カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 琵琶湖疎水 〉春隣の京都紀行 その六

 琵琶湖の水は、琵琶湖南端から流れ出て、宇治川として京都市街の遥か南部を西進して行きます。
 比良山地に隔てられて、琵琶湖の西方に位置する京都市街へ、琵琶湖の水は寄与せずにきました。

 明治に入り、琵琶湖の水を京都市街へ導こうという構想が高まります。
 重機が無い時代に、人力を用いて。
 お抱え外国人に頼らず、日本人だけの手で。

京都 琵琶湖疎水 水路

 琵琶湖疎水の蹴上にあるトンネルには、「楽百年之夢」という扁額が掲げられています。

 京都の水不足を解消させよう。
 都でなくなった京都に活力を与えよう。

 京都新時代を創出する、願いが込められています。
京都 琵琶湖疎水 トンネル
 
 琵琶湖疎水の活用の第一は、水運です。
 
 ただし、下りはともかく、上りが大変です。
 そこで、線路上の台車に船を載せて上る、インクラインが考案されました。

 大自然に敢然と向き合う先人達の気概に、感心するばかりです。
京都 琵琶湖疎水 インクライン

〈 禅林寺(永観堂)の多宝塔 〉春隣の京都紀行 その五

〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 本丸の全ての建物と追手門が現存している城郭は、高知城だけです。
 
 

       今日の問題 
 琵琶湖疎水第二トンネル出口に掲げられている扁額の「 」に入る漢字は、それぞれ何でしょう。
  随「 」到「 」源

 

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〈 高知城 追手門 〉土佐紀行

 高知城の築城に取り掛かったのは1601年、関ヶ原の戦いの翌年です。
 本丸と二の丸が完成したのは1603年、徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた年です。
 全城郭が整ったのは1611年、着工以来10年を要しました。

 それから百年余りが経過した1727年、城下が大火に見舞われます。
 高知城も、天守をはじめとして、ことごとく焼け落ちてしまいます。
 消失を免れたのは、城の玄関に当たる追手門(おうてもん)だけでした。

 その後、1749年に天守が再建されます。
 本丸・二の丸・三の丸の全体が再建されるには、25年もかかっています。

 明治に入り、全国の城郭に対して廃城令が発令されます。
 高知城でも、二の丸と三の丸などの建物は、取り壊されました。
 残されたのは、天守などの本丸建造物と追手門 だけでした。

 現在、追手門越しに天守の姿を眺められるのは、全国で高知城だけです。
高知城 大手門

高知城 天守閣

高知城 国宝 石碑

〈 鍋焼きラーメン 〉土佐紀行

〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

 

      前回の問題 解答
 サウード家とアブドルワッハーブ家による 「サウジアラビア王国」が始まった1744年当時、江戸幕府の将軍職に就いていたのは徳川吉宗です。
 
 

       今日の問題 
 本丸の全ての建物と追手門が現存している城郭は、全国にいくつあるでしょう。

 

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〈 鎌倉文学館 〉鎌倉紀行 その二

 江ノ電の由比ヶ浜駅で下車し、町並を抜け、常磐山から連なる尾根へ入って行きます。
 受付を済ませ、招鶴洞と名付けられた短いトンネルを抜けると、そこは百年前の世界です。

 元加賀藩主だった前田家が建てた、一階がコンクリート造りで二階と三階が木造の、和洋折衷建築に目を奪われます。
 建物の先は、両脇に林を構えた広い芝生が続きます。
 さらにその先には、バラ園が続きます。

 和洋折衷の建物には、鎌倉に縁がある作家達の資料が展示されています。
 特に注目されるのは、作家達の自筆原稿です。

 何度も訂正したり書き加えたりした跡が、生々しく残されています。
 字体によって、性格が如実に表れています。
 活字によって整えられた書物に加えて、生原稿そのものによる書物の発行を切望して止みません。

 鎌倉文学館を訪れたのは、四年間に渡る長期休館が始まる前日でした。
 冷たい雨が、まるで氷柱が垂れ下がるように、軒から滴っていました。

鎌倉文学館

〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 

      前回の問題 解答
 病人や貧しい人々に分け与えるために禅林寺境内に植えられたウメの木々は、「悲田梅」と呼ばれています。
 
 

      今日の問題 
 『一個その他』や『コチャバンバ行き』などの作品を著し、鎌倉文学館の初代館長を務めた作家は、誰でしょう。

 

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〈 禅林寺(永観堂)の多宝塔 〉春隣の京都紀行 その五

 京都東山の一画に、禅林寺(永観堂)があります。
 真紹(空海の高弟)が、平安時代初期に藤原氏の山荘を買い求めたのが、起点です。

 放生池の畔にある梅林の先には釈迦堂が、さらにその先には多宝塔が立っています。
京都 禅林寺 ウメ

 多宝塔は、禅林寺境内の最も高い地点に建てられました。
 上層部は円形、下層部は方形で、高さは13mあります。
 室町時代に建立された釈迦堂など、古い建物が建ち並ぶ中で、1928年の建立と新しい建物です。

