千利休と豊臣秀吉 その9

 1590年、西日本から東日本へ目を転じた豊臣秀吉は、関東地方の平定を目指します。
 小田原城内に立て籠もる北条氏を滅ぼすと、わずか四日後には、道路普請の命令を発します。
 「小田原から黒川(後の会津若松)までの街道(約300km)を、幅三間(約5.4m)に拡張し、整備せよ」と。

 秀吉は、徳川家康の領地を江戸に替えさせるとともに、関東地方の支配を家康に任せます。
 自身は、拡張整備された街道を北進して関東地方を抜け、会津へ入ります。

 それまで会津地方を領有していた伊達正宗を排除し、蒲生氏郷の領地を会津に替えさせるとともに、東北地方の支配を氏郷に任せます。
 こうして、九州地方から東北地方に至る、天下統一を成し遂げます。< つづく >

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  1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。

     今日の問題
 千利休は、小田原まで秀吉に随行したでしょうか、会津まで秀吉に随行したでしょうか。

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