〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

 五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)で、手を清めた後、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の境内を進みます。
伊勢 五十鈴川

 やがて「正宮(撮影は禁止)」に着きます。
 社殿の中心をなす「正殿」は、古代からの建築様式である「唯一神明造」を、今に伝えています。

 正宮の東側は、「古殿地」と呼ばれる空き地になっています。
 次回(2033年)の式年遷宮の際、「正宮」を造営する用地です。

 式年遷宮は、社殿の造営と神宝の調製を20年ごとに行い、技術を長く伝承してきました。
 同時に、用材のリサイクルも兼ねていました。

 たとえば、五十鈴川を渡る宇治橋の両側に立つ鳥居です。
 右岸の鳥居は、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の旧棟持柱です。
 左岸の鳥居は、豊受大神宮(伊勢神宮外内宮)の旧棟持柱です。
 棟持柱(むなもちばしら)とは、「唯一神明造」で棟を支える大黒柱です。

 なお、次回の式年遷宮に伴って宇治橋両側の鳥居が立て替えられると、それまでの鳥居は別の神社の用材として再々活用されるそうです。
伊勢 内宮

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
 「乳の実の(ちちのみの)」は、「父」にかかる枕詞です。
 

      今日の問題  
 伊勢神宮の式年遷宮は、何年間に渡って行われてきたでしょう。
       

 
 
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