千利休と豊臣秀吉 その11

 1591年の二月二十八日(太陽暦では4月21日)、京都の街は、雨脚が強く、2cmもの大粒の雹も降り、雷も鳴り響く、異様な天気に覆われていました。
 これから起こる悲劇の序曲が、大音響とともに奏でられ出したかのように。

 千利休が控える屋敷は、3000名もの兵士によって、守り固められています。
 武将達のいずれかが、師と仰ぐ利休を助け出すために、進撃してくると思われたからです。

 天空や屋敷外の喧噪を余所に、屋敷の中は静まり返っています。
 利休は、最期の一服を飲み干すと、白装束に着替え、腹を切ります。
 白装束をほとばしる鮮血で染め上げながら、傍らにこの辞世を残して。

  人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺
  提る 我得具足の 一太刀 今此の時ぞ 天に抛
 
 秀吉が利休へなぜ切腹を命じたかは、500年を過ぎても、諸説が錯綜しています。
           < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

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 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 
 

     前回の問題 解答
 トリでありながらトリでない漢字は、「烏」です。
           

 
 
     今日の問題  
 千利休の辞世の最後・「天に抛」は、何と読むのでしょう。
             

  

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