カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

蕎麦屋さんのメニューに 蕎麦が無い

 福島県のソバ生産は、作付面積や収穫量
が全国で有数で、その大半を、会津地方が
担っています。
 会津盆地のそこここで、ソバが白い花を
咲かせています。

 会津蕎麦を堪能しようと、ある蕎麦屋さ
んに入りました。
 ここ二三年ご無沙汰していましたが、会
津蕎麦の中では一番の味で、何度も訪れて
きた蕎麦屋さんです。

 今日は何蕎麦を注文しようかと、「お品
書き」をいくら見回しても、蕎麦の文字が
見あたりません。
 書いてある麺類は、「うどん」のみです。

 「ソバアレルギー・・・」と、店員さん
が説明してくれます。
 当初、ソバアレルギーのお客のために、
蕎麦に加えてうどんもメニューに加えた
のだろうと聞いていました。
 しかし、メニューの麺類に「蕎麦」が消
えた理由が謎です。

 しばらくして店主自らことの顛末を語っ
てくれたおかげで、謎が解けました。

 長らく蕎麦打ちを店頭でこなしてきた
女性の店主は、ある日突然重いソバアレ
ルギーに罹りました。
 蕎麦を打つことができません。
 蕎麦の側にいることもかないません。
 蕎麦屋を廃業せざるをえません。
 その時、お客さんから要請されたそう
です。
 「天麩羅やおいしい料理がたくさんあ
るのだから、蕎麦をうどんに換えて、お
店をぜひ続けてほしい」

 居合わせたお客さんは、旧蕎麦屋時代
を知らず、皆手打ちうどんを食べるため
に来店しているようでした。
 
 その手打ちうどんのすばらしいこと。
 太くて、縮れて・・・・・。
 会津一の蕎麦屋さんは、会津一のうど
ん屋さんへ、みごとに転進を果たしてい
ました。

soba hatake yoko yama
 
  

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 アレウト列島の全長は、約2000kmです。

      今日の問題 
 会津地方で、元日のご馳走とされるの
は、何でしょう。 
  A うどん
  B きしめん
  C そば
  D ラーメン
   

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「開山堂」 日光紀行 その四

 徳川家康の墓所から北東方向、東照宮
や輪王寺周辺の喧騒さとは無縁の、ひっ
そりとした山中に、開山堂が佇んでいま
す。

 766年、勝道上人は日光山・輪王寺を開
山します。
 それから51年後、勝道上人は83歳で永
眠します。
 その亡骸を荼毘に付し、お墓を建てた
場所のそばに建立されたのが、開山堂で
す。

 間口と奥行きともに12.3mの重層宝形
造りの堂内には、勝道上人と弟子達の木
造が、安置されています。
 
 「徳川家康 日光へ改葬」
    日光紀行 その三


 「勝道上人像」日光紀行 その二

 「天海上人像」日光紀行 その一

kaizandou
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 
     前回の問題 解答
 伊能忠敬は、第一次測量において、千
住の宿から津軽半島の先端まで、測量し
ながら21日で歩き抜きました。

      今日の問題 
 勝道上人が永眠した二年後、空海は何
を建立したでしょう。
    

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伊能忠敬と四人の妻 その9

 伊能忠敬の結婚運が、良かったか、悪
かったかは、見方によって意見が分かれ
ます。
 それでも、四人の妻それぞれの支えが
無かったとしたら、後世に残る偉業はあ
りえないでしょう。

 四人の妻が、次々に交代しながら支え
続けてくれたのは、忠敬が人間的な魅力
にあふれていたからに違いありません。
 その魅力とは、「夢中になる」ことだと
思います。
 「その時、その時、一つに夢中になる」
忠敬に、四人の妻は皆惚れ込み、献身的
に支えたのではないでしょうか。

 師である高橋至時の次男・景佑は、
『伊能翁言行録』の中で述べています。
 根気のよき事、人として及ぶものなし。
 依って早朝より深夜に至るまで、書を
読んで、あくびをすることなし。

               < 完 >

   伊能忠敬と四人の妻  その8

  伊能忠敬と四人の妻  その7
 
  伊能忠敬と四人の妻 その6

  伊能忠敬と四人の妻 その5

  伊能忠敬と四人の妻 その4

  伊能忠敬と四人の妻 その3

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1

inou tadataka
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 
     前回の問題 解答
 『富嶽百景』で、富士山によく似合う
月見草は、黄金色と記されています。

      今日の問題 
 伊能忠敬は、第一次測量において、千
住の宿から津軽半島の先端まで、測量し
ながら何日で歩き抜いたでしょう。
    

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伊能忠敬と四人の妻 その8

 四度目の新婚生活もそこそこに、忠敬
は測量のために、長期間に渡り江戸を留
守にします。

 55歳の時には、東北地方へ180日間。
 56歳の時にも、東北地方へ230日間。

 江戸へ戻れば、資料の整理と地図の作
成に、膨大な時間を割かなければなりま
せん。
 このような日々が続けば、いくら地図
に興味を持つエイ(四番目の妻)としても、
付いていけなくなったのではないでしょ
うか。
 エイは、消息不明となります。
            <つづく>

