ(ハツタケ)
  シバタケ(アミタケ)
  ヌルヌル
 最後の「ヌルヌル」は、能登半島でもご主人が住む地域での呼び名で、一般名は不明とのことでした。
 
 天麩羅にしても、お吸い物にしても、湯豆腐にしても、極上の秋の風味でした。
 
手採りタケノコ シダ

手採りタケノコ 

 
 

      前回の問題 解答
 『津軽海峡・雪景色(作詞・阿久悠 作曲・三木たかし 唄・石川さゆり』で、竜飛岬(龍飛崎)は「北のはずれ」と歌われています。
 

      今日の問題  
 能登地方で、「コケ」「コケ採り」とは何のことでしょう。
       

 
 
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三年目のモモ一顆

 モモの苗木を家庭菜園の一隅に植えてから、三年が経ちました。
 その苗木が、小さな実を結びました。

 それを見つけてからというもの、枝からいつ落ちるかと、ハラハラドキドキの日々が続きます。
 特別の補強もせず、ただただ心配しただけですが、雨の日も、風の日も、何とか持ち耐えました。

 そして小さいながら、短径5cm・長径6cmの実へと育ちました。

 古来から、モモには様々な威力が秘められていると、伝承されています。
 例えば『古事記』には、次のような話が書かれています。

 イザナミノ命(亡妻)は、黄泉の国まで訪ねてきたイザナキノ命(夫)に、醜く化した姿を見られて逆襲します。
 イザナキノ命(夫)は、あの手この手を用い、何とか黄泉の国から現世へ抜ける坂まで辿り着きます。
 その坂に生えていたのが、モモの木でした。
 イザナキノ命(夫)は、モモの実をもぎ取り、黄泉の国の追手めがけて投げつけます。
 すると、黄泉の国の追手達は、蜘蛛の子を散らすように、退散していきました。
 危機を脱したイザナキノ命(夫)は、「現世で苦しんでいる際には、いつでもお助け下さい」と願いながら、モモの木に「意富加牟豆美命」と名付けました。

モモの実 

      梅雨入りと栗花落

 
 
 
      前回の問題 解答
 第二首の「三年」は、「みとせ」と読ませています。
 

      今日の問題 
 「意富加牟豆美命」は、何と読むでしょう。
      

 
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『牧野万葉植物図鑑』

 NHK連続テレビ小説『らんまん』で、一躍脚光を浴びている牧野富太郎は、日本における植物学の父とも呼ばれています。
 日本中を巡り、植物を、長時間見つめ続けては、精緻に写生していきます。
 そうして文章や図鑑にまとめた著作は、数十点にも及びます。

 94年の生涯をほぼ植物学の研究に捧げつつも、未完の出版構想がありました。
 資料として残されたのは、『万葉植物図』『万葉植物目録』『万葉植物図譜原稿』の三点です。

 この度、三点の資料を基に、牧野富太郎の意志を引き継いで完成された、大著『牧野万葉植物図鑑』を寄贈して頂きました。
 植物を、植物としてだけでなく、衣・食・住など生活全体と関わる物として捉えるのは、万葉人も、牧野富太郎も、同様だったのではないでしょうか。

牧野万葉植物図鑑

 
     梅雨入りと栗花落

     永井荷風と市川市菅野

 
 
 
      前回の問題 解答
 曲尺の丸目を用いて直径を測れば、円周の長さが即座に分かります。
 

      今日の問題 
 『牧野万葉植物図鑑』で取り上げている、五十音順最初の植物は、何でしょう。
   ◯◯◯さす紫野行き標野行き
    野守は見ずや君が袖振る
    

 
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梅雨入りと栗花落

 沖縄・奄美地方(5月18日)から始まり、関東地方(6月8日)を経て、東北地方(6月11日)までで、北海道を除く日本各地が梅雨入りしました。
 梅雨の時期に合わせて咲く花は、アジサイなどと並んでクリです。

