『利休の時代』 4月の開進学園だより

 「茶の湯」は、大広間でなく、専用の茶室で行わ
れるようになります。
 茶室は、どんどん狭くなります。
 四畳半から、ついには二畳へと。

 狭い茶室で、敵対する二人の領主が、利休を間
にして、「茶の湯」を味わうこともあります。
 茶室内は、戦乱に明け暮れる時空を、忘れさせ
てくれます。
 たとえ激情に駆られ出したとしても、狭い空間
では、大立ち回りできません。

 利休は、茶室を狭くしただけでは不十分とし
て、一切の刀を外し、室外の刀掛けに掛けてから
茶室へ入ることとしました。

 利休は、戦国の世にあって、非武装が創り出す
心穏やかな空間を演出していきます。
 当然、朝鮮半島を手始めにした海外侵略へも、
異を唱えていたことでしょう。

 しかし、利休は表舞台から姿を消されます。
 朝鮮へ出兵を開始する、一年前のことでした。

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       前回の問題 解答
 「秋津」から「蜻蛉」に、表記が変わります。
 その後、「とんぼ」という言い方に変わるのは、
江戸時代です。

 

        今日の問題 
 千利休の誕生日は、二月二十八日(太陰太陽暦)
です。
 では、千利休が表舞台から姿を消した(自死説
もあり)のは、何月何日(太陰太陽暦)でしょう。

 

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