カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 金ケ崎 ー 万葉の岬 〉本州の海岸線一周 その131

 岡山県の瀬戸内海沿岸で東端に当たるのは、備前市です。
 備前市を抜ければ、兵庫県の赤穂市です。
 赤穂市の東隣は、相生市になります。

 相生市は、南北に細長い相生湾を挟んでいます。
 相生湾の東岸を進めば、南端が金ケ崎です。

 金ケ崎から海を隔てた対岸に続くのは、家島を主島とし、40余の島々からなる家島諸島です。
 家島諸島を中心に広がるのは、東の淡路島、西の小豆島、南の四国、北の本州に囲まれた、播磨灘です。

 山部赤人は、この播磨灘を四国へ船旅した際に歌三首を詠み、『万葉集』に納められています。

  玉藻刈る辛荷の島に島廻する
   鵜にしもあれや家思はざらむ

  島隠り我が漕ぎ来ればともしかも
   大和へ上るま熊野の舟 

  風吹けば波か立たむとさもらひに
   都太の細江に浦隠り居り

 これらの歌の基となった景色を見渡すことができる金ケ崎は、ツバキやサクラの咲き揃う庭園として整備され、「万葉の岬」と命名されています。

兵庫県 万葉の岬

〈 瀬戸内海を見渡す鷲羽山 〉
     本州の海岸線一周 その130

〈 カブトガニ博物館・笠岡市 〉
     本州の海岸線一周 その129

〈 瀬戸内海沿岸のほぼ中央・鞆の浦 〉
     本州の海岸線一周 その128

〈 しまなみ海道・多々羅大橋 〉
     本州の海岸線一周 その127

〈 町並み保存地区・竹原 〉
     本州の海岸線一周 その126

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

 

     前回の問題 解答
 「鳴く虫の王」と称えられているのは、スズムシです。
             

 
 
     今日の問題
 相生市の市木は、何でしょう。
  

  

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〈 瀬戸内海を見渡す鷲羽山 〉本州の海岸線一周 その130

 笠岡市を東進すると、浅口市へ入ります。
 岡山県内で面積が最も小さい市です。
 浅口市を抜けると、倉敷市です。
 そこからは、南進します。

 南進した先は、児島半島の最南端に当たります。
 岡山県本土の瀬戸内海沿岸における最南端でもあります。
 「鷲が羽を広げて飛ぶ姿に似ている」ことから、鷲羽山(わしゅうざん)と命名されています。

 展望台からは、塩飽(しわく)諸島の28島を初めとして、瀬戸内海の多島美が見渡せます。
 日本における国立公園指定第一号であり、「日本の夕陽百選」や「新日本観光地百選」に選ばれています。

 塩飽諸島のうち櫃石(ひついし)島・岩黒島・羽佐島・与島・三つ子島の5島を結んで坂出市(香川県)に至るのが、瀬戸大橋です。
 約10年の歳月と1兆円を超える巨費を投じて、1988年に開通しました。
 鉄道と道路の併用橋として、全長12300mは世界最長です。

岡山県 鷲羽山

〈 カブトガニ博物館・笠岡市 〉
     本州の海岸線一周 その129

〈 瀬戸内海沿岸のほぼ中央・鞆の浦 〉
     本州の海岸線一周 その128

〈 しまなみ海道・多々羅大橋 〉
     本州の海岸線一周 その127

〈 町並み保存地区・竹原 〉
     本州の海岸線一周 その126

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

〈 原爆の悲惨さを伝え続ける「原爆ドーム」 〉
     本州の海岸線一周 その121

 

     前回の問題 解答
 『アンパンマンのマーチ』の歌い出しです。
  そうだ うれしいんだ
   いきる よろこび
             

 
 
     今日の問題
 塩飽諸島やその東方にある小豆島などは、合わせて何諸島と呼ばれているでしょう。
  

  

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〈 カブトガニ博物館・笠岡市 〉本州の海岸線一周 その129

 鞆の浦がある広島県・福山市を東進すると、岡山県・笠岡市に入ります。

 笠岡市の干潟にはカブトガニが生息していて、1928年には「天然記念物カブトガニ繁殖地」に指定されました。
 その後の笠岡湾干拓工事に伴い、カブトガニを保護するため、1990年には「笠岡市立カブトガニ博物館」が開館しました。
 2003年には、「笠岡市カブトガニ保護条例」が制定されました。

 カブトガニの祖先は、約5億年前に出現しています。
 約2億年前には、現在のカブトガニとほとんど変わらない姿に進化しています。
 恐竜が出現した時期から、カブトガニは姿を変えていません。

