カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 白竜の滝 〉本州の海岸線一周 その73

 越前岬から、日本海沿いの国道305号線を南下します。
 ほどなくして越前町を過ぎ、南越前町に入ってすぐの山側に「白竜の滝」が流れ下っています。

 昔々、5家族19人を乗せた舟が、出雲から日本海を北へ北へと進んでいました。
 その際、舟を見守るように周囲を泳ぎ回っていたのが、一頭の白い竜でした。

 5家族19人が糠浦(南越前町)に無事上陸するのを見届けた白竜は、滝を上って棲み処としたそうです。
 一方の5家族19人は、糠浦に居を構えるとともに、十九社神社を守護神社として建立します。

 時代は下って、糠浦には田畑にする用地が少なく、幾つもの生業を兼ねなければなりませんでした。
 男衆の多くは、冬の間、杜氏として伏見や灘に出稼ぎに行きました。
 留守を預かる女衆は、水仙の栽培に取り組みます。

 やがて糠浦の水仙畑は、「越前海岸の水仙畑」として、「重要文化的景観」に認定されます。
福井県 白竜の滝

〈 越前岬 〉本州の海岸線一周 その72

〈 東尋坊 〉本州の海岸線一周 その71

〈 大聖寺川河口 〉本州の海岸線一周 その70

〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

〈 安宅の関跡 〉本州の海岸線一周 その68

〈 能登半島・間垣の里 〉本州の海岸線一周 その67

〈 輪島の朝市 〉本州の海岸線一周 その66

〈 能登半島・白米の千枚田 〉本州の海岸線一周 その65

〈 能登半島・木ノ浦海域公園 〉本州の海岸線一周 その64

〈 能登半島 シャク崎 〉本州の海岸線一周 その63

 
 
 

      前回の問題 解答
 大伴家持の歌の◯に入る一字は、「立」です。
   ◯山の雪し消らしも延槻の
    川の渡り瀬鐙浸かすも
    
 

 
      今日の問題  
 「越前海岸の水仙畑」で、開花は12月からですが、発芽するのは何月ごろでしょう。
       

 

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〈 越前岬 〉本州の海岸線一周 その72

 東尋坊から、断崖とトンネルが続く、日本海沿いの国道305号線を走行することおよそ1時間、日本海へ突き出た越前岬に着きます。

 泊まった宿の窓の外には、北緯36度線方向へ沈みゆく夕陽が、空も海も鮮やかに紅く染めています。
 越前岬は、「日本の夕陽 百選」に選ばれています。

 宿の部屋名は、「石鯛の間」。
 淡い期待を寄せて夕餉の膳に向うと、刺身の船盛に石鯛はありませんでしたが、豪華な越前ガニが歓待してくれました。

福井県 越前岬 夕焼け

 「黄色やオレンジ色をした夕焼けの翌朝の天気は晴れる」という確率通りに、文字通りの快晴です。

 山を登ったところにある越前岬展望台からは、眼下に越前岬灯台が見下ろせ、その先には日本海の大海原が果てしなく広がっていました。
福井県 越前岬 展望台

〈 東尋坊 〉本州の海岸線一周 その71

〈 大聖寺川河口 〉本州の海岸線一周 その70

〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

〈 安宅の関跡 〉本州の海岸線一周 その68

〈 能登半島・間垣の里 〉本州の海岸線一周 その67

〈 輪島の朝市 〉本州の海岸線一周 その66

〈 能登半島・白米の千枚田 〉本州の海岸線一周 その65

〈 能登半島・木ノ浦海域公園 〉本州の海岸線一周 その64

〈 能登半島 シャク崎 〉本州の海岸線一周 その63

〈 能登半島 禄剛崎 〉本州の海岸線一周 その62

 
 
 

      前回の問題 解答
 ヌーク(カラーリット・ヌナート)における最暖月=7月の平均最低気温は、+ 5℃です。
    
 

 
      今日の問題  
 越前岬付近の地名「左右」は、何と読むでしょう。
       

 

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闘竜灘 加古川中流(兵庫県)

 兵庫県を流れる川で約96kmと最大なのは、加古川です。
 加古川は、河床の勾配が緩くて舟運に適し、播磨地方の大動脈をなしていました。

 そのような加古川にも、難点がありました。
 河口から35kmほど遡った地点が、巨大な岩に覆われた瀬や滝になっているからです。
 その名は、恐ろしげな「闘竜灘」です。

闘龍灘 岩の起伏

 これでは川船が通れません。
 江戸時代、加古川上中流域から集めてきた荷を闘竜灘の手前で川船から降ろし、闘竜灘を過ぎた地点で川船に積み換えて下っていました。
 明治時代になると、ダイナマイトが利用できるようになります。
 闘竜灘でも開削工事が進められます。
 その結果「堀割水路」が完成し、舟運や筏流しが発展します。

