闘茶は、参加できる階層が限定されていたため、一時的な流行にとどまります。
他方、お茶を飲む風習は、公家・商人・武家の間に、広まります。
そして、お茶の産地や銘柄などより、お茶を飲む際に用いる茶器など茶道具が、注目されるようになります。
そうなると、足利将軍家も動き出します。
日明貿易を統括する政治力にものを言わせて、唐物を収集し始めます。
収集された唐物は、茶会が開かれる会場に、ずらりと並べられます。
陳列された唐物は、足利将軍家の権力を誇示し、権力の象徴となります。
茶会は、足利将軍家の権威を見せつける、この上ない機会でした。< つづく >

前回の問題 解答![]()
東西線行徳駅の南方に当たり、京葉線で二俣新町駅と新浦安駅の間にあるのは、市川塩浜駅です。
今日の問題
室町時代の日明貿易は、別名で何貿易と呼ばれていたでしょう。
