新古今和歌集と後鳥羽上皇

 新古今和歌集が完成したとされるのは、
1205年三月二十六日(太陰太陽暦・2018
年では5月11日)。
 新古今和歌集を主導した後鳥羽上皇は、
その夜、次のように詠っています。

  石上古きを今にならべ来し
   昔の跡をまた尋ねつつ

 後鳥羽上皇が四歳(数え年)の時、木曾
義仲が京都を占拠したため、安徳天皇
(異母兄)は、西国へ逃れます。
 翌年、五歳にして天皇に即位します。

 二十一歳で、和歌所を設置。
 二十六歳で、新古今和歌集を完成させ
ます。
 その狙いを、『仮名序』では次のよう
に記しています。

 世を治めたり民の心をなごやかにした
りする道

 万民が、皆なびき従い、四方の海、秋
津島の全天下が静かに治まっている

 『新古今和歌集』峰村文人・訳 小学館

 時代は武士の天下となりつつありまし
たが、鎌倉幕府内では、将軍家と北条家
とが対立して、盤石とはいえません。
 後鳥羽上皇は、新古今和歌集の完成を
もって、文化の面において朝廷・貴族の
優位性を誇示することに成功します。
 続いて政治の面においても優位性を示
すため、承久の乱を起こしますが、敗北。
 逆に、北条家による全国支配を招いて
しまいます。

 後鳥羽上皇は、流された隠岐の島で新
古今和歌集の改訂を続けます。

 後鳥羽上皇 1239年三月二十八日(太陰
      太陽暦・2018年の5月13日)
       永眠
       享年 四十

shinkokin wakasyuu

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 十分な抗鬱薬を服用した鬱病患者の寛
解率は、13~37%と言われています。

      今日の問題 
 新古今和歌集の第2首の作者は、だれ
でしょう。
  ほのぼのと春こそ空に来にけらし
   天の香具山霞たなびく

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