千利休と豊臣秀吉 その10

 京都から関東地方の小田原まで豊臣秀吉に随行してきた千利休は、東北地方の会津へは向かわず、京都へ戻ってしまいます。

 秀吉が奥羽仕置に精を出している最中であるにも関わらず、利休は、京都へ帰着するやいなや、茶会を繰り返します。
 さらに、『利休百会記』に記された茶会を精力的に催し続けます。

 利休が会津まで随行せずに京都へ戻ったのは、小田原の陣中における出来事が関係しているかもしれません。

 利休は、陣中で竹製の花入れを作り、秀吉へ差し出しました。
 すると秀吉は、差し出された花入れを地面へ投げつけたそうです。

 何故にそのような挙動を取ったのか、利休にとってはすごくショックだったでしょう。
 手製の花入れを無下にされたことに止まらず、茶の湯に関わる品々を身近な素材に替えようした矢先であれば尚更のこと。    < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

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 「三連アーチ橋・中橋」は、完成してから89年経過しています。  
         

 
 
     今日の問題  
 利休は、京都へ戻った秀吉との仲を取り戻せたでしょうか。
            

  

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