〈 宇部市の海底炭鉱 〉本州の海岸線一周 その111

 宇部市内では、江戸時代から、石炭が採掘されてきました。
 その後、大小合わせて80もの炭鉱が開設されました。

 最盛期となったのは1940年で、一年間で約430万トンもの石炭を採掘したそうです。
 しかし、エネルギー源は石炭から石油へ移行していきます。
 炭鉱は次々と閉山し、1967年に全面閉山となります。

 宇部市の炭鉱の特徴は、海底での採掘です。
 海面近くで採掘するため、水没事故が続発します。

 1914年の水没事故 死亡235名
 1920年の水没事故 死亡 34名
 1942年の水没事故 死亡183名
 1950年の水没事故 死亡 35名
 1953年 全坑道が水没

 1942年の水没事故による死亡183名中、74%に当たる136名は朝鮮半島出身者でした。
 事故が起きた長生炭鉱では1258名が、宇部市内全域では約12000名が、朝鮮半島から強制的に連行され、劣悪な労働環境で働かされていました。
 「長生炭鉱」という名称のようには、長生きできない状況でした。

 床波海岸から約1km沖合にあった長生炭鉱にほど近いときわ公園内に、石炭記念館が建っています。 
 館内には、海底炭鉱での過酷な採炭作業が再現されています。 

山口県 宇部 石炭記念館

〈 宇部市のときわ公園 〉本州の海岸線一周 その110

〈 壇ノ浦 〉本州の海岸線一周 その109

〈 火の山 〉本州の海岸線一周 その108

〈 唐戸市場とフクマネキン 〉
     本州の海岸線一周 その107

〈 関彦橋 〉本州の海岸線一周 その106

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

〈 本州最西北部・向津具半島 〉
     本州の海岸線一周 その101

 

     前回の問題 解答
 衰退する足利将軍家に代わって、唐物を精力的に収集し出した武将は、織田信長です。
                           

 
 
     今日の問題  
 石炭記念館の展望台は、宇部市の炭鉱の何を再利用しているでしょう。
   

    

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