カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

五月・五月雨・五月晴れ その一

 今日は、さつきついたち(五月一日・太
陰太陽暦・カレンダーでは6月14日)です。
 さみだれ(五月雨・梅雨)の降る月に、入
りました。

 松尾芭蕉は、『野ざらし紀行』『鹿島
詣』『笈の小文』『更級紀行』など、多
くの紀行文を残しています。
 『おくのほそ道』も、同種の紀行文で
あるにもかかわらず、特別な側面がある
のではないかと、推測されています。
 江戸幕府から密命を受け、諸藩の内情
を探ることが、本来の使命だったのでは
ないかと。

 『おくのほそ道』の旅で通過した内、
最大の大藩(102万石)である前田家の城
下町・金沢には、九泊と最も長く滞在し
ています。
 第二の大藩(62万石)である伊達家の城
下町・仙台には、四泊しています。
 しかも仙台城では、上級武士でさえ通
常ならば通ることが許されない、大手門
から城内へ入っています。 <つづく>

ajisai aoyama 2016
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 梅特有の酸味は、クエン酸などの成分
によります。

      今日の問題 
 松尾芭蕉は、山形県内で何泊している
でしょう。
  A 3泊
  B 9泊
  C 39泊
  D 93泊
   

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伊能忠敬と四人の妻 その4

 第三に、測量術の習得です。

 佐原は、利根川や水郷地帯と隣接して
いるため、洪水に幾度も襲われています。
 洪水が引くと、堤防の改修・大水に浸
かった田畑の整地・・・に、取り組まな
ければなりません。
 伊能家は、村の名主として、代々自ら
測量し、復旧工事を指揮してきたので、
忠敬も、否応なしに測量術を身に付けま
した。
 また、佐原全域を測量して村絵図を作
成した先々代・景利の影響を受けて、地
図の作成術も習得しました。

 第四に、旅の経験です。

 忠敬は、33歳の時、妻のミチと二人で、
一ヶ月間松島まで東北地方を旅しました。
 婿として、家業に精を出し、地域のま
とめ役もこなしたので、ひとときの骨休
みとも受け取れますが、単なる観光旅行
でなかったことは、佐原へ戻った後に著
わした『奥州紀行』に明らかです。
 ミチとともにを歩き続けて、未知
世界に心をときめかしたのではないでし
ょうか。
 旅の楽しさを実感せずして、使命感だ
けで日本全域を歩き通せるはずはありま
せん。         <つづく>

  伊能忠敬と四人の妻 その3

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1
inou tadataka

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 「六歳の六月六日に芸事を始めると上
達する」という言い伝えから、6月6日は
「いけばなの日」「楽器の日」「邦楽の日」と
されています。

      今日の問題 
 忠敬と二番目の妻との年齢差は、どれ
ほどでしょう。
   

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じゅんさい池と谷津池

 市川駅前を発車したバスは、京成-国
府台駅前を過ぎると、坂を上り始めます。
 上りきった一帯が、国府台と呼ばれる
台地です。

 国府台病院を過ぎると、バスは軒先に
触れんばかりの狭い一方通行の道に入り
ます。
 そして、急な坂を下りて行きます。
 ヒヤヒヤ、ハラハラしていると、道路
は広く緩やかになって、じゅんさい池バ
ス停に到着です。

 じゅんさい池は、国府台の台地を浸食
してできた谷津に沿って作られました。
 谷津池沿いの斜面は、以前は両側とも
林に覆われていたのでしょうが、西側は
ほとんど宅地に変わってしまいました。
 それでも、東側には今でも昔ながらの
斜面林が残っています。

jyunsai ike
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔はイネやジュンサイを栽培するた
め、沼の形を変えてしまったそうです
が、現在は公園として、池も整備され
ました。
 ジュンサイを栽培していた当時を忍
び、じゅんさい池と名付けて。

 広々とした池を眺めながら北へ北へ
と進んでいくと、公園風の池とは異な
る、谷津池風の佇まいになります、
 木々に囲まれた水辺には、カワセミ
も羽を休めていました。

jyunsai ike shizen

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

     前回の問題 解答
 天候が悪くなる前触れとされる雲は、
薄雲(巻層雲)です。

      今日の問題 
 じゅんさい池は、以前はどう呼ばれて
いたでしょう。
    A 市川湖
    B 国府台池
    C 国分沼
   

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伊能忠敬と四人の妻 その3

 最初の妻となるミチは、佐原の酒造家
の跡取り娘でした。
 先夫に先立たれた後、忠敬が婿に入り
ます。
 この結婚をしていなければ、忠敬の名
前は今日まで残らなかったでしょう。

 第一に、経済的基盤を得ました。

 途中から江戸幕府が必要経費をすべて
提供してくれたとはいえ、初期の東北・
北海道の測量は、忠敬が必要経費を全額
負担していたようです。
 江戸幕府が設立した天文台よりも勝る
と言われる、自家用の天体観測機材には、
莫大な資金が投入されています。
 このような経済力は、伊能家の家業が
もたらしたものです。

