カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 ツバメの巣作り 〉房総紀行

 愛鳥週間に香取市の半屋外式レストランを訪れ
ると、頭上でツバメの番いが巣作りの真っ最中で
した。

 レストランの外周には窓も戸も無く、ツバメは
自由に出入りできます。
 どこからでも出入りが可能なはずなのに、しば
らく観察していると、規則性が見えてきました。

 巣から出かけるのは北方向で、巣へ入り込むの
は北東方向からです。
 建物の北東端に立つ柱を中心として、一方通行
になるように回っています。
 決して飛行の方向を変えません。
 お互いがぶつからないように、時計回りを堅持
しているのでしょうか。

 もう一つ関心したことがあります。
 食事をしていた一時間ぐらいの間、糞をまった
く落としません。
 テーブルへは、ほんの少しも接近しません。
 食事をする一画を借りている身をわきまえ、細
心の注意を払い続けているかのようでした。

 
ツバメの巣

〈 佐原 河港の名残 〉     房総紀行

〈 千葉県内最北のバス停 〉   房総紀行

〈 矢切の渡し 〉        房総紀行

〈 印旛沼公園 〉        房総紀行

〈 親子枝垂桜 福星寺 〉    房総紀行

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行

〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

  
       前回の問題 解答
 日本の刑法で、罰金は「一万円以上」、科料は
「千円以上一万円未満」と規定されています。

 
  
        今日の問題 
 「ツバ( )」・「スズ( )」・「カモ( )」に共通す
る( )の一字は、何でしょう。

 
  
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〈 佐原 河港の名残 〉房総紀行

 現・江戸川を通じて江戸湾へ流れていた利根川
の水路が銚子口へ変更され、さらに洪水によって
潮来を経由していた水路が佐原を経由するように
なると、佐原は利根川下流域で一番繁栄する商都
となります。
 その鍵をなすのは、利根川へ南方から流れ込む
小野川沿いの河港です。

佐原 川端
 小野川沿いには、問屋が建ち並びます。
 舟運によって運ばれた荷物を降ろし易いよう
に、路面より下がって水面に近い、「だし」と呼
ばれる張り出しが作られます。

 現代まで残る「だし」は、荷の積み替えで繁忙
を極めた往時を思い起こさせます。

佐原 商家
 小野川沿いを中心にして、たくさんの商家が建
てられました。
 その中には、伊能忠敬の旧宅もあります。

 それらの建物や川沿いの風景などを含めて、
「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。

佐原 伊能忠敬旧宅

〈 千葉県内最北のバス停 〉   房総紀行

〈 矢切の渡し 〉        房総紀行

〈 印旛沼公園 〉        房総紀行

〈 親子枝垂桜 福星寺 〉    房総紀行

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行

〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

  
       前回の問題 解答
 次の(  )に入る語句は、 ① が(強大)で、 ② が
(弱小)です。

  我々が平和に暮らすことを望むならば、我々
 は祖国の( ① )さを望むべきでなく、むしろその
 ( ② )さを喜び、そのために協力せねばなりませ
 ん。
   『愛国主義か平和か』
     トルストイ 著 北御門二郎 訳
     地の塩書房

 
  
        今日の問題 
 伊能忠敬は、何回結婚したでしょう。

 
  
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〈 千葉県内最北のバス停 〉房総紀行

 東側を利根川が流れ、西側を江戸川が流れる関
宿(野田市)は、江戸時代から河川交通の要地でし
た。
 また、関東平野の中央部に当たるため、関東平
野を治める上での要地でもありました。
 その地に築かれたのが、関宿城です。
 
 やがて、関宿城の歴史的・地理的重要性を広く
伝えるために、関宿城博物館が開設されました。

関宿城 バス
 関宿城博物館のバス停は、千葉県内で最北の位
置にあります。
 バス停の案内板には、小さく次のように書かれ
ています。

 「ここは千葉県内最北端のバス停です。」
関宿城 バス停 案内板
 千葉県の最東端も、最南端も、最西端も、他県
と関わりのない海岸の汀線です。
 最北端だけは、茨城県境町と地続きになった境
界の延長線と、利根川の中心線の、交点となって
います。

 関宿城博物館バス停から北東へ500mほど離れ
た地点が、千葉県の最北端になります。

関宿城 最北端の河原

〈 矢切の渡し 〉        房総紀行

〈 印旛沼公園 〉        房総紀行

〈 親子枝垂桜 福星寺 〉    房総紀行

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行

〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

  
       前回の問題 解答
 ウシやブタは、家畜として一万年以上の歴史が
あります。
 一方ウマは、家畜として5000年ぐらいの歴史が
あります。

 
  
        今日の問題 
 関宿城博物館から南西へ1000mほど離れた江戸
川上の地点で、三県の境界が交わっています。
 その三県とは、何県でしょう。

 
  
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〈 矢切の渡し 〉房総紀行

 千葉街道(国道14号線)が江戸川を渡る市川橋か
ら北へ約2km、水戸街道(国道6号線)が江戸川を
渡る新葛飾橋から南へ約2kmの地点に、矢切の
渡しがあります。

 1997年には、石本美由紀の作詞による『矢切の
渡し』が、発売されました。
  夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
  親のこころにそむいてまでも
  恋に生きたい 二人です
 住み慣れた柴又の地を離れて逃避行せざるをえ
ないのは辛いですが、二人の恋には未来がありま
した。
 それより91年前に発表された、伊藤左千夫作の
『野菊の墓』に、未来はありませんでした。

