〈 大濠公園 〉築紫紀行その18

 黒田長政は、1601年から博多の街の西側に当たる荒れ地に、舞鶴城(福岡城)を築き始めます。
 東側には那珂川が流れ、西側には草ヶ江の干潟(入り江)があり、北側には新設した城下町の先に博多湾が広がり、その他多数の堀とともに城を守る重要な役割を果たします。
 このうち「草ヶ江の干潟(入り江)」は、「大濠」と呼ばれるようになります。

 「堀」は、水を張っていれば「水堀」で、水を張っていなければ「空堀」です。
 一方、「濠」は水を張っている場合だけに用いられ、「水濠」や「空濠」とは用いません。

 舞鶴城(福岡城)跡が「舞鶴公園」に衣替えしたのに対して、大濠跡は「大濠公園」へ衣替えしました。
 周囲約2kmの大きな池を取り囲むように、日本庭園などが整備されています。

 なお、舞鶴城(福岡城)跡西側の大濠と対称的に、舞鶴城(福岡城)跡東側から、「鴻臚館」に関連する遺構が発掘されています。
 飛鳥時代から平安時代にかけての、古代日本最大級の国際交流拠点の全容解明が待たれます。

大濠公園

〈 舞鶴城(福岡城)と天守閣 〉築紫紀行その17

〈 戒壇院 〉築紫紀行その16

〈 博多湾 ー 水城 ー 大宰府 〉築紫紀行その15

〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

 

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 「栂尾」は、「とがのお」です。
                       

 
 
     今日の問題  
 平安時代に国際交流拠点である鴻臚館は、どの都市に設置されていたでしょう。

    

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