豊臣秀吉は、収集した名器を披露することのみを目的にするかのような茶会を、幾度も催します。
名だたる名器が並ぶ様に、武将達の秀吉に対する心服の度合いは、深まるばかりです。
秀吉は、黄金の茶室まで拵えます。
大きさは、利休の助言を受けて、広間からしぶしぶ三畳の間へ縮小しましたが。
それにしても、茶筅(ちゃせん)と茶杓(ちゃしゃく)を除く大半が黄金製とあっては、利休ならずとも唖然とします。
折りたたみ式で自由に移動できる黄金の茶室を携え、御所内で再び茶会を催します。
さらには、朝鮮へ出兵するに当たっての拠点とした名護屋城(佐賀県唐津市)でも、黄金の茶室を持参して茶会を開くほどでした。 < つづく >

前回の問題 解答![]()
天海は、徳川家康の墓所を、江戸の真北に当たる日光と定めました。
今日の問題
その後秀吉は、10日間に渡る何を企画したでしょう。
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