茶室は戦国の世を その4

 闘茶は、参加できる階層が限定されていたため、一時的な流行にとどまります。
 他方、お茶を飲む風習は、公家・商人・武家の間に、広まります。
 そして、お茶の産地や銘柄などより、お茶を飲む際に用いる茶器など茶道具が、注目されるようになります。

 そうなると、足利将軍家も動き出します。
 日明貿易を統括する政治力にものを言わせて、唐物を収集し始めます。

 収集された唐物は、茶会が開かれる会場に、ずらりと並べられます。
 陳列された唐物は、足利将軍家の権力を誇示し、権力の象徴となります。
 茶会は、足利将軍家の権威を見せつける、この上ない機会でした。< つづく >

 茶室 松花堂

 茶室は戦国の世を その3

 茶室は戦国の世を その2

 茶室は戦国の世を その1

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 

     前回の問題 解答
 東西線行徳駅の南方に当たり、京葉線で二俣新町駅と新浦安駅の間にあるのは、市川塩浜駅です。 
                        

 
 
     今日の問題  
 室町時代の日明貿易は、別名で何貿易と呼ばれていたでしょう。
   

    

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