カテゴリー別アーカイブ: 本に囲まれて

雨けぶる 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』
(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、
雨けぶるに因んだ短歌を、三首紹
介します。

  
   二すぢの後を残して走りゆく 
    トラック見送る雨けぶる道 

   雨音をこの暗闇に獨りして 
    聞きつつも今宵時は過ぎゆく 

   雨はれてまぶしき光浴び居れば
    おもはぬひまに午下りゆく 

 

ame heburu
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 葛城氏が没落した理由は、「允恭地震
が発生した夜、酒宴を開いて反正天皇の
もがりの場にいなかったため」と、言われ
ています。

 

        今日の問題 
 有珠山の麓で、1944年6月23日に第一
回目の大噴火を起こし、その後幾度もの
噴火を経て、標高398mの独立峰になった
火山の名前は、何でしょう。
  A 明治新山
  B 大正新山
  C 昭和新山
 

 

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『十七条憲法』の謎 その五

 古墳時代から飛鳥時代前期にかけて
(4世紀中ごろ~7世紀中ごろ)、大和政
権は氏族連合政権でした。

 天皇族の力がいくらか抜きん出ていた
としても、有力な氏族が目白押しでした。
 有力な氏族の実力を合計すれば、天皇
族単独の実力をはるかに上回っていまし
た。

 有力な氏族同士が、対立と抗争を繰り
広げ、勢力を伸ばしては滅亡を繰り返す
中で、天皇族は勢力を維持し続けます。
 天皇族内において、死闘を演じながら。

 たとえば仁徳天皇は、弟と妹の三人を
殺害しています。
 その殺害に手を貸したのが、葛城氏で
す。

 葛城氏は、娘を仁徳天皇の皇后にし、
孫を次々と天皇にします。
 自らは、大臣(おおおみ)になり、氏族
連合政権の実権を握ります。

 葛城氏が没落すると、平群氏と巨勢氏
が大臣に就きます。
 平群氏が没落した後を継いで大臣にな
ったのが、蘇我馬子です。

hinon syoki hyoushi

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 アクアマリンマラソン大会の完走者に
贈られるメダルは、山武杉で作られてい
ます。


 

        今日の問題 
 葛城氏が没落した理由は、何でしょう。
 

 

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最大震度3で巨大津波 死者21000名以上

 1896年6月15日、午後7時32分、小さ
な地震が発生しました。
 夕食の時間帯で、地震に気付かなかっ
た人も多かったようです。

 その直後、人々は大混乱に陥ります。
 巨大な津波が押し寄せ、家々を飲み込
んだからです。

    三陸大津波 1896年
 地震発生 1896年6月15日午後7時32分
 最大震度      3
 津波の最大波高 30m
 マグニチュード   7.6
 岩手県内の死者 18158名
 宮城県内の死者  3387名

 それから37年後、新たな大津波が三陸
地方を襲います。

    三陸大津波 1933年
 地震発生 1933年3月3日午前2時31分
 最大震度      5
 津波の最大波高 23m
 マグニチュード   8.3
 岩手県内の死者 2658名
 宮城県内の死者  307名
 
 東日本大震災のような巨大地震が発生
すれば、巨大津波が襲ってくるかもしれ
ないという予測はつきます。
 しかし、地震があったかどうかも分から
ない程の小さい地震の場合、津波が押し
寄せるとは、誰も思わないでしょう。
 「最高震度3」程度の地震では、地震情
報に注目するでしょうか。
 津波があるかどうかの情報が、伝えら
れない可能性もあります。

 大きな揺れを伴う地震ばかりでなく、
小さな揺れの地震であっても、津波予報
が出されるのを待たずに、「地震=津波」
という自己判断で避難する必要があると、
1896年6月15日に起きた三陸大津波は教
えています。

sanriku ootsunami

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
  オーランド諸島は、「非武装・中立」を
161年間に渡って続けています。

 

        今日の問題 
 1896年6月15日に起きた三陸大津波に
よって、岩手県田老村ではどれほどの割
合で死者が出たでしょう。
 

 

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『十七条憲法』の謎 その四

 「冠位十二階」が運用されたにもかか
わらず、蘇我馬子は無冠で通します。
 「冠位十二階」が運用され始め、『十
七条憲法』が制定されたとされる604年、
蘇我馬子と厩戸皇子は、以下のような
関係でした。