 第二に、人生後期における目標設定と、
文書の作成・管理を学びました。

 ミチの祖父に当たる伊能景利は、150
年間に渡る佐原の歴史を、『部冊帳 全
二十七冊』にまとめています。
 その作業は、46歳で隠居した後の、12
年間に行われました。
 忠敬は、景利の膨大な著作に触れ、自
分も隠居してから何かを残さなくてはと、
目標を探したに違いありません。
 景利は、他に『伊能景利日記 全二十
冊』『千代古見知 全七冊』『続千代古
見知 全九冊』など、大量の文書も残し
ています。
 これらの文書は、忠敬による『測量日
記』に引き継がれていきます。
            <つづく>

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1

inou tadataka

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 アリューシャン列島で、キスカ島とア
ッツ島に先だって日本軍が侵攻したのは、
ウナラスカ島(ダッチ・ハーバー)です。

      今日の問題 
 ミチは、忠敬と二人で一ヶ月間に渡り、
どこを旅したでしょう。
  A アリューシャン列島
  B ブラジル
  C 千葉県一周
  D 東北地方

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色とりどりのバラ咲く 里見公園

 国府台駅(京成線)から北へ約1km離れ
た江戸川沿いに、里見公園があります。
 その一画にあるバラ園は、色とりどり
の花があふれ、今が満開です。

satomikouen bara a-chi
 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 
 

 今から500年前ごろ、里見氏が陣を張
り、北条氏と戦いました。
 明治以降の国府台は、兵舎が立ち並ぶ、
軍事拠点となります。

satomikouen bara hunsui
 

 

 

 

 

 

 

 
 

 今では、112種類・総計約700本のバラ
が咲き乱れます。
 こども達の歓声に包まれた遊具広場に
隣接して。
 戦場や城跡や兵舎跡の名残は見られな
い、平和な佇まいでした。

satomikouen bara shiro

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

     前回の問題 解答
 752年の四月九日(太陰太陽暦・2018年
のカレンダーで5月23日)、一万名余の僧
侶が参加して、東大寺の大仏開眼供養が
行われたました。

      今日の問題 
 黄色いバラには、友情などと並んで、
どのような花言葉があるでしょう。
 a 里見
 b 戦場
 c 兵舎
 d 平和

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「徳川家康 日光へ改葬」 日光紀行 その三

 1617年の四月八日(太陰太陽暦・2018年
のカレンダーでは5月22日)、徳川家康は
日光に改葬されました。

 家康は、駿府(静岡)の南東にある久能
山に、いったん埋葬されます。
 一年後、久能山から見て、富士山の彼
方である北北西の方角に当たる日光へ、
改葬されます。

 日光は、江戸の街の真北にあたります。
 神(東照大権現)となった家康が、江戸
に南面しながら守護するのに最適と思わ
れたのでしょう。

 墓所は、日光東照宮の北方の山中にあ
ります。
 江戸時代には入れませんでしたが、現
代では宝塔の側まで行けます。

   嬉しやとふたたび覚めて一眠り
    浮き世の夢は暁の空

 家康の辞世です。
 久能山から起き出し、日光で長寝する
ことを、詠んだのでしょうか。

 「勝道上人像」日光紀行 その二

 「天海上人像」日光紀行 その一

nikkou okusya 2017 09

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 dayとweekとmonthの字数は、
一日 → 一週 → 一月となるに従い、
一字ずつ増えています。

      今日の問題 
 徳川家康と同じ1616年に亡くなった、
イギリスの劇作家は、誰でしょう。

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伊能忠敬と四人の妻 その2

 忠敬は、現在の九十九里町に生まれま
した。
 6歳の時に母親が亡くなり、婿だった
父親は兄と姉を伴って実家へ戻り、忠敬
は一人残されます。

 江戸時代は、長子が相続します。
 長子が女性であれば、婿を取って跡を
継ぎます。
 長子が亡くなれば、第二子が代を継ぐ
ので、婿は婚家を出なければなりません。

 4年後、忠敬は坂田城址の麓で寺子屋を
開いた父親のもとへ、引き取られます。

 その後、父親と同じように、忠敬も婿
入りしますが、39歳で妻を亡くします。
 ただし、忠敬は婚家の家業を盛り立て、
名主としても重責を担っていたため、婚
家(伊能家)を出なくて済みました。

 その後、二番目の妻は45歳の時に、三
番目の妻は50歳の時に、次々と亡くなり
ます。
 忠敬の結婚運は、悪かったようにも思
えますが・・・・。
          < つづく>

  伊能忠敬と四人の妻 その1

inou tadataka
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
     前回の問題 解答
 宝永の前の大噴火は、864年に起き、
貞観の大噴火と呼ばれます。

      今日の問題 
 忠敬が婿入りした佐原の伊能家の家業
は、何でしょう。

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