野島崎灯台の麓に、黒々とした大岩が横たわってい
ます。
大岩の中ほどには、小さな洞穴があります。
1140年、相模での第二戦に敗北した源頼朝一行は、
房総半島へ落ち延びてこの洞穴で雨宿りし、再起を果
たしたと伝えられています。
源頼朝一行は、もし予期せぬ敗北で房総半島へ落ち
延びたとするなら、三浦半島から短い海路で房総半島
へ渡ろうとするでしょう。
ただし、相模の沿岸から三浦半島にかけての陸路
は、平家の軍勢が睨みを利かせています。
相模湾では、三浦半島方面から真鶴岬方面へ向け、
房総半島から離れる方向への、強い沿岸流が流れてい
ます。
沿岸流が強い相模南岸と伊豆半島東岸で、唯一真鶴
岬では流れが相模湾の中央部へ向かっています。
さらに、相模湾の中央部から東(房総半島方向)へ向
って、強い海流が流れています。
源頼朝一行は、これらの潮の流れを事前に把握し、
計画的に房総半島へ渡ったに違いありません。
〈 野島埼灯台 〉 房総紀行
〈 洲崎灯台 〉 房総紀行
〈 平和都市・館山 〉 房総紀行
〈 デンマーク式風車 〉 房総紀行
〈 一等三角点 高神村 〉 房総紀行
〈 阿玉台 貝塚と梅林 〉 房総紀行
〈 犬岩 〉 房総紀行
〈 長崎鼻と宝満 〉 房総紀行
〈 恐竜時代の地層の上に 犬吠埼灯台 〉房総紀行
〈恐竜時代の地層の上に 君ヶ浜〉 房総紀行
〈 海の三大難所 銚子河口 〉 房総紀行
〈 空を歩くヤギ 〉 房総紀行
〈 跨海人道専用橋・中の島大橋 〉 房総紀行
〈 證城寺のタヌキ 〉 房総紀行
前回の問題 解答
四月十三日(2021年5月24日)、宮本武蔵と佐々木小
次郎が死闘を演じた舟島が、以後巌流島と呼称される
ようになったのは、佐々木小次郎の流派・巌流に基づ
いています。
今日の問題
相模湾の潮の流れを基にすれば、源頼朝一行が着い
たのはどの岬と考えられるでしょう。
A 犬吠埼
B 洲崎
C 野島崎
D 富津岬
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