 蘇我馬子 54歳
      大臣(最高権力者)になっ
     てから22年目
 
 厩戸皇子 30歳
      皇太子(多くの書物では摂
     政)になってから11年目

 厩戸皇子は、蘇我馬子が行政経験に
おいて自分をはるかに勝っており、蘇我
馬子との年齢差が親子ほども上回って
いるため、冠位を授与しづらかったので
しょうか。

 それとも、蘇我馬子は、「冠位十二階」
を立案して運用する立場であったため、
あえて無冠で通したのでしょうか。

hinon syoki hyoushi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 主な食用油のうちで、αーリノレン酸
をずばぬけてたくさん含んでいるのは、
シソ(エゴマ)油です。

 

        今日の問題 
 蘇我馬子と厩戸皇子は、どのような
血縁関係にあったでしょう。
 

 

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こんにゃくが飛んだ時代

 今から60年ほど前、オリンピックのサ
ーフィン会場に決まった一宮海岸で、
こんにゃくが飛んでいました。

 煮物やおでんの食材となるコンニャ
クではありません。
 原料のこんにゃく芋でもありません。
 こんにゃく糊です。

 正しくは、こんにゃく糊を使った風船
です。
 風船とはいえ、直径が10mにもなる
巨大な物。
 その風船に爆弾を取り付け、偏西風
に乗って飛ばそうという訳です。

 狙いは、アメリカ本土。
 太平洋を越えて、直接爆撃する作戦
です。
 9300個も飛んだ風船爆弾の大半はア
メリカ本土に届きませんでしたが、約
1000個はアメリカ本土に落下し、被害
をもたらしたようです。

 5月29日、こんにゃくの日にあたって、
こんにゃくが飛ぶ時代が再び来ないよう
願うばかりです。

konnyaku nihonshi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 松尾芭蕉は五月二十八日に、立石寺
で、「閑けさや 岩にしみいる 蝉の声」
と詠んでいます。


 

        今日の問題 
 日露戦争において、こんにゃくはどの
ような役割を担ったでしょう。

 

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五月一日 松尾芭蕉の皐月

 今日は、五月一日(5月26日)。
 久しぶりの雨に、咲き始めた蔓バラは
生気を取り戻したようです。
 328年前のこの日、松尾芭蕉は飯坂
(福島市)に滞在していました。

 夜に入て雷鳴雨しきりに降てふせるよ
り上よりもり、呑み・蚊にせ々られて眠
らず。          『おくのほそ道』

 以後、五月雨は激しく降り続きます。

 松島に着くや、一転して快晴となりま
す。
 ところが、芭蕉はその様子を俳句とし
て書き残していません。

 松島を過ぎると、再び五月雨に降られ
続きます。

 五月十三日、平泉。
   五月雨の降り残してや光堂

 五月晦日、大石田。
   五月雨をあつめて早し最上川

 福島・宮城・岩手・山形と五月雨が降
りしきる中、松島の五月晴れが際立った
松尾芭蕉にとっての皐月でした。  

tsuru bara

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 源義経は、16歳で鞍馬寺を出奔しま
した。

 

        今日の問題 
 松尾芭蕉は五月二十八日に、どこで、
どんな俳句を、詠んでいるでしょう。

 

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義経伝説

 源義経には、さなざまな伝説がありま
す。

 一の谷の戦いでは、30mもの急な崖を、
七千騎もの騎馬武者がそろって駆け下っ
たとか。

 屋島の戦いでは、神戸を出発し、徳島
県を経由して、三日目には参戦している
とか。

 壇ノ浦の戦いでは、8ノットもの速い
潮流をものともせず、しかも潮流の変
化を利用したとか。

 大胆不敵な戦術を駆使して連戦連勝を
続けた義経も、卯月三十日(今年は5月
25日)平泉で自害して果てます。

 それでも、新たな伝説が付け加えられ
ます。

 北海道へ渡り住んだとか。

 モンゴルへ渡り、ジンギスカンとなっ
たとか。

minamoto yoshitsune sennryaku
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 『元始、女性は太陽だった』等を著し、
1971年5月24日に亡くなったのは、平塚
らいてうです。


 

        今日の問題 
 源義経は、何歳で鞍馬寺を出奔したで
しょう。

 

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