〈 行徳のおかね塚 〉房総紀行

 東西線の行徳駅から旧江戸川周辺を散策していました。
 その途中、『行徳おかね塚の由来』なる、大きな石碑に気づきました。

 現在の行徳近辺は、江戸時代には製塩で栄えていました。
 行徳は、関東地方最大の塩田でした。
 雨が少なく、乾燥している気候が、製塩に適していたようです。

 とは言え、海水を煮詰めるのに、天日だけに頼るわけにはいきません。
 薪を燃やして、煮詰めなければなりません。
 それには、大量の薪が必要です。

 行徳近辺で大量の薪を賄うことはできず、遠く上総から船で運び入れます。
 それら船人の中の一人と、行徳近辺の乙女・おかねが、将来を約束するまでに至りました。

 ところが、船人の一人は行徳へ戻らず、おかねは憔悴のあまり命が絶えてしまいます。
 おかねの一途な恋心に感じ入った行徳の人々は、塚を建立し、長きに渡って弔い続けてきたそうです。

行徳 おかね塚

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 ウツクシマツ自生地は、美松山と呼ばれています。 
                        

 
 
     今日の問題  
 東西線行徳駅の南方に当たり、京葉線で二俣新町駅と新浦安駅の間にあるのは、何駅でしょう。
   

    

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