 江戸川左岸の矢切にある豪農の息子・政夫の下
に、従姉妹の民子がお手伝いとして同居し始めま
す。
 15歳の政夫と17歳の民子の間に、淡い恋心が芽
生えます。
 そこへ、横槍が入ります。
 政夫は学校へ行かされて家を離れ、民子は無理
矢理に嫁がされます。
 矢切の渡しは、二人を新たな世界へ誘うことは
できませんでした。
 やがて、民子は流産し、息を引き取ります。
 政夫から受け取った手紙を、固く握り締めなが
ら。

  民さんは自分の年の多いのを気にしているら
 しいが、僕はそんなことは何とも思わない。
  僕は民さんの思うとおりになるつもりですか
 ら、民さんもそう思っていて下さい。

矢切の渡し

〈 印旛沼公園 〉        房総紀行

〈 親子枝垂桜 福星寺 〉    房総紀行

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行

〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

〈 森のレストラン 〉      房総紀行

       前回の問題 解答
 ウマの新品種第一番は、サラブレッドです。

        今日の問題 
 次の短歌を詠んだのは、誰でしょう。

  日のめぐりいくたび春は返るとも
   いにしへ人に又逢はめやも

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〈 印旛沼公園 〉房総紀行

 西印旛沼西端の北側丘陵に、印旛沼公園があり
ます。
 印旛沼を見渡せる、景勝地です。

印旛沼公園 湖岸 2
 印旛沼公園は、師戸城址でもあります。
 対岸の臼井城址とともに、周辺一帯に睨みを効
かせていました。
 現在、土塁や空堀などが、木立の中に残ってい
ます。
 500年ほど前には、戦で傷ついた侍達の血で染
まっていたかもしれません。

印旛沼公園 城跡
 夕陽が、次第に沈んでいきます。
 その夕陽がいつになく血液の色に似て見えるの
は、遥か彼方の異国で起きている惨状を反映して
いるからでしょうか。

印旛沼公園 日の入り 2

〈 親子枝垂桜 福星寺 〉    房総紀行

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行
  
〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

〈 森のレストラン 〉      房総紀行

〈 さんぶの森公園 〉      房総紀行

 
 
       前回の問題 解答
 ゾウの指の本数は、五本です。

 

        今日の問題 
 師戸城址の「師戸」は、何と読むでしょう。

 

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〈 親子枝垂桜 福星寺 〉房総紀行

 国道51号線の吉岡十字路から東南方向へikmほ
ど進んだ地点に、福星寺があります。
 創建されたのは、1616年。
 今から約400年前になります。

 その際に植えられた枝垂桜が、長い長い歳月
を立ち続けています。
   樹高  14m
   幹回り 3.3m
 3月31日、幹の肌はさすがに老いを感じさせま
すが、みごとな花房を垂れ下げていました。

 親木から20mほど離れて子木が立っています。
 こちらの樹齢は、約100年。
 精悍な佇まいから、大量の花々を垂らしていま
した。

 親子そろった枝垂桜は、末永く人々に福をもた
らしてくれることでしょう。

吉岡 親子枝垂桜 
 

〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉 房総紀行

〈 白鳥の湖 〉         房総紀行
  
〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

〈 森のレストラン 〉      房総紀行

〈 さんぶの森公園 〉      房総紀行

 
       前回の問題 解答
 1522年に誕生した千利休は、今年で生誕500年
になります。

        今日の問題 
 1616年に亡くなったのは、誰でしょう。
   A 徳川家康
   B 徳川秀忠
   C 徳川家光
   D 徳川家綱
   E 徳川綱吉

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〈 印旛沼捷水路とナウマン象 〉房総紀行

 1962年から始まった印旛沼開発事業は、洪水対
策とともに、干拓も行われました。
 V字型をしていた水域は、中央干拓地となりま
した。

 干拓されずに残った水域は、北印旛沼と西印旛
沼に分かれます。
 北印旛沼と西印旛沼とを、中央干拓地を通る中
央排水路が結ぶだけでは足りません。
 そこで、北印旛沼と西印旛沼を、短距離で直結
させるために開削したのが、印旛沼捷水路です。

印旛沼 しょう水路

 1966年、印旛沼捷水路工事現場で、大発見が起
きました。
 ナウマン象の全骨格が、日本で初めて発掘され
たのです。
 写真上方に架かる橋の直下に当たる捷水路の河
床が、発掘地点のようです。

 ナウマン象は、現鹿島灘を湾口として西側へ奥
深く開けた広大な古鬼怒湾の、南へ南へと続く細
長い入り江(現印旛沼)を、どのような思いで眺め
ていたのでしょうか。

印旛沼 干拓前後の地図
 地図の出典『生きている印旛沼』白鳥孝治著 

 
〈 白鳥の湖 〉         房総紀行
  
〈 飛び立つ水鳥 〉       房総紀行

〈 残雪を背に紅梅が舞う 〉   房総紀行

〈 魚見塚展望台 〉       房総紀行

〈 ヒツジが「とら」へ大変身 〉  房総紀行

〈 初日の入り 〉        房総紀行

〈 森のレストラン 〉      房総紀行

〈 さんぶの森公園 〉      房総紀行

〈 山武市 津波避難広場 〉   房総紀行

〈 日本で唯一の四方懸造 笠森寺観音堂 〉

 
 
       前回の問題 解答
 次の三・一独立宣言の○○○に入る語句は、
「独立国」と「自由民」です。

 われらはここにわが朝鮮国が○○○であるこ
と、および朝鮮人が○○○であることを宣言す
る。
 

 
        今日の問題 
 ナウマン象の骨格発掘により、日本列島と
ユーラシア大陸がどのような状況だったと、
言えるでしょう。
     

 
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