茶室は戦国の世を その1

 天正十年水無月二日(1582年6月21日)、新月の翌日で、月明かりの無い闇夜の中を、大軍が京都の市街地へ押し寄せます。
 本能寺は、大半の寺院と違って堀や土塀で囲んで戦に備えていたとはいえ、防戦むなしく炎上します。
 時わずかにして、戦は収束するかと思われました。

 しかし、明智光秀に率いられた大軍は、大誤算を強いられます。
 狙っていたものを、手に入れられなかったからです。

 一つは、織田信長