 カブトガニは、大陸移動にも耐え、「生きている化石」と言われています。
 1~2年間は餌を食べなくとも、生きていけます。
 環境が多少変化したとしても、移動せずに耐え切れられるようです。

 「笠岡市立カブトガニ博物館」は、超時代的な生命力を携えたカブトガニに関する世界で唯一の博物館です。

岡山県 笠岡市 カブトガニ博物館

〈 瀬戸内海沿岸のほぼ中央・鞆の浦 〉
     本州の海岸線一周 その128

〈 しまなみ海道・多々羅大橋 〉
     本州の海岸線一周 その127

〈 町並み保存地区・竹原 〉
     本州の海岸線一周 その126

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

〈 原爆の悲惨さを伝え続ける「原爆ドーム」 〉
     本州の海岸線一周 その121

〈 広島市 平和大通り 〉
     本州の海岸線一周 その120

 

     前回の問題 解答
 太陽に最も近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリまでは、約4光年離れています。
             

 
 
     今日の問題
 岡山県で「どんがめ」、広島県で「だんがめ」などと呼ばれているのは、何カニでしょう。
  

    
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〈 瀬戸内海沿岸のほぼ中央・鞆の浦 〉本州の海岸線一周 その128

 竹原市から三原市や尾道市を過ぎると、福山市へ入ります。
 福山市内で瀬戸内海へ突き出ている沼隈半島の、先端部が鞆の浦です。

 鞆の浦は、中国地方における瀬戸内海沿岸のほぼ中央に当たります。
 干潮から満潮にかけて、豊後水道や紀伊水道から鞆の浦へと潮が流れます。
 満潮に乗って、船々が鞆の浦へ入ってきます。
 満潮から干潮にかけて、鞆の浦から豊後水道へ紀伊水道へと潮が流れます。
 干潮に乗って、船々が鞆の浦から出て行きます。
 鞆の浦は、瀬戸内海で重要な潮待ち港でした。

 鞆の浦を代表する港湾施設が、「燈籠燈(とうろどう)」と呼ばれる常夜燈です。
 3.6mの基礎石の上に、高さは6.18mもあります。

 常夜燈を中心にして、雁木や焚場などの江戸時代からの波止場が残されているのは、瀬戸内海で鞆の浦だけです。

広島県 鞆の浦

〈 しまなみ海道・多々羅大橋 〉
     本州の海岸線一周 その127

〈 町並み保存地区・竹原 〉
     本州の海岸線一周 その126

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

〈 原爆の悲惨さを伝え続ける「原爆ドーム」 〉
     本州の海岸線一周 その121

〈 広島市 平和大通り 〉
     本州の海岸線一周 その120

〈 大野瀬戸と厳島(宮島) 〉
     本州の海岸線一周 その119

 

     前回の問題 解答
 寺院の中で、住職やその家族の住まい空間を、庫裏と言います。
             

 
 
     今日の問題
 朝鮮通信使の李邦彦が、対馬から江戸までの中で最高の景色だとして、「日東第一形勝」の書を残したのは、どこでしょう。
  

    
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〈 しまなみ海道・多々羅大橋 〉本州の海岸線一周 その127

 竹原市から三原市に向けて瀬戸内海沿いに東進すると、途中の幸崎海岸で三原瀬戸越しに多々羅大橋が見えてきます。
 多々羅大橋は、本州と四国を繋ぐしまなみ海道の橋々のうち、本州側から四番目に当たります。
 
 新尾道大橋 尾道~向島  546m
 因島大橋  向島~因島  1270m
 生口島   因島~生口島  790m
 多々羅大橋 生口島~大三島 1480m
 大三島橋  大三島~伯方島  328m
 伯方・大島橋 伯方島~大島  1165m 
 来島海峡第一大橋 大橋~今治  960m
 来島海峡第二大橋 大橋~今治 1515m
 来島海峡第三大橋 大橋~今治 1570m

 多々羅大橋は、しまなみ海道を構成する9橋の中では、橋長で第三位です。
 なお、斜張橋としての中央支点間長890mは、世界でトップクラスです。

広島県 多々羅大橋

〈 町並み保存地区・竹原 〉
     本州の海岸線一周 その126

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

〈 原爆の悲惨さを伝え続ける「原爆ドーム」 〉
     本州の海岸線一周 その121

〈 広島市 平和大通り 〉
     本州の海岸線一周 その120

〈 大野瀬戸と厳島(宮島) 〉
     本州の海岸線一周 その119

〈 錦川と錦帯橋 〉
     本州の海岸線一周 その118

 

     前回の問題 解答
 英語のcompetitionから「競争」という訳語を編み出したのは、福沢諭吉です。
             

 
 
     今日の問題
 生口島は、何と読むでしょう。
  

    
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〈 町並み保存地区・竹原 〉本州の海岸線一周 その126

 竹原は、塩田の一大中心地でした。
 江戸時代初期に赤穂(現・兵庫県)から技術者を招聘して塩田を開いて以降、増田を重ねます。
 生産された塩は、中国地方のみならず、北陸地方沿岸から内陸部へ、東海地方を経て江戸へ関東地方へと、出荷されていきます。
 その輸送を担った北前船の重要な寄港地となり、船主の町ともなりました。
 
 製塩業・醸造業・廻船業・問屋業・・・の経営者達は、豪壮な屋敷を構えていきます。
  白壁
  格子窓
  本瓦葺きの屋根

 江戸時代の面影が色濃く残っている町並みは、1982年に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

広島県 竹原市 町並み保存地区

 竹原は、「竹の町」でもあります。
 保存地区の中程には、竹原まちなみ竹工房があります。
 隣には、「修景広場」と命名された、竹垣で囲まれた日本庭園が続いています。
 広場の一画では、無数の竹製風車が軽やかに回っていました。

広島県 竹原市 修景広場

〈 竹原の書状集箱(ポスト) 〉
     本州の海岸線一周 その125

〈 三津口湾 〉
     本州の海岸線一周 その124

〈 音戸ノ瀬戸 〉
     本州の海岸線一周 その123

〈 史上最大の戦艦の故郷・大和波止場 〉
     本州の海岸線一周 その122

〈 原爆の悲惨さを伝え続ける「原爆ドーム」 〉
     本州の海岸線一周 その121

〈 広島市 平和大通り 〉
     本州の海岸線一周 その120

〈 大野瀬戸と厳島(宮島) 〉
     本州の海岸線一周 その119

〈 錦川と錦帯橋 〉
     本州の海岸線一周 その118

〈 阿月海岸と周防大島 〉
     本州の海岸線一周 その117

 

     前回の問題 解答
 「仮名」に対して、「真名」は漢字を指します。
            

 
 
     今日の問題
 江戸時代、「タケハラを買う」とは、何を購入することを指したでしょう。
  

    
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〈 石舞台遺跡 蘇我馬子と厩戸皇子 〉大和紀行その14

 蘇我馬子は、厩戸皇子の伯父に当たり、義父にも当たります。
 さらに、24歳も年上です。
 厩戸皇子は、蘇我馬子と対等に渡り合えたでしょうか。
 もし厩戸皇子が政治的な関心や野心を持ち合わせていたならば、その生命は危うかったに違いありません。

 645年、大化の改新が起きます。
 馬子の孫である蘇我「入鹿」が殺害され、蘇我氏は駆逐されます。
 馬子は、逆賊に仕立て上げられます。

 ○ 蘇我氏の名誉を記した歴史書:『国記』『天皇記』は、焼却されます。
 ○ 厩戸皇子が、「聖徳太子」として聖人化されます。
 ○ 「蘇我氏による治政」は、「聖徳太子による治政」に、置き換えられます。
 ○ 改変された歴史を正史とする『日本書紀』が、編纂されます。

 馬子の墓と推測される石舞台遺跡は、墳丘の盛り土が削り取られ、地中の奥深くに設置されていたはずの玄室を取り囲む巨石が、野晒しになっています。

石舞台遺跡 羨道

石舞台遺跡 玄室

〈 飛鳥川・明日香川〉大和紀行その13

〈 橘寺と「聖徳太子」 〉  大和紀行その12

〈 西方向を向かないように踏ん張り続ける「亀石」 〉
            大和紀行その11

〈 「鬼の俎(まないた)」と「鬼の雪隠 (せっちん)」〉
            大和紀行その10

〈 高松塚古墳 〉     大和紀行その9

〈 黄色いポスト 〉    大和紀行その8

〈 橿原神宮とさざれ石 〉 大和紀行その7

〈 環濠集落・今井町 〉   大和紀行その6

〈 大和三山と藤原京 〉   大和紀行その5

〈 大和三山と大和三山うどん 〉大和紀行その4

〈 耳成山 〉   大和紀行その3

〈 香久山 〉   大和紀行その2

〈 畝傍山 〉   大和紀行その1

 

     前回の問題 解答
 「表現の自由」」は、日本国憲法の第21条で定められています。
           

 
 
     今日の問題
 冠位十二階の制定によって、蘇我馬子は、「冠位を授かる側」に立ったのでしょうか、「冠位を授ける側」に立ったのでしょうか。
  

    
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