カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

 南下する四万十川の流れに別れを告げ、山々を抜けて、土佐湾を目指します。
 着いた先は、中土佐町の久礼です。

 街中にあるのは、大正町市場。
 漁師のおかみさん達が、採れたての魚などを販売しています。

久礼 市場 全景

 久礼は、400年も前からカツオ漁が盛んな漁師町です。
 「鰹乃國」とも呼ばれています。

 昔ながらの風情も、色濃く残っています。
 漁師町としては全国で初めて、「重要文化的景観」に指定されました。

久礼 市場 魚

 市場では、一頭売りも好調なようで、残り少なくなっています。
 とは言え、一頭買いができない観光客のためのサービスもあります。

 好みの魚を選んで料金を支払えば、その場で調理してもらい、市場に隣接する食堂へ届けてくれます。
 裁きたての刺身は、格別です。

久礼 市場 刺身

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一

 
 
       前回の問題 解答
 三日分の痰を採取してガン細胞などが含まれているかいないかを調べるのは、喀痰細胞診検査です。
 
 

        今日の問題 
 久礼の海岸に立つ避難タワーは、漫画『土佐の一本釣り』に因んで、何タワーと呼ばれているでしょう。

 

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〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

 京都市街の東寄りで大文字山の麓にある東山慈照寺(銀閣寺)に着いたのは、開門時間前の早朝。
 寺の方々が、折からの雪を掃いて道づくりをしていました。
 総門とその奥の寺域は、重々しい雪空に覆い被されています。

京都 慈照寺 総門

 1477年に応仁の乱が終わって5年後、足利義政(室町幕府八代将軍)は、隠棲生活を送るため、山荘東山殿を造営します。
 10年間にも渡る乱が収束したとは言え、各地で一揆が続発し、息子・足利義尚や妻・日野富子との確執など難問を抱え、身も心も休まる地を求めたのでしょう。
 総門を抜けて50mほど続く銀閣寺垣を行くと、俗界とは別世界へ抜け出たようです。

京都 慈照寺 銀閣寺垣

 足利義政は、東求堂(とうぐどう・檜皮葺きで現存する最古の書院)、善阿弥作の池泉回遊式庭園・・・を、次々に造営します。
 最後は、観音殿銀閣です。
 一層・心空殿(書院風)と二層・潮音閣(唐様仏殿)からなる観音殿の完成の翌年、足利義政は亡くなります。

京都 慈照寺 銀閣 雪

 展望所から眺めると、観音殿銀閣も、向月台も、薄っすら雪化粧をしていました。
 展望所を下りて、観音殿銀閣を見上げると、屋根上の雪は見えず、池の畔に立つウメの蕾が膨らんでいるように見えました。
 まさに春隣の東山慈照寺(銀閣寺)でした。

京都 慈照寺 銀閣 ウメ

 
〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 
       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、「学」です。
   少年老い易く「 」成り難し
 
 

        今日の問題 
 東山慈照寺は、誰の法号に因んで命名されたのでしょう。

 

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〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

 四万十川は、源流部から一路南下します。
 ただし、約27km下った地点で、流路を90度変え、西方へ進みます。
 その後、西進 → 南進 → 西進 → 北進・・・と、凄まじい曲流を続けます。
 実距離と直線距離の比(曲流率)は、四万十川が3.77と、利根川の2倍を超えます。

 曲流率が高ければ、洪水の被害を受けやすくなります。
 洪水に強くするためには、橋脚を高く強くしなければなりません。
 そうは言っても、交通量が少なく、対岸とを主に歩いて渡る生活道路の橋に、多額の費用は掛けられません。

 そこで、洪水に遭うことを前提にした橋作りが求められます。
 橋を、川面から高くせずに、増量したら川の流れに入るようにします。
 洪水が運ぶ流木などに巻き込まれないように、欄干は設けません。

 こうして、最小限の費用で架けられたのが、沈下橋です。
 四万十川水域には、約50の沈下橋が残っています。

四万十川 沈下橋 2 

四万十川 沈下橋 3 

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一

 
 
       前回の問題 解答
 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)の七重塔の高さは、約63m と言われています。
 

        今日の問題 
 四万十川水域で用いられる「沈下橋」は、公式には何橋と呼ばれるでしょう。

 

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〈 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺) 〉房総紀行

 五井駅(内房線)の方に向かって、南東から北西方向へ、舌状の台地が三つ突き出ています。
 そのうち、北寄りの台地に、上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺)が、建立されていました。
 中ほどの台地には、市原市役所が建っています。
 そして、南寄りの台地には、上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)が、建立されていました。

 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺)は、全国の法華滅罪之寺(国分尼寺)の中で、最大の規模です。
 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)は、全国の金光明四天王護国之寺(国分寺)の中で、三番目の規模です。
 畿内(当時の日本の中心)から遠く離れた地に、これほどの法華滅罪之寺(国分尼寺)と金光明四天王護国之寺(国分寺)が建立される程、当時の上総は国力が豊かだったのでしょう。
  