闘龍灘 堀割水路

 闘竜灘は、鮎漁の名所でもあります。
 闘竜灘沿いに建つ宿で、闘竜灘を眺めながらの鮎の塩焼きは格別でした。

闘龍灘 鮎

 
〈 筑波山と鬼門封じ 〉筑波紀行その九

 
 
 

      前回の問題 解答
 英語でwinter melonと言われている植物は、トウガンです。
    
 

 
      今日の問題  
 闘竜灘の最寄り駅(加古川線)は、何駅でしょう。
        

 

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〈 東尋坊 〉本州の海岸線一周 その71

 福井県の最北端=大聖寺川河口から西南方向へ、日本海沿いに1時間ほど車を進めると、日本海へ突き出た東尋坊に到ります。

 東尋坊は、50万年ほど前に隆起した、台地状の丘陵地です。
 周りは、約1kmに渡って20m以上の海食崖になっています。

 その海食崖には、柱状節理が発達しています。
 マグマや溶岩が時間をかけて冷えていき、五角柱や六角柱の柱状に縮んで、柱状節理になります。

 東尋坊の柱状節理は、日本で最高級です。
 それゆえ、天然記念物・名勝・日本の地質百選に選ばれています。

福井県 東尋坊 全景

福井県 東尋坊 近景

〈 大聖寺川河口 〉本州の海岸線一周 その70

〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

〈 安宅の関跡 〉本州の海岸線一周 その68

〈 能登半島・間垣の里 〉本州の海岸線一周 その67

〈 輪島の朝市 〉本州の海岸線一周 その66

〈 能登半島・白米の千枚田 〉本州の海岸線一周 その65

〈 能登半島・木ノ浦海域公園 〉本州の海岸線一周 その64

〈 能登半島 シャク崎 〉本州の海岸線一周 その63

〈 能登半島 禄剛崎 〉本州の海岸線一周 その62

〈 能登半島 見附島 〉本州の海岸線一周 その61

 
 
 

      前回の問題 解答
  ヌーク(カラーリット・ヌナート)における最寒月=2月の平均最高気温は、- 7℃です。
    
 

 
      今日の問題  
 「崩れ川」が由来とされ、東尋坊のすぐ西に河口があるのは、何川でしょう。
        

 

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〈 大聖寺川河口 〉本州の海岸線一周 その70

 北前船の里がある加賀市は、石川県で最も西に位置します。
 加賀市を日本海沿いに進むと、貴重な海浜植物群落がある塩屋海岸に至ります。

 塩屋海岸の西隣は、大聖寺川の河口です。
 山中温泉を貫いて流れてきた大聖寺川が、日本海へ流れ込みます。

 この大聖寺川河口は、石川県と福井県の境界です。
 大聖寺川河口の右岸は、石川県の最西端になります。

石川県 大聖寺川 河口

 大聖寺川河口の左岸は、福井県の最北端です。
 石川県側から見ると、対岸は小山になっています。
 照葉樹林の原生林で被われた、鹿島の森です。

石川県 大聖寺川 福井県側

〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

〈 安宅の関跡 〉本州の海岸線一周 その68

〈 能登半島・間垣の里 〉本州の海岸線一周 その67

〈 輪島の朝市 〉本州の海岸線一周 その66

〈 能登半島・白米の千枚田 〉本州の海岸線一周 その65

〈 能登半島・木ノ浦海域公園 〉本州の海岸線一周 その64

〈 能登半島 シャク崎 〉本州の海岸線一周 その63

〈 能登半島 禄剛崎 〉本州の海岸線一周 その62

〈 能登半島 見附島 〉本州の海岸線一周 その61

〈 能登半島 白丸地区の黒瓦 〉本州の海岸線一周 その60

 
 
 

      前回の問題 解答
 ヌーク(カラーリット・ヌナート)における最寒月=2月の平均最低気温は、-11℃です。
    
 

 
      今日の問題  
 福井県最北端に当たる大聖寺川河口の左岸を含み、福井県で最も北に位置するのは、何市でしょう。
        

 

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〈 筑波山と鬼門封じ 〉筑波紀行その九

 江戸時代には、「西の富士・東の筑波」と、筑波山が富士山と並び称されていました。
 両者とも、広い裾野を持つ独立峰で、秀麗な山容を示しています。
 とはいうものの、標高3776mの富士山に対し、筑波山は標高が877mと二割強しかありません。
 標高では圧倒される筑波山が、富士山と肩を並べるに至った背景には、江戸の街との位置が関係していました。

 日本では古くから、東・西・南・北・北東・東南・南西・西北の八方位のうち、北東を鬼門と捉えていました。
 北東方向は、忌むべき方位であると考えらていました。

 江戸に幕府を開くにあたり、江戸城の北東方向に当たる上野に寛永寺が創建されました。
 神田明神も、江戸城の北東方向に移築させられました。
 これらは、「鬼門封じ」と呼ばれています。

 江戸の街を離れた北東方向にも、「鬼門封じ」が講じられました。
 それが、筑波山を神域とする筑波山神社です。
 筑波山は、神社ともども、江戸幕府と江戸の街の守り神となりました。

 江戸幕府は、それだけで十分とは考えられなかったのでしょう。
 筑波山を越えたさらに北東方向に、水戸城があります。
 その水戸城に、徳川御三家の一つを配置して、江戸防衛の万全を期したのでした。

筑波 山容

〈 東の頂・女体山 〉筑波紀行その八

〈 西の頂・男体山 〉筑波紀行その七

〈 筑波山ケーブルカー 〉筑波紀行その六

〈 大道芸「ガマの油売り」 〉筑波紀行その五

〈 スイカの石碑 〉筑波紀行その四

〈 地図と測量の科学館 〉筑波紀行その三

〈 サイクルパークつくば 〉筑波紀行その二

〈 つくばジオミュージアム 〉筑波紀行その一

〈 茨城県 最西端 〉    常陸紀行

〈 深海は命の絆 〉    常陸紀行

〈 霞ヶ浦と筑波山 〉   常陸紀行

〈 歩崎 西浦 〉     常陸紀行

〈 溺れ谷・海跡湖 北浦 〉 常陸紀行

〈 県境の湖 外浪逆浦 〉 常陸紀行

〈 鹿島神宮・要石 〉    常陸紀行

〈 大助人形 〉      常陸紀行

〈 利根川 0.00km距離標 〉常陸紀行

〈 茨城県 最南端 〉   常陸紀行

 
 
 

      前回の問題 解答
 蒸気機関車による公共輸送が19世紀に始まったのに対して、電車による公共輸送が始まったのも19世紀です。
   
 

 
      今日の問題  
 縄文海進のころ山麓までが海が迫り、「着く波」と呼ばれたのが基になった山の名前は、何でしょう。
        

 

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〈 北前船の里資料館 〉本州の海岸線一周 その69

 安宅の関跡を後にし17kmほど南西下すると、橋立集落に入ります。
 橋立集落は、北前船の船主や船頭などが居住する船主集落で、「日本一の富豪村」と呼ばれていました。

 江戸時代から明治時代の初期にかけて、北海道の産物を大阪へ運び、西日本の産物を東日本へ運ぶ、大動脈を担っていたのは、北前船でした。
 北前船は、北海道・日本海沿岸・瀬戸内海沿岸・大阪を結んでいました。
 その大型船を保有する船主の多くが、橋立集落に在住していました。

 とは言え、橋立集落には北前船の大型船を係留できる港はありません。
 北前船の大型船は、大阪に係留しておき、橋立集落から陸路で向かったようです。
 その後、春から秋にかけて、大阪~北海道を一往復しました。
 この一往復で、船頭は1000万円も稼いだと言われています。
 船主は、一億円もの収入を得て、全国の高額所得者番付表に、名を連ねました。

 北前船船主の一人・酒谷長兵衛が残した大邸宅が、北前船の里資料館となっています。
石川県 北前船資料館

〈 安宅の関跡 〉本州の海岸線一周 その68

〈 能登半島・間垣の里 〉本州の海岸線一周 その67

〈 輪島の朝市 〉本州の海岸線一周 その66

〈 能登半島・白米の千枚田 〉本州の海岸線一周 その65

〈 能登半島・木ノ浦海域公園 〉本州の海岸線一周 その64

〈 能登半島 シャク崎 〉本州の海岸線一周 その63

〈 能登半島 禄剛崎 〉本州の海岸線一周 その62

〈 能登半島 見附島 〉本州の海岸線一周 その61

〈 能登半島 白丸地区の黒瓦 〉本州の海岸線一周 その60

〈 能登半島 九十九湾 〉本州の海岸線一周 その59

 
 
 

      前回の問題 解答
 カラーリット・ヌナート(グリーンランド)で、氷床や万年雪で覆われているのは、約80%です。 
   
 

 
      今日の問題  
 北前船で船長の役割を果たしていたのは、船頭です。
 では、航海士の役割を果たしていたのは、何と呼ばれていたでしょう。
        

 

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