〈 喜多院と天海 〉川越紀行その7

 江戸城を防備するに当たって、北の拠点としたのは、川越城です。
 正確には、北西の方角になりますが。
 城主には、松平家が選ばれます。
 その中でも松平信綱は、老中として武家諸法度を改定するなど、辣腕を振るいました。

 川越城の南側には、古くからの寺院・喜多院があります。
 徳川家康は、その第二十七代住職として、天海を招請します。
 天海は、江戸の町造りから幕府の体制造りまで、江戸幕府全般に関わっていました。
 その天海を関東天台宗の本山と定めた喜多院の住職にして、関東地方の寺院勢力を統制しようとしたのでしょう。

 天海は、徳川家康・徳川秀忠・徳川家光と、将軍三代に渡って顧問を務め、107歳という長寿を全うします。
 贈られた諡号は、「慈眼大師」でした。

喜多院 本堂

〈 わらべ唄 ♬通りゃんせ♬ 発祥の地 〉
    川越紀行その6

〈 川越城・本丸御殿 〉川越紀行その5

〈 川越城・中ノ門堀跡 〉川越紀行その4

〈 菓子屋横丁 〉川越紀行その3

〈 鐘撞堂・時の鐘 〉川越紀行その2

〈 土蔵造りの町並 〉川越紀行その1

〈 三池カルタ歴史資料館 〉築紫紀行その3

〈 秩父そば 〉秩父紀行その八

〈 神戸中華街・南京町 〉西摂津紀行その8

 

     前回の問題 解答
 体重が69kgの成人が、1日当たり飲み水から1200mlの水分を摂取するとして、 1日当たり食べ物から1000mLの水分を摂取することになります。
     

 
 
     今日の問題  
 天海は、徳川家康の墓所を、江戸の真北に当たるどこに定めたでしょう。
          

 

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