カテゴリー別アーカイブ: 和歌を詠む

『小倉百人一首』と藤原定家 その八

 藤原定家が『小倉百人一首』を編集したのは、74歳の時でした。
 その3年前に、権中納言(大臣・大納言に次ぐ地位)になったのを最後に、官職を離れています。
 
 藤原定家は、71歳まで現役で働いていたことになります。
 官職は退いても、『新勅撰和歌集』を編集するなど、活躍は続きます。

 ここまでを聞けば、老いて益々盛んなりと言えそうです。
 しかしながら、藤原定家は幼い頃から極めて病弱でした。
 赤斑瘡や天然痘などの大病を患い、何度も絶命の危機に直面しました。
 
 老いてからは、リュウマチや気管支喘息などに苦しめられました。
 病と闘い続けた生涯でした。 < つづく > 

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その七

 『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 日本で発生する食品ロス量(一年間分)は、国連世界食糧計画が行っている食料援助量(一年間分)の、約140%(1.4倍)に当たます。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」は都のたつみしかぞ住む
    「 」と人はいふなり
    

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その七

 『小倉百人一首』最後の百番には、順徳上皇の歌が選ばれています。
   ももしきや古き軒端のしのぶにも 
    なほあまりある昔なりけり 
 順徳上皇は、承久の乱に関わる処分により、佐渡島へ島流しに処せられました。
 それ以降、天皇や上皇の選任は、鎌倉幕府の意向に基づいて、決められるようになります。

 『小倉百人一首』は、天智天皇から順徳上皇まで、約600年間に渡る天皇制貴族社会を、歌い上げた作品です。
 百首すべてを『勅撰和歌集』の中から選び、『万葉集』からは一首も選ばなかったのは、華やかなりし王朝文化を懐かしんでのことでしょうか。
     < つづく > 

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 1987年に発売された美空ひばりのシングル盤で、A面は『みだれ髪』、B面は『塩屋崎』でした。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」ふりさけ見れば春日なる
    「 」に出でし月かも
 

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その六

 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして失敗した承久の乱の後、京都に六波羅探題が、全国各地に新補地頭が置かれて、鎌倉幕府の権力は日本中に行き渡ります。
 さらに、武家政権の維持と強化を図るべく、御成敗式目が制定されます。

 このように武家社会が確立していく過程で、『小倉百人一首』は編集されます。
 藤原定家は、崩壊する天皇制貴族社会に、見切りをつけたかったのでしょう。

 『小倉百人一首』では、一番に天智天皇の歌を選んでいます。
 天智天皇は、蘇我氏を滅ぼし、大化改新を断行し、天皇絶対体制を築き上げました。
   秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
    我が衣手は露にぬれつつ
     < つづく > 

小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 脊柱にある脳から続く神経が通る管を、脊柱管と呼びます。
 

      今日の問題 
 『小倉百人一首』で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」の渡せる橋に置く霜の
    「 」を見れば夜ぞ更けにける

 
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『小倉百人一首』と藤原定家 その五

 承久の乱が起きた時、藤原定家は60歳でした。
 自分の和歌の才能を引き出してくれたのも、和歌における地位のみならず、貴族としての地位を与えてくれたのも、後鳥羽上皇でした。
 その恩深き後鳥羽上皇の許を離れて、鎌倉幕府側に立たねばならぬ藤原定家の胸中は、如何ばかりだったでしょう。
 
 されど、背に腹は代えられません。
 自分が所有する荘園を維持するためには、鎌倉幕府の力に頼らざるをえなかったからです。

  人をもし人も恨めしあぢきなく
   世を思ふゆゑに物思ふ身は

 『小倉百人一首』第九十九番・後鳥羽上皇の歌は、藤原定家の思いも表れているようです。  < つづく >
小倉百人一首

 『小倉百人一首』と藤原定家 その四

 『小倉百人一首』と藤原定家 その三

 『小倉百人一首』と藤原定家 その二

 『小倉百人一首と藤原定家』 その一

 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「関東の松島」とも呼ばれているのは、茨城県の五浦海岸です。
 

       今日の問題 
 『小倉百人一首で、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」に紅葉ふみわけ』鳴く鹿の
    「 」ときぞ秋は悲しき

 
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小倉百人一首と藤原定家 その四

 藤原定家が生まれた1162年の三年前に、平治の乱が起きています。
 その後、平氏が政権を握り、さらには源氏が権力を握って鎌倉幕府を開きます。

 藤原定家は、自らが依拠する公家社会の勢力が衰え、代わって武家社会の勢力が増していく、巨大な渦の中に身を置いていました。

 後鳥羽上皇は、公家社会から武家社会への移行を逆転させるため、「北条義時(鎌倉幕府の第二代執権)を追討せよ」との宣旨を発します。
 承久の乱です。

 しかしながら、鎌倉幕府の大勢力に敵うはずがありません。
 後鳥羽上皇は、隠岐へ島流しになります。
 皇室領の荘園約3000ヶ所が、没収されます。
 公家の政治的・経済的基盤は、衰退の一途を辿るばかりです。
       < つづく >

小倉百人一首

 小倉百人一首と藤原定家 その三

 小倉百人一首と藤原定家 その二

 小倉百人一首と藤原定家 その一

 
 
 
      前回の問題 解答
 三大童謡詩人とは、 野口雨情の他、北原白秋と西條八十です。
 

       今日の問題 
 小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」にうち出でて見れば白妙の
    「 」に雪は降りつつ

 
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〈 山 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、〈 山 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 数多度山にのぼりて薪負ふ 
  子等の身強くあらせ給へと 

 よつづみを手折りし子らは列におくれ 
  汗あえにつつ山を下り来も 

 秋晴れの山に集ひて教え子と
  働く今日のひと日楽しも 

shikishi harimado (2)

 〈 眼 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 道 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 〈 悲し 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 時 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 夢 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 生命 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 月 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 獨り 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 別れ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 〈 永遠 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


 
 
 
 
      前回の問題 解答
 化学肥料を大量に投下して生産量を拡大しようとしたものの、農地はやせ細り収穫も減少した、1960~1970年代の取り組みは、「緑の革命」と呼ばれました。
 

       今日の問題 
 「数多」は、何と読むでしょう。

 

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小倉百人一首と藤原定家 その三

 競技カルタを公正に実施するには、朗詠が重要な役割を担います。
 今回使用したCDを監修している伊藤秀文さん(全日本かるた協会会長)は、次のように述べています。

 朗詠者は、切れ目に一番気を使います。
 下の句の最後の音に余韻を残しつつ、次の札の上の句に移るのです。
 間隔は、常に一定にしなければなりません。
 早過ぎても遅過ぎても、お手付きの原因になります。
 カルタ競技の醍醐味は正にこの一瞬にあるのですから、出場者も、見物者も、この一瞬は私語はもとより、かすかな音もさせぬよう、気をつけねばなりません。

 この「静寂・緊張・集中・躍動」を、日々の学習へ是非とも取り入れていきたいものです。 < つづく >

小倉百人一首

 小倉百人一首と藤原定家 その二

 小倉百人一首と藤原定家 その一

 『百人一首』と係り結び

 
 
 
      前回の問題 解答
 2023年5月17日は、ユリウス日で2460082です。
  2460082 ÷ 7 = 351440 あまり2
 あまり2は、水曜日です。
 

       今日の問題 
 小倉百人一首の、次の「 」に入る語句は何でしょう。
   「 」の山鳥の尾のしだり尾の
    「 」夜をひとりかも寝む

 

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