 クリの花は、木全体を黄土色に染め上げています。
 穂を、四方八方へ突き出しています。

 この穂のような枝から突き出た部分は、雄花です。
 クリの木は、枝葉を除けば、雄花に覆われていると言っても、過言ではありません。

クリの花 枝全体

 フサフサした雄花群を掻き分けて枝の根元を見ると、可愛らしい花弁が佇んでいます。
 クリの雌花です。

 大量の雄花が散った後、雌花はドンドン成長します。
 そして、トゲトゲした毬の内部に実を付けます。

 クリは、梅雨入りとともに開花し、梅雨とともに落花します。
 こうした特性から、クリは、栗花落(つゆり・つゆ・ついり)とも呼ばれています。

クリの花 雌花

〈 鶴岡八幡宮 源氏池 〉鎌倉紀行 その四

タケノコの再生
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 ヨーロッパで「天国の種子」と呼ばれ、「30g=羊一頭」の価値があった香辛料は、コショウです。
 

      今日の問題 
 松尾芭蕉の次の俳句の「 」に入る語句は、何でしょう。
   世の人の 見付けぬ花や 軒の「 」
 

 
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〈 鶴岡八幡宮 源氏池 〉鎌倉紀行 その四

 鎌倉駅前から北北東へ延びる若宮大路を進み、三の鳥居を潜って右手に広がるのが源氏池です。
 源氏池は、鎌倉における代表的な桜の名所です。

 1180年、源頼朝は、伊豆での挙兵に失敗して安房・上総へ逃げ延びた後、鎌倉へ凱旋して大蔵御所(鎌倉幕府の庁舎)と鶴岡八幡宮を建立しています。
 平清盛亡き後形勢が衰える一方の平家を尻目に、1182年、源頼朝は、若宮大路と源氏池を造成します。

 源氏池は、平家追討を念じたものです。
 そのおかげかどうかはともかく、1185年、平家は関門海峡(壇の浦)にて藻屑と消えます。

 ところで、平家政権に代わった源氏政権≒鎌倉幕府がいつ成立したかについては、諸説紛々としています。
 ➊ 1180年 源頼朝が南関東を支配 ∔ 侍所を設置
 ➋ 1183年 源頼朝が東日本を支配
 ➌ 1184年 公文所と問注所を設置
 ➍ 1185年 守護と地頭の任命権 ∔ 源頼朝が全国を支配
 ➎ 1190年 源頼朝が右近衛大将に
 ➏ 1192年 源頼朝が征夷大将軍に

 ➏の1192年(いいくに)説は、旗色が悪くなっているようです。
鎌倉 源氏池

〈 千紫万紅の長谷寺 〉鎌倉紀行 その三

〈 鎌倉文学館 〉鎌倉紀行 その二

〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 

 
      前回の問題 解答
 「京都三大三門」とは、南禅寺三門の他、知恩院山三門と仁和寺仁王門です。
 
 

       今日の問題 
 鶴岡八幡宮・三の鳥居を潜って左手に広がるのは、何池でしょう。

 

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〈 千紫万紅の長谷寺 〉鎌倉紀行 その三

 江ノ電長谷駅から北西へ約200m、鎌倉山系の南東山麓に位置するのが、長谷寺です。
 初夏にはアジサイに全山が包まれることで、有名です。
 そのアジサイに負けず劣らず、初春も千紫万紅に彩られていました。

 ところで、「長谷」を、「ながたに」や「ちょうこく」と呼ばずに、「はせ」と呼ぶのはどうしてでしょう。
 大和国(現奈良県)にある初瀬川(大和川の上流部)に、関係していそうです。

 初瀬川を遡ると川幅が狭まり、「長い谷」になります。
 そこから、「長い谷」の「初瀬川」と呼ばれたようです。

 やがて、<「長い谷」の「初瀬川」>は、略して<長谷の初瀬>となります。
 読み方は、<ながたにのはつせ>が<ながたにのはせ>と縮まります。
 ついには、<長谷>だけで<はせ>と訓まれるようになったようです。

長谷寺 シャクナゲ

長谷寺 花 白

長谷寺 ミツバツツジ

長谷寺 サクラ 山

〈 鎌倉文学館 〉鎌倉紀行 その二

〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 
 

      前回の問題 解答
 アラビア半島の面積を259万㎢(諸説あり)とすれば、サウジアラビアはそのうち85%を占めます。
 
 

       今日の問題 
 <飛ぶ鳥の明日香>から、「飛鳥」は何と呼ばれるようになったでしょう。

 

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