  伊能忠敬と四人の妻  その7
 
  伊能忠敬と四人の妻 その6

  伊能忠敬と四人の妻 その5

  伊能忠敬と四人の妻 その4

  伊能忠敬と四人の妻 その3

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1

inou tadataka
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 七夕を「たなばた」と読むのは、中国や
朝鮮半島から導入された「布地を織る道
具=タナバタ」に由来します。

      今日の問題 
 1807年七月十一日(8月21日)、間宮林
蔵は何を確認したでしょう。
    

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伊能忠敬と四人の妻 その7

 忠敬は、佐原を離れて江戸に居を構え、
人生後期の道を歩み出します。
 後になって、東北地方と北海道地方の
測量ができるように、江戸幕府と交渉し
てくれたのは、三番目の妻・ノブの父親
である桑原隆朝でした。

 忠敬は、大阪から忠敬と同じ年に江戸
へ出てきた天文学者・高橋至時の下へ、
50歳で弟子入りします。
 高橋至時は、その時31歳。
 19歳も年下の師を得た忠敬は、毎日喜
々として天体観測や歩測を続けます。

 53歳になり、四番目の妻として迎えた
のが、エイでした。
 名前は分かっていますが、生年も、没
年も、経歴も、どのような縁があって忠
敬と結ばれたかも、一切不明です。
 分かっているのは、読書が好きで、算
術が得意で、忠敬の地図作成を手助けし
たこと位です。     <つづく>

  伊能忠敬と四人の妻 その6

  伊能忠敬と四人の妻 その5

  伊能忠敬と四人の妻 その4

  伊能忠敬と四人の妻 その3

  伊能忠敬と四人の妻 その2

  伊能忠敬と四人の妻 その1

inou tadataka
 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
  人口が千人以上いる町のうち、世界
で最も北に位置するのは、スピッツベル
ゲン島の町・ロングイヤービエンです。

      今日の問題 
 忠敬が東北地方へ測量に出かけるのは、
四回目の結婚から何年後のことでしょう。
    

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五月・五月雨・五月晴れ  さつき・ さみだれ・さつきばれ その七

 福島・宮城・岩手・山形は五月雨が降り
しきり、それとは対照的な五月晴れの松
島を浮かび上がらせる、見事な構成です。
 芭蕉は、その後水無月の日本海岸を進
み、長月に大垣で六ヶ月間に及ぶ長旅を
結びます。

 おくのほそ道を旅したのは、47歳。
 『おくのほそ道』を書き上げたのは、
50歳か51歳。
 芭蕉は、51歳の神無月に最後の俳句を
詠みます。

 旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る

 この句を詠んだ二日後に遺書を認め、
さらにその二日後に永眠します。


  五月・五月雨・五月晴れ その六

  五月・五月雨・五月晴れ その五

  五月・五月雨・五月晴れ その四

  五月・五月雨・五月晴れ その三

  五月・五月雨・五月晴れ その二

  五月・五月雨・五月晴れ その一

ajisai aoyama 2016
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     前回の問題 解答
 一日の最高気温のうち、一番低い記録
は、-32.0度(富士山頂)です。

      今日の問題 
 『おくのほそ道』は、芭蕉が永眠して
何年後に出版されたでしょう。
    

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五月・五月雨・五月晴れ  さつき・ さみだれ・さつきばれ その六

 芭蕉は、松島の後に、平泉を訪れます。

  五月雨の 降り残してや 光堂

 そして、五月雨に降られ続けます。

 三日雨風あれて、よしなき山中に逗留す。
  『おくのほそ道
    日本文学全集 七十一』小学館

 五月二十八日、立石寺(山形県)を訪れ
ます。
 長かった五月雨の季節は、終わろうと
しています。

  閑さや 岩にしみ入 蝉の声

 五月晦日、大石田(山形県)に至ります。
 五月雨は降り止んでも、それまでに降
り続いた五月雨は、ものすごい水量で、
最上川を流れ下ってきます。

 水みなぎって、舟あやうし。
  さみだれを あつめて早し 最上川

            <つづく>

  五月・五月雨・五月晴れ その五

  五月・五月雨・五月晴れ その四

  五月・五月雨・五月晴れ その三

  五月・五月雨・五月晴れ その二

  五月・五月雨・五月晴れ その一

ajisai aoyama 2016
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
     前回の問題 解答
 小笠原諸島を発見したアメリカやヨー
ロッパ系の船乗り達は、クジラ(鯨油)を
捕獲目的としていました。

      今日の問題 
 芭蕉は、おくのほそ道を何歳の時、旅
したのでしょう。
   

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