小田原文学館の別館として、白秋童謡館が建っています。
北原白秋は、33歳(1918年)から40歳(1925年)まで、小田原で暮らしていました。
転居して間もなく、『赤い鳥』の創刊に尽力します。
転居から4年目には、何度かの離別を経て、生涯の伴侶を得ます。
その年に発表されたのが、『揺籃のうた』で、「日本の歌百選」に選ばれています。
揺籃のうたを カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
転居から5年目には長男が生まれ、穏やかな家庭生活を送れると思っていた矢先、関東大震災が発生します。
小田原は、全半壊が約約8000軒、消失が約2000軒・・・という大被害に見舞われます。
その渦中、北原白秋は次の手記を残しています。
地はまた絶えず鳴り動いた。
だが私の前にも後ろにも、今のかぎりの胡麻の花がうす紅く震えていた。
< 中略 >
こうした恐ろしい時も、胡麻は胡麻としての知恵と営みをやっぱし続けている。
前回の問題 解答
シベリア鉄道の全長9297kmは、東海道本線(東京~神戸)の約16倍です。
今日の問題
北原白秋が小田原で生活している間に創ったのは、次のどの作品でしょう。
あわて床屋
からたちの花
この道
ペチカ
待ちぼうけ
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