京都 禅林寺 多宝塔

 多宝塔の前に立つと、冬と春とが交錯する京都市街が一望できました。
京都 禅林寺 市街 

〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 

       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、「習う」です。
    「 」は一生
 
 

        今日の問題 
 病人や貧しい人々に分け与えるために禅林寺境内に植えられたウメの木々は、何と呼ばれてきたでしょう。

 

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〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 七十二候で「桜始開(さくらはじめてひらく)」は、3月26日~30日。
 今年は陽光に誘われて、「桜始開」よりも随分早く開花しました。
 それでも、開花後の低温のおかげで、花が長く保たれています。

 鎌倉を訪ねた際も、冷たい雨が降り続いていました。
 悪天候にもかかわらず、三年ぶりの花見をしようという人々で、江ノ電長谷駅から高徳院へ向かう道路は、人も車もぎっしりです。
 狭い歩道では、傘と傘とがぶつからないように避けなければなりません。

 高徳院の広い境内に入って、傘同士の接触を気にせずに、満開の桜を眺めることができました。
 桜を前景に、大仏様を後景に、写真を撮ります。
 中景には、傘をさした人々を入れて。

 よく見ると、大仏様が涙を流しています。
 実際は雨の滴でしょうが、「どうして自分だけに傘が無いのか」と、嘆いているのかもしれません。
 大仏殿内に安置されていた昔を、思い出しているのかもしれません。

鎌倉 大仏 桜

       前回の問題 解答
 須崎(高知県)の人々は、鍋焼きラーメンを「ぽこぺん」という愛称で呼んでいました。
 
 

        今日の問題 
 九九の「さんくにじゅうしち」から、「桜の日」は何月何日とされたでしょう。

 

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〈 鍋焼きラーメン 〉土佐紀行

 木材の町として栄えてきた須崎にも、戦後の食糧難は容赦なく押し寄せてきました。
 そのような路地裏に、谷口食堂が開設されました。
 近くから調達できる食材を基にして。
 メニューの中には、ラーメンもありました。

 やがて、出前が始まります。
 なんとか冷めないラーメンを提供できないかと思案した谷口さんは、どんぶりに替えて、ホーロー鍋入りのラーメンを思いつきます。
 近所の食堂では、土鍋入りのラーメンが考案されました。
 須崎町内各食堂でのこれらの取り組みは、「鍋焼きラーメン」として定着します。

 銭湯帰りに鍋焼きラーメンを食べることが、須崎文化となります。

 それほど評判だった鍋焼きラーメンも、いつしか廃れていきます。

 そこへ、「須崎名物・鍋焼きラーメン」を復活させようという機運が巻き起こります。
 各食堂はもちろん、商工会議所をあげた「須崎名物鍋焼きラーメンプロジェクトX」が始まります。
 「須崎名物・鍋焼きラーメン」は、須崎の町興しの起爆剤と期待されています。

鍋焼きラーメン

〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一
 
 

       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、知恵です。
   「 」は万代の宝
 
 

        今日の問題 
 須崎(高知県)の人々は、鍋焼きラーメンを何という愛称で呼んでいたでしょう。
   A ぱこぺん
   B ぴこぺん
   C ぷこぺん
   D ぺこぺん
   E ぽこぺん

 

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〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

 琵琶湖疎水は、琵琶湖の水を京都市街へ導いています。
 そのうち、蹴上からの分水路沿いが整備され、哲学の道と呼ばれています。

 出かけた日は、早朝からの積雪が一部に名残を止めていました。
哲学の道 雪景色

 琵琶湖疎水は、水力発電にも用いられ、日本初の京都市電が開設されました。
 しかし、京都市電の閉鎖に伴い、使われていた敷石は、疎水分水路沿いの移設されています。

 疎水分水路沿いには、サザンカが冬を引き継いで咲き誇っていました。
哲学の道 サザンカ

 約2kmの疎水分水路沿いを歩いていると、カモの番いに出会いました。
哲学の道 カモ 泳ぎ

 仲良く泳いでいると、相次いで逆立ちし出ます。
 水中の藻などを食しているようでした。

 自然ばかりに関心が向き、哲学的な思索へはなかなか行き着きません。
哲学の道 カモ 逆立ち

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 
 

       前回の問題 解答
 小惑星ベンヌはC型・小惑星イトカワはS型・小惑星リュウグウはC型の、小惑星です。
 
 

        今日の問題 
 疎水分水路沿いの「疎水端」は、後に何と呼ばれるようになったでしょう。

 

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