舒明天皇には、皇后と后がいました。
皇后(次代の皇極天皇)との間には、
中大兄皇子がいます。
后(蘇我「蝦夷」の娘で、蘇我「入鹿」の
叔母)との間には、古人大兄皇子がいま
す。
山背大兄王一家が殺害されたと知って、
中大兄皇子は血の気が引いたでしょう。
古人大兄皇子が、次期天皇に選ばれる
のは確実です。
中大兄皇子一家が、山背大兄王一家と
同じように、皆殺しになるのも、時間の
問題です。
座して殺されるのを待つか、事を起こ
して相手を倒すか、選択の余地はありま
せん。
相手(蘇我臣)の力は、あまりにも強大
過ぎます。
蘇我臣に対して反対派を形成しようと
したら、たちまち情報が漏れ出てしまい
ます。
数人の同志だけで、一点突破を謀るし
かないでしょう。
<つづく>
くわしくは、『忿・瞋・怒が渦巻く時代
6.12クーデターと十七条憲法』(月刊
学びあう輪)をお読み下さい。
前回の問題 解答
1942年12月4日に亡くなった中島敦は、
『光と風と夢』において「私は蚕であった」
と記しています。
今日の問題
山背大兄王一家の何人が殺害されたの
でしょう。
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