蘇我馬子は、仏像破却令が出されるな
ど辛酸をなめながらも、耐え続けます。
572年、蘇我馬子は大臣になります。
同時に、物部守屋は大連になります。
ここに、馬子と守屋による、両巨頭支
配体制ができあがります。
蘇我臣は、新しい官僚統治を模索。
物部連は、従来からの氏姓制度を固執。
両者は激突します。
587年4月、用明天皇が死去。
次期天皇の選定を巡り、悶着が広がり
ます。
天皇族内も、各氏族内も、馬子が推す
候補と守屋が推す候補の二派に分かれ、
対立します。
587年7月、馬子は軍を起こし、守屋を
殺害。
馬子側の軍には、天皇族の皇子達に交
じって、厩戸皇子も参戦します。
時に、蘇我馬子37歳、厩戸皇子13歳。
厩戸皇子は、父方も、母方も、蘇我臣
でした。
< つづく>
前回の問題 解答
アマゾン川河口近くのベレンから、対
岸のマカパまで、ダイヤ上は24時間で
航行することになっています。
今日の問題
蘇我馬子の妻と物部守屋とは、どのよ
うな血縁関係にあったでしょう。
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