笠山を後にし、世界遺産に指定されている恵美須ヶ花造船所跡や萩反射炉を過ぎると、城下町・萩です。
中国山地から北流してきた阿武川は、日本海を前にして分流します。
東側は、松本川となって、日本海へ注ぎます。
西側は、橋本川となって、日本海へ注ぎます。
中国山地から運ばれてきた土砂は、松本川と橋本川の間に堆積して三角州を形成ます。
この広大な三角州上に造られたのが、城下町・萩です。

三角州の西北端には、指月山(標高145m)があります。
山頂の山城と山麓の平城を組み合わせた萩城が築かれたのは、1604年から1608年にかけてです。
毛利輝元は、広島城を居城として、中国地方の八ヶ国を領有する、大大名でした。
しかし、関ヶ原の戦いで敗れたため、中国地方の二ヶ国(周防と長門)を領有するだけとなります。
毛利輝元としては、瀬戸内海側の防府か山口に築城したかったようですが、叶いません。
結局徳川家康の意向に沿って萩を居城とし、三角州の低湿地埋め立てなどの難工事が続きます。
さらには、度重なる洪水に悩まされます。
写真は、城下町・萩の東側山麓にある、陶芸の村公園から写した萩の町並です。

〈 阿武海岸・合併を避けた阿武町 〉
本州の海岸線一周 その98
前回の問題 解答![]()
オランダ商館が出島へ移設される4年前に起きた、ポルトガル船の来航が禁止されることを決定づける大事件は、島原・天草の乱です。
今日の問題
1863年に、長州藩の藩庁は萩からどこへ移転するでしょう。
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