中国では、隋、そして唐が、皇帝を中
心とした強大な中央集権国家を築きあげ
ます。
蘇我「入鹿」も、中大兄皇子も、日本が
氏族連合国家から中央集権国家へ脱皮す
べきと、考えていたでしょう。
だれが中心となるかは別としても。
蘇我「入鹿」 大王を中心にして
(天皇ではなく)
中大兄皇子 天皇を中心として
七世紀、時代は確実に変わろうとして
いました。
時代の変化に対して機敏に対応しよう
とした蘇我「入鹿」が亡くなった後、大臣
である蘇我「蝦夷」は、旧来の路線から踏
み出せず、新たな路線への転換も打ち出
せず、自害して果てます。
蘇我稻目 大臣の在位 33年間
蘇我馬子 大臣の在位 54年間
蘇我「蝦夷」 大臣の在位 19年間
蘇我「入鹿」の殺害は、合計して106年
間続いた蘇我臣による大和政権支配時代
の幕を閉じ、蘇我大王新時代の誕生を阻
止しただけにとどまりません。
<つづく>
くわしくは、『忿と瞋と怒が渦巻く時
代 6.12クーデターと十七条憲法』(月
刊 学びあう輪)をお読み下さい。
『十七条憲法』の謎 その十三
『十七条憲法』の謎 その十二
前回の問題 解答
中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の
会は、全国の公営住宅のうち22000戸が
アスベストを使用していると、発表して
います。
今日の問題
中大兄皇子のライバルである古人大兄
皇子の母親は、蘇我氏とどのような繋が
りがあるでしょう。
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