カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

< 柳川さげもん > 築紫紀行その1

 柳川地域(築紫・福岡県)には、「さげもん」と呼ばれる、雛飾りに添える吊るし雛が伝えられてきました。
 江戸時代に、着物の切れ端で作ったおもちゃを下げて飾るようになったと言われています。
 それぞれの人形には、一つ一つ願いが込められています。

 セミ   土の中で辛抱する象徴・元気な産声
 チョウ  きれいに着飾らせて嫁入りさせたい親心
 カナリヤ 美しい歌声
 おくるみ人形 生まれたての赤ちゃん
 這い人形 はいはいできた赤ちゃん
 ウサギ  元気に遊び回る
 エビ   腰が曲がってもなお元気

 これらの人形を、小毬と交互にして、一列に七個結びます。
 七列揃ったら、中心に大毬を二個結びます。
   7×7+2=51
 「人生五十年」とされていた時代、生まれて間もない女の子に、一年でも長生きしてほしいという願いが「柳川さげもん」に込められています。

柳川 さげもん

〈 秩父そば 〉秩父紀行その八

〈 神戸中華街・南京町 〉西摂津紀行その8

 

     前回の問題 解答
 『うれしいひなまつり』に出てくる官職名は、「右大臣」です。

 
 
     今日の問題  
 柳川さげもんで、「愛嬌美人」になるよう願って結ばれるのは、何の人形でしょう。
         

 

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〈 日御碕 〉本州の海岸線一周 その92

 日御碕(ひのみさき)は、島根半島の北西端に当たります。
 本州の海岸線に数多ある「みさき」の中で、「◯◯岬」・「◯◯崎」・「◯◯埼」・「◯◯鼻」ではなく、「◯◯碕」であるのは極めて珍しい例です。

 この「いしへん」だからではないでしょうが、「日御碕灯台」は石造りです。
 しかも、石造りの灯台では日本一の高さ(地面から塔頂まで43.65m)を誇っています。
 「世界の歴史的灯台百選」に選ばれ、国指定重要文化財に指定されています。

 日御碕神社は、「日の本の昼を守る伊勢神宮」に対して、「日の本の夜を守る」役割を担っています。
 日御碕は、「日本遺産の記憶」の一つである「日が沈む聖地・出雲 ~神が創り出した地の夕日を巡る~」における、要衝の地です。

島根県 日御碕

〈 多古鼻 〉本州の海岸線一周 その91

〈 地蔵崎 〉本州の海岸線一周 その90

〈 島根半島 〉本州の海岸線一周 その89

〈 境水道 〉本州の海岸線一周 その88

〈 弓ヶ浜 〉本州の海岸線一周 その87

〈 鳥取砂丘 〉本州の海岸線一周 その86

〈 穴見海岸 〉本州の海岸線一周 その85

〈 新余部橋梁 〉本州の海岸線一周 その84

〈 丹後半島 立岩 〉本州の海岸線一周 その83

〈 丹後半島の北端 経ヶ岬 〉本州の海岸線一周 その82

 

     前回の問題 解答
『うれしいひなまつり』に出てくる照明器具は、「雪洞(ぼんぼり)」です。
 
 
     今日の問題  
 島根半島に立つ灯台の中で、「世界の歴史的灯台百選」に選ばれているのは、「日御碕灯台」の他に何灯台でしょう。
         

 

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〈 多古鼻 〉本州の海岸線一周 その91

 地蔵崎(島根半島の最東端)を後にして、車は西方へ、さらには西北方向へ進みます。
 途中、千酌海岸や瀬崎海岸など、大山隠岐国立公園の景勝地を通り抜けます。
 地蔵崎を発ってから約1時間、車は県道37号線を外れて半島部の小道へ入ります。

 沖泊港に続く集落手前の駐車場に車を留めます。
 付近には「多古の石柱」・「多古の七つ穴」・「弁慶の潮かき穴」などがあり、「多古のジオサイト」になっています。
 そのうち「多古の七つ穴」は、海底火山から噴出した溶岩が冷却した際にできた巨大な空洞で、特別天然記念物に指定されています。