 そのころのヤマト政権は、朝鮮半島と対峙するために、九州に防人(さきもり)を配置していました。
 防人は、全国から毎年約1000人ずつ徴集されていましたが、そのうち半数は上総と下総の農民でした。

 写真は、法隆寺五重塔の二倍近い高さを誇った、七重塔の心礎です。
上総国分寺

〈 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺) 〉房総紀行

〈 布良海岸と『海の幸』 〉  房総紀行

〈 根本海岸と若山牧水 〉   房総紀行

〈 東京大空襲と東京湾観音 〉 房総紀行

〈 大房岬 〉         房総紀行

〈 洲崎に沈む夕日 〉     房総紀行

〈 勝浦海岸 八幡岬 〉    房総紀行

〈 刑部岬と飯岡 〉      房総紀行

〈 黒生海岸 とんび岩 〉   房総紀行

 
       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、勤勉です。
   「 」は成功の母

 

        今日の問題 
 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)の七重塔の高さは、どれでしょう。
   A 約13m
   B 約23m
   C 約33m
   D 約43m
   E 約53m
   F 約63m

 

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〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

 京都市街の北西部にある北野天満宮へ向かう道は、大勢の人で溢れるようです。
 受験真っ只中ということもあるでしょう。
 そこに、梅の見ごろも重なりました。

 北野天満宮は、菅原道真を祀る神社です。
 菅原道真と言えば、有名な和歌があります。

    東風吹かば
   匂ひおこせよ梅の花
   あるじなしとて
   春を忘るな

 菅原道真が、京都からはるばる九州の大宰府へ左遷させられる際の心情を詠ったとされています。

 北野天満宮の左手奥にある梅苑「花の庭」は、種類によってまちまちですが、全体としては八分咲きと言えます。
 紅梅も、白梅も、春の陽射しを浴びて、気持ちよさそうです。
 「春隣」というより、「春めく」風情の、梅苑「花の庭」でした。

京都 北野天満宮 紅梅

京都 北野天満宮 白梅

 
〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 
 
 
      前回の問題 解答
 スカンディナヴィア半島西岸に見られる、氷河による浸食によって形成されたU字谷は、「フィヨルド」と呼ばれます。
 

      今日の問題 
 北野天満宮には、何本ほどの梅の木が植えられているでしょう。
   A 約15本
   B 約150本
   C 約1500本
   D 約15000本
   E 約150000本

 

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〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

 津野町に一泊した翌朝、不入山(いらずやま)へ向かいます。

 土佐藩の時代、一般人の立ち入りが禁じられていた、「御留山」です。
 人の手が加えられていないため、学術参考保護林に指定されています。

 車を降り、広葉樹に囲まれた山道を、せせらぎの音に誘われながら登ります。
 狭い流路のほとんどを占める大小の岩々は、ビッシリと苔むしています。

 登山口から30分程で、四万十川の源流部に到達です。
 苔に包まれて岩も幹も緑一色になっている中、か細く流れ下る滝と、四万十川の源流部を示す木製標柱の、白さが際立ちます。
  「四万十川196kmの流れ、ここに発す」

四万十川 源流部

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉  土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉       土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉          土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉   土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉 土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉         土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉>    初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉>    初冬の土佐路 その一

 
 
 
       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、学問です。
   「 」に王道なし
 

        今日の問題 
 アイヌ語の「シ・マムタ(とても美しい)」から名付けられたという説があるのは、何川でしょう。

 

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〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一

 屋根に雪を纏った慈照寺(銀閣)に着いたものの、開門時間はまだまだ先。
 しばらく辺りを散策していると、「大文字山」との小さな道標が目に留まります。
 ちょっと登ってみたくなりました。

 京都の夏を代表する行事の一つが、大文字(大文字の送り火・五山送り火)です。
 夏の夜空を赤々と照らす「大」の字が、春隣にはどうなっているのでしょう。

 気楽に登り始めたものの、甘くはありません。
 小雪とはいえ、間断なく降り続いています。
 土の道はグシャグシャで、石の道はツルツルです。
 服より外の気温は冷たくとも、服より内の気温は登りの連続で汗ばむほどです。
 寒さ対策に着込んだ服を次々に脱ぎ、シャツ一枚になりました。

 50分程で、 大文字の火床に到達です。
 松割り木を積み上げる基礎となる石組みは、雪が積もって、形がクッキリと浮かび上がっています。
 さらに、雪空とはいえ、京都の市街が一望できます。
 これなら京都の街中から、「大」の字の送り火がよく見えるはずです。

京都 大文字 火床

 
 
       前回の問題 解答
 「悲」の「非」は、「羽」が左右に開いた様子を表わしています。
 

        今日の問題 
 「火床」は、何と読むでしょう。
   A かしょう
   B かどこ
   C ひしょう
   D ひどこ

 

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