五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)で、手を清めた後、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の境内を進みます。
やがて「正宮(撮影は禁止)」に着きます。
社殿の中心をなす「正殿」は、古代からの建築様式である「唯一神明造」を、今に伝えています。
正宮の東側は、「古殿地」と呼ばれる空き地になっています。
次回(2033年)の式年遷宮の際、「正宮」を造営する用地です。
式年遷宮は、社殿の造営と神宝の調製を20年ごとに行い、技術を長く伝承してきました。
同時に、用材のリサイクルも兼ねていました。
たとえば、五十鈴川を渡る宇治橋の両側に立つ鳥居です。
右岸の鳥居は、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の旧棟持柱です。
左岸の鳥居は、豊受大神宮(伊勢神宮外内宮)の旧棟持柱です。
棟持柱(むなもちばしら)とは、「唯一神明造」で棟を支える大黒柱です。
なお、次回の式年遷宮に伴って宇治橋両側の鳥居が立て替えられると、それまでの鳥居は別の神社の用材として再々活用されるそうです。
〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三
〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二
前回の問題 解答
「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
「乳の実の(ちちのみの)」は、「父」にかかる枕詞です。
今日の問題
伊勢神宮の式年遷宮は、何年間に渡って行われてきたでしょう。
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