島根県 多古鼻岬 七つ穴

 多古鼻は、島根半島の最北端に当たります。
 島根県の本州側で、最北端になります。
 中国地方の本州側で、最北端です、

 そこに建ち並ぶ寺泊集落の家々は、揃って赤瓦でした。
 石洲瓦の伝統が、根付いていました。

島根県 多古鼻岬 赤瓦

〈 地蔵崎 〉本州の海岸線一周 その90

〈 島根半島 〉本州の海岸線一周 その89

〈 境水道 〉本州の海岸線一周 その88

〈 弓ヶ浜 〉本州の海岸線一周 その87

〈 鳥取砂丘 〉本州の海岸線一周 その86

〈 穴見海岸 〉本州の海岸線一周 その85

〈 新余部橋梁 〉本州の海岸線一周 その84

〈 丹後半島 立岩 〉本州の海岸線一周 その83

〈 丹後半島の北端 経ヶ岬 〉本州の海岸線一周 その82

〈 伊根の舟屋 〉本州の海岸線一周 その81

 

     前回の問題 解答
 『うれしいひなまつり』に出てくる植物名は、モモです。
       
 

 
     今日の問題  
 多古鼻は、別名で何の岬と呼ばれているでしょう。
         

 

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〈 地蔵崎 〉本州の海岸線一周 その90

 境水道大橋を渡った先は、島根半島(島根県松江市)です。
 美保湾を右手に見ながら東進すること約40分で、地蔵崎に至ります。

 地蔵崎は、島根半島の最東端であり、島根県の最東端に位置します。

 航海の安全を願って、岬には古くからお地蔵さんが奉納されてきたため、「地蔵崎」と呼ばれるようになったとも伝えられています。

 地蔵崎には、山陰海岸では最も古い1898年に、灯台が建設されました。
 名称は、近くの「美保関漁港」、および旧町名の「美保関町」から、「美保関灯台」と命名されました。
 「美保関灯台」は、犬吠埼灯台などと並んで、「世界の歴史的灯台100選」に選ばれています。

島根県 地蔵岬 燈台 遠景

 地蔵崎の北東沖の海上に、白い船体が見えてきました。
 境港を出港して地蔵崎の先を回ってきた船体は、この後進路を北に取ることでしょう。
 隠岐航路のおそらく「しらなみ」は、14時10分に境港を出港し、16時35分に島前へ到着、18時35分に島後へ到着する行程になっています。

島根県 地蔵岬 隠岐航路

〈 島根半島 〉本州の海岸線一周 その89

〈 境水道 〉本州の海岸線一周 その88

〈 弓ヶ浜 〉本州の海岸線一周 その87

〈 鳥取砂丘 〉本州の海岸線一周 その86

〈 穴見海岸 〉本州の海岸線一周 その85

〈 新余部橋梁 〉本州の海岸線一周 その84

〈 丹後半島 立岩 〉本州の海岸線一周 その83

〈 丹後半島の北端 経ヶ岬 〉本州の海岸線一周 その82

〈 伊根の舟屋 〉本州の海岸線一周 その81

〈 天橋立 傘松公園 〉本州の海岸線一周 その80

 

     前回の問題 解答
 『整体法の基礎 野口晴哉 著 全生社』によれば、「清い」は「気良い」と捉えられています。
       
 

 
     今日の問題  
 佐賀関半島(大分県)の先端にある関崎は、別名で何崎と呼ばれているでしょう。
         

 

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〈 秩父そば 〉秩父紀行その八

 秩父盆地は、太古の地質に囲まれています。
  
 東部は、約8500万年~約6600万年前の三波川帯。
 南部は、約2億年~約1.5億年前の秩父帯。
 南西部は、約1億年~約6600万年前の四万十帯。
 西部は、約1.3億年~約1億年前の山中白亜系。
 北部は、約1億年~約8000万年前の跡倉層。

 中央部は、約1700万年~約50万年前の新生代の地層です。
 古秩父湾が形成されたころです。

 やがて関東山地などに囲まれた秩父盆地は、礫などの地質と、荒川水系の水質などに育まれて、風味豊かなそばが盛んに栽培されるようになります。

 秩父市街のほぼ中央にあるそば処は、100年ほど前には秩父銘仙の取引をしていた由緒ある建物でした。
 店の外で1時間ほど待ちはしましたが、歴史を偲びながら舌鼓を打つことができました。 

入船 山くるみそば

〈 見るサル・聞くサル・話すサル 〉秩父紀行その七

〈 子宝子育ての虎 〉秩父紀行その六

〈 秩父まつり会館 〉秩父紀行その五

〈 わらじカツ丼 〉秩父紀行その四

〈 森閑とした神域 〉秩父紀行その三

〈 落ち葉のジュウタン 〉秩父紀行その二 

〈 旅の一歩は鰻重から 〉秩父紀行その一

〈 神戸中華街・南京町 〉西摂津紀行その8

〈 筑波山と鬼門封じ 〉筑波紀行その九

 

     前回の問題 解答
 目は閉じていても、眼球は小刻みに動いているのは、レム睡眠です。
       
 

