『十七条憲法』の謎 その十二

 舒明天皇には、皇后と后がいました。
 皇后(次代の皇極天皇)との間には、
中大兄皇子がいます。
 后(蘇我「蝦夷」の娘で、蘇我「入鹿」の
叔母)との間には、古人大兄皇子がいま
す。

 山背大兄王一家が殺害されたと知って、
中大兄皇子は血の気が引いたでしょう。
 古人大兄皇子が、次期天皇に選ばれる
のは確実です。
 中大兄皇子一家が、山背大兄王一家と
同じように、皆殺しになるのも、時間の
問題です。

 座して殺されるのを待つか、事を起こ
して相手を倒すか、選択の余地はありま
せん。

 相手(蘇我臣)の力は、あまりにも強大
過ぎます。
 蘇我臣に対して反対派を形成しようと
したら、たちまち情報が漏れ出てしまい
ます。
 数人の同志だけで、一点突破を謀るし
かないでしょう。
            <つづく>

 くわしくは、『忿・瞋・怒が渦巻く時代
6.12クーデターと十七条憲法』(月刊 
学びあう輪)をお読み下さい。

『十七条憲法』の謎 その十一

『十七条憲法』の謎 その十

『十七条憲法』の謎 その九

『十七条憲法』の謎 その八

『十七条憲法』の謎 その七

『十七条憲法』の謎 その六

『十七条憲法』の謎 その五

『十七条憲法』の謎 その四

『十七条憲法』の謎 その三

『十七条憲法』の謎 その二

『十七条憲法』の謎 その一

hinon syoki hyoushi
 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 1942年12月4日に亡くなった中島敦は、
『光と風と夢』において「私は蚕であった」
と記しています。

 

        今日の問題 
 山背大兄王一家の何人が殺害されたの
でしょう。

 
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