安宅の関跡を後にし17kmほど南西下すると、橋立集落に入ります。
橋立集落は、北前船の船主や船頭などが居住する船主集落で、「日本一の富豪村」と呼ばれていました。
江戸時代から明治時代の初期にかけて、北海道の産物を大阪へ運び、西日本の産物を東日本へ運ぶ、大動脈を担っていたのは、北前船でした。
北前船は、北海道・日本海沿岸・瀬戸内海沿岸・大阪を結んでいました。
その大型船を保有する船主の多くが、橋立集落に在住していました。
とは言え、橋立集落には北前船の大型船を係留できる港はありません。
北前船の大型船は、大阪に係留しておき、橋立集落から陸路で向かったようです。
その後、春から秋にかけて、大阪~北海道を一往復しました。
この一往復で、船頭は1000万円も稼いだと言われています。
船主は、一億円もの収入を得て、全国の高額所得者番付表に、名を連ねました。
北前船船主の一人・酒谷長兵衛が残した大邸宅が、北前船の里資料館となっています。
前回の問題 解答
カラーリット・ヌナート(グリーンランド)で、氷床や万年雪で覆われているのは、約80%です。
今日の問題
北前船で船長の役割を果たしていたのは、船頭です。
では、航海士の役割を果たしていたのは、何と呼ばれていたでしょう。
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