カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 関門国道トンネル・後編 〉門司紀行その10

 関門鉄道トンネルの開通から遅れること16年後、関門国道トンネルが開通しました。
 全長は3461m、幅は7.5mで、片側1車線です。
 ただし、関門国道トンネルは二階建てになっています。
 二階部分は車道で、一階部分は人道です。

 人道部分の全長は780m、幅は3.85mです。
 関門国道トンネル・車道の全長より、関門国道トンネル・人道の全長が大幅に短いのは、関門海峡へギリギリの地点にエレベーターが設置されていて、関門国道トンネル・人道へ接続できるからです。

 関門国道トンネル・人道の門司側から300mの地点であり、関門国道トンネル・人道の下関側から480mの地点でもあり、海底から約58mの地点は、様々な境界です。
   九州と本州の境界
   福岡県と山口県の境界
   北九州市と下関市の境界

 他の海底トンネルにはない、境界を跨ぐという貴重な経験を成していた時、学生四人組と出会いました。
 九州最南端の地・佐多岬を出発し、九州を縦断、関門国道トンネル・人道を抜け、本州を日本海に沿って縦断、青函海峡を渡り、北海道を縦断して、北海道最北端の地・宗谷岬を、目指す途中でした。
 全コース自転車に乗っての大冒険ですが、関門国道トンネル・人道は歩行者優先のため、自転車を押して歩かなければならないのが、残念そうでした。
関門トンネル 自転車

〈 関門国道トンネル・前編 〉門司紀行その9

〈 関門橋 〉門司紀行その8

〈 和布刈公園 〉門司紀行その7

〈 九州最北端 太刀浦埠頭 〉門司紀行その6

〈 新門司港 〉門司紀行その5

〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

 

     前回の問題 解答
 「天の川銀河」に含まれる恒星約2000億個のうち、お互いの周りを回っている「連星」は、約70%を占めます。 
                     

 
 
     今日の問題  
 本州最北端の地は、何岬でしょう。 

    

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〈 壇ノ浦 〉本州の海岸線一周 その109

 火の山の眼下は、早鞆瀬戸と呼ばれ、関門海峡で最も狭い水域です。
 長さは630mで、九州側は和布刈、本州側は壇ノ浦です。
 この壇ノ浦で、歴史を決する戦が繰り広げられました。
 
 瀬戸内海を敗走してきた平知盛(清盛の子)ら平氏は、彦島(関門海峡の西部)を拠点として、関門海峡を死守しようとします。
 今から840年前に、瀬戸内海を追走してきた源義経(源頼朝の弟)ら源氏の軍船団と、彦島から出陣してきた平氏の軍船団が、激突します。

 当初は西から東へ流れていた潮流が東から西へ急変し、源氏側が有利になります。
 また、源氏側は平氏側の武士よりも水夫を狙い撃ちに重点を置いたため、平氏側の軍船団の操船が危うくなります。
 その他様々な要因が重なって、壇ノ浦の戦いは源氏側の勝利となり、平氏は滅亡します。

 壇ノ浦は、「武士階級が貴族社会に依存し続ける」か、それとも「武士階級がそれまでとは異なる新たな武家社会を構築する」かの、歴史的な岐路に立つ地でした。
山口県 壇ノ浦

〈 火の山 〉本州の海岸線一周 その108

〈 唐戸市場とフクマネキン 〉
     本州の海岸線一周 その107

〈 関彦橋 〉本州の海岸線一周 その106

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

〈 本州最西北部・向津具半島 〉
     本州の海岸線一周 その101

〈 三角州に造られた城下町・萩 〉
     本州の海岸線一周 その100

〈 日本一低い火山・笠山 〉
     本州の海岸線一周 その99

 

     前回の問題 解答
 100g当たりのカルシウムで、サツマイモは、ジャガイモの12倍含有しています。
                     

 
 
     今日の問題  
 江戸時代末期の1863年、壇ノ浦の北西部で何戦争が起きたでしょう。

    

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〈 舞鶴城(福岡城)と天守閣 〉築紫紀行その17

 筑前国の福崎に、1601年から1607年にかけて、足掛け七年の歳月を要して築かれた城郭は、数多くの櫓が建ち並ぶ姿が鶴が舞う光景に見えることから、舞鶴城と呼ばれました。
 舞鶴城を築いたのは、黒田長政です。
 黒田長政は、本来の地名である「筑前国福崎」を、黒田氏ゆかりの地名である「備前国福岡」と掛けて「筑前国福岡」とし、福岡城とします。

 舞鶴城(福岡城)の東側には那珂川、西側には草ヶ江(入り江)、北側には博多湾が、あります。
 その上、一号堀から六号堀までが築かれ、盤石の防御態勢が敷かれています。

 九州で最大級の舞鶴城(福岡城)には、天守台が残されてあるものの、天守閣はありません。
 「もともと天守台が築かれただけ」との見方もあれば、「天守閣は解体された」との見方もあります。
 諸説が錯綜する中、移築説が注目を集めています。

 江戸時代の草創期、全国の大名の配置を巡って、転封や改易が頻発していました。
 折しも江戸幕府は、大阪夏の陣で焼失した大阪城を再建します。
 黒田長政は、江戸幕府に恭順の意を示すために、大阪城再建用の資材として、舞鶴城(福岡城)の天守閣を提供したのかもしれません。

 なお、江戸城の天守閣は、1657年に焼失し、以後再建されません。
 大阪城の天守閣は、1665年に焼失し、江戸時代には再建されません。
 舞鶴城(福岡城)は、江戸時代の草創期に消失し、以後再建されません。
 江戸時代の大半、江戸城も、大阪城も、福岡城も、天守閣は無いままでした。

福岡城

福岡城 天守台

〈 戒壇院 〉築紫紀行その16

〈 博多湾 ー 水城 ー 大宰府 〉築紫紀行その15

〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

〈 柳川城址と藩主別邸 〉築紫紀行その7

 

     前回の問題 解答
 刑部岬(旭市)と北条海岸(館山市)は、日本の夕陽百選に選ばれています。
                     

 
 
     今日の問題  
 福岡県内で『日本百名城』に選ばれているのは、何城と何城でしょう。

    

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〈 関門国道トンネル・前編 〉門司紀行その9

 門司側の和布刈と、下関側の壇ノ浦の間を流れているのは、早鞆瀬戸(はやとものせと)です。
 最も狭い幅630mを、最速で時速約20kmの潮が流れています。
 その海底を通っているのが、関門国道トンネルです。

関門トンネル 人道入口

  1937年 調査用のトンネルが着工
  1957年 トンネル本体が完成
  1958年 関門国道トンネルが開通
 戦中戦後の休工期間を挟み、足掛け21年間にも及ぶ、大工事でした。

関門トンネル 人道 標識 門司・下関

 厚さ約1mのコンクリートが、トンネルを地圧と水圧から守り抜いています。
 換気のために、トンネル内と地上部を繋ぐ4本の垂直トンネル(立坑)が、建設されています。
 設置されているポンプは、一日あたり約4800トン、25mプール16面分もの水を、排水し続けています。

関門トンネル 県境

〈 関門橋 〉門司紀行その8

〈 和布刈公園 〉門司紀行その7

〈 九州最北端 太刀浦埠頭 〉門司紀行その6

 〈 新門司港 〉門司紀行その5

〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

 

     前回の問題 解答
 次の言葉を残して発明に没頭したのは、エジソンです。
 「みんな寝過ぎだ。わたしは、死んだ後にたっぷり眠るつもりだ。」
                     

 
 
     今日の問題  
 関門国道トンネルの調査用のトンネルが着工した1937年、日中戦争の始まりとなる何事件が起きたでしょう。 

    

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〈 火の山 〉本州の海岸線一周 その108

 唐戸市場を後にして、関門海峡沿いに下関の市街地を北西方向に進むと、左手に火の山が聳えてきます。
 標高は、268mです。

 昔々、山頂付近に敵軍の動向を知らせるための狼煙台が設けられました。
 この「狼煙」が「火」に転化して、「火の山」と呼ばれるようになったようです。
 火の山は、名称の由来以降も、戦いと深く繋がります。

 火の山の南側眼下は、壇之浦です。
 平安時代末期の1185年、平家と源氏の雌雄を決する最後の戦いが、繰り広げられました。

 火の山の東側眼下には、長州藩下関前田台場跡があります。
 江戸時代末期の1863年と1864年、長州藩とアメリカ・イギリス・オランダ・フランスが、武力衝突を繰り返しました。

 明治時代に入ると、火の山は下関要塞に繰り込まれ、山頂には砲台が設置されました。
 要塞から解除されたのは、第二次世界大戦の後です。

 800余年に渡る戦乱の世を経て、風光明媚な火の山は、市民に開放されます。
 1956年には、火の山公園が開設されています。

山口県 火の山公園

〈 唐戸市場とフクマネキン 〉
     本州の海岸線一周 その107

〈 関彦橋 〉
     本州の海岸線一周 その106

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉
     本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

〈 本州最西北部・向津具半島 〉
     本州の海岸線一周 その101

〈 三角州に造られた城下町・萩 〉
     本州の海岸線一周 その100

〈 日本一低い火山・笠山 〉
     本州の海岸線一周 その99

〈 阿武海岸・合併を避けた阿武町 〉
     本州の海岸線一周 その98

 

     前回の問題 解答
 一年ごとに拡大するサバクの面積は、地球全体で約60000㎢にもなります。
                     

 
 
     今日の問題  
 瀬戸内海国立公園で最西端に当たるのは、何山でしょう。

    

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〈 関門橋 〉門司紀行その8

 和布刈公園の真下に、和布刈トンネルが通っています。
 北九州市門司区側から下関市方面に和布刈トンネルを抜けると、関門橋が出迎えてくれます。

 関門海峡を跨ぐ関門橋は、全長が1068mもあり、開通当時は国内最長で世界第十位の吊り橋でした。
 幅は26m、桁下から海面までは61mもあります。

 関門を南北に挟む門司区と下関市を結ぶ交通路は、航路を除いて三本ありました。
  関門鉄道トンネル(山陽本線)
  関門国道トンネル(国道2号線)
  新関門トンネル(山陽新幹線)
 いずれも関門海峡の下を抜ける、海底トンネルです。

 古来からの海上交通路に、近年の海底交通路が加わり、さら橋上交通路も加わりました。
 関門海峡は、三層の交通路がひしめく、日本屈指の交通の要衝です。

関門橋

〈 和布刈公園 〉門司紀行その7

〈 九州最北端 太刀浦埠頭 〉門司紀行その6

 〈 新門司港 〉門司紀行その5

〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

 

     前回の問題 解答
 利休が自害した直後、秀吉は、インドとフィリピンへ入貢を要求し、朝鮮への侵略を命じました。
                     

 
 
     今日の問題  
 関門橋が開通した1973年前後、日本も世界も何に大騒ぎしていたでしょう。

    

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〈 戒壇院 〉築紫紀行その16

 大宰府政庁跡から東へ500mほど離れて、築紫観世音寺があります。
 大宰府との関係が密接だったことから、「府の大寺」と呼ばれていました。
 築紫観世音寺境内の西南角に建てられているのが、戒壇院です。

 戒壇とは、戒律を受ける僧と、戒律を授ける僧が、座って問答を重ねる壇のことです。
 鑑真が日本に戒律を伝えて以来、正式な僧になるためには、戒律を受けなければならなくなりました。
 そこで設けられたのが、日本三戒壇です。
  東戒壇  下野薬師寺(栃木県)
  中央戒壇 東大寺(奈良県)
  西戒壇  築紫観世音寺(福岡県)

戒壇院 建物

 戒壇院の東側に、ボダイジュ(天然記念物)が聳えています。
 樹高は6.10m、幹周りは1.28mです。
 樹齢は200年以上と、推定されています。

 シャカは、ボダイジュの木の下で、悟りを開いたと伝えられています。
戒壇院 菩提樹

〈 博多湾 ー 水城 ー 大宰府 〉築紫紀行その15

〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

〈 柳川城址と藩主別邸 〉築紫紀行その7

〈 柳川・北原白秋生家 〉築紫紀行その6

 

     前回の問題 解答
日本国憲法第24条で、◯◯に入る熟語は、「両性」 「夫婦」 「相互」です。
  婚姻は、◯◯の合意のみに基づいて成立し、◯◯が同等の権利を有することを基本として、◯◯の協力により、維持されなければならない。
                   

 
 
     今日の問題  
 戒壇院が創建された1260年前ごろは、何時代でしょう。

    

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