 
     今日の問題  
 秩父地方は、日本における何学発祥の地と言われているでしょうか。
         

 

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〈 島根半島 〉本州の海岸線一周 その89

 境水道を越えた島根県の北東部は、 島根半島です。
 東端の地蔵埼から西北端の日御碕まで、東西は約66kmになります。
 その島根半島の形成を物語る、「国引き神話」が残されています。

 『出雲風土記』によれば、八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと・出雲の神)が、次のように国を引いて来たそうです。
  「志羅紀の三埼」 → 島根半島の西部
  「北門の佐伎」 → 島根半島の中西部
  「北門の良波」 → 島根半島の中東部
  「高志の都都の三埼」 → 島根半島の東部

 「志羅紀」は「しらき」で、「新羅」でしょうか。
 「北門の佐伎」と「北門の良波」は、島根半島の北方に位置する、隠岐の島前と島後でしょうか。
 「高志」は「こし」で、「越」=「越の国(越前・越中・越後)」でしょうか。

 「志羅紀」を引いてくるための杭としたのは、佐比売山(さひめやま・三瓶山)だそうです。
 「高志」を引いてくるための杭としたのは、火神岳(ひのかみだけ・大山)だそうです。

 島根県 島根半島

〈 境水道 〉本州の海岸線一周 その88

〈 弓ヶ浜 〉本州の海岸線一周 その87

〈 鳥取砂丘 〉本州の海岸線一周 その86

〈 穴見海岸 〉本州の海岸線一周 その85

〈 新余部橋梁 〉本州の海岸線一周 その84

〈 丹後半島 立岩 〉本州の海岸線一周 その83

〈 丹後半島の北端 経ヶ岬 〉本州の海岸線一周 その82

〈 伊根の舟屋 〉本州の海岸線一周 その81

〈 天橋立 傘松公園 〉本州の海岸線一周 その80

〈 天橋立 小天橋と大天橋 〉本州の海岸線一周 その79

 

     前回の問題 解答
 『超エコ生活モード 快にして適に生きる』の著者である小林孝信さんは、冷房の代りに、タオルを濡らして頭や首筋に当てるのだそうです。
       
 

 
     今日の問題  
 島根半島は、島根県の面積の何%を占めるでしょうか。
   A 約5%
   B 約10%
   C 約15%
   D 約20%
         

 

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〈 見るサル・聞くサル・話すサル 〉秩父紀行その七

 秩父神社には、「お元気三猿」と称される彫刻が飾られています。
 「よく見て・よく聞いて・よく話そう」と訴える、三匹のサルです。

 徳川家康が江戸城へ移ってきたのは、1590年です。
 その2年後に、秩父神社の社殿を再建しています。
 江戸幕府を開く11年前です。
 豊臣秀吉などと対抗しながら、「天下統一戦略」を練っていた時期です。
 情勢を的確に把握しながら、積極果敢に事を推し進めようとする姿勢が、「見るサル・聞くサル・話すサル」に如実に打ち出されています。

 秩父神社の社殿が再建され「お元気三猿」が飾られてから44年後、亡くなった徳川家康を祀るべく、三代将軍・徳川家光によって、日光東照宮の社殿が創建されます。
 そこに飾られたのが、「見ザル・言わザル・聞かザル」の三猿です。
 「悪いことを見てはいけない・悪いことを言ってはいけない・悪いことを聞いてはいけない」は、確かにその通りです。
 とはいえ、消極的かつ受動的な感じは拭えません。

 「見るサル・聞くサル・話すサル」の三猿と、「見ザル・言わザル・聞かザル」の三猿との間には、歴史の流れが見えてくるようです。
秩父神社 お元気三猿

〈 子宝子育ての虎 〉秩父紀行その六

〈 秩父まつり会館 〉秩父紀行その五

〈 わらじカツ丼 〉秩父紀行その四

〈 森閑とした神域 〉秩父紀行その三

〈 落ち葉のジュウタン 〉秩父紀行その二 

〈 旅の一歩は鰻重から 〉秩父紀行その一

〈 神戸中華街・南京町 〉西摂津紀行その8

〈 筑波山と鬼門封じ 〉筑波紀行その九

 

     前回の問題 解答
 「日次」は、「ひつぎ」以外に、「にちじ」・「ひがら」・「ひなみ」とも読みます。
      
 

 
     今日の問題  
 秩父神社の彫刻は、何年ごとに塗り替えられてきたでしょう。
  A 5年ごと
  B 50年ごと
  C 500年ごと
  D 5000年ごと
         

 

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