蘇我馬子と厩戸皇子は、日本列島各地で牧(ウマの放牧地)が拡大し、日本がウマの輸入国からウマの輸出国へ転換した六世紀に、生まれています。
蘇我馬子 550年(午年)の生まれ
厩戸皇子 574年(午年)の生まれ
厩戸皇子の父方の祖母は、馬子の姉です。
厩戸皇子の母方の祖母は、馬子の妹です。
それ故、厩戸皇子の出産場所は、母親の実家である馬子の屋敷だった可能性があります。
「馬子の屋敷」で生まれたから、「ウマヤド」 → 「厩戸」となったのかもしれません。
厩戸皇子は、推古天皇の皇太子や摂政になって、冠位十二階や憲法十七条の制定など、政事を主導したという見方もあります。
しかし、皇太子や摂政は、厩戸皇子よりも後世に制度化されています。
冠位十二階や憲法十七条の制定など政事を主導したのは、蘇我馬子です。
大化改新を起こして蘇我氏を駆逐しようとした勢力が、「蘇我馬子による治政」を「厩戸皇子改め聖徳太子による治政」へ、改変したのです。
蘇我馬子の墓と推定される石舞台遺跡は、墳丘の盛り土がすっかり削り取られ、地中深くに設置されていたはずの玄室が野晒しになっています。
『7月26日から9月7日までの間に 』
9月の開進学園だより
前回の問題 解答![]()
耳成山から南方へ約1kmの地点にあるのは、藤原京の跡です。
今日の問題
摂政が導入された年と、皇太子が制度化された年は、それぞれ何年でしょう。

