〈 鬼無里の祭り屋台 〉信州紀行 その二

 長野市から大町市方面へ向かう国道406号線が、長野県道36号線と交差する地点に、鬼無里ふるさと資料館があります。

 中へ入るや、アッと息を呑みました。
 展示されている祭り屋台に、圧倒されたからです。
 大きさもさることながら、施された彫刻に目を見張らされました。

 屋台の、屋根も、梁も、柱も、「一本彫り」でできています。
 鶏の羽から、鳥籠の竹から、龍の髭から、・・・細部に到るまで、一本の木を彫って作成されています。

 この見事な細工を達成する確かな技が山間地に息づいていた背景には、豊かな経済力がありました。
 一つ目は、善光寺往来・戸隠往来・安曇往来・高府往来が交わる、交通の要衝でした。
 二つ目は、広大な山林に囲まれて、林業が盛んでした。
 三つ目は、排水の良い土壌で麻を栽培し、麻糸や畳糸を生産しました。
 とりわけ畳糸は高品質で、全国各地へ出荷されました。

 こうした江戸時代をはるかに遡る奈良時代、この地が都の造営候補地になったそうです。
 ところが、遷都計画を聞きつけたこの地に住む鬼達は、自分たちが暮らせなくなると考え、阻止行動に立ち上がります。
 平地の中央に、都を造営できなくするため、一夜のうちに山を築き上げます。
 その報を受けた天武天皇は、怒り心頭に発し、鬼達すべてを追い払わせます。
 その後、鬼達が居なくなった里は「鬼無里」と、鬼達が一夜のうちに築き上げた山は「一夜山」と、呼ばれるようになりました。

信州 鬼無里 祭り屋台

信州 鬼無里 祭り屋台 拡大 

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      前回の問題 解答
 仲秋は、太陰太陽暦で八月に当たます。
 

      今日の問題  
 「鬼無里」と「一夜山」は、何と読むのでしょう。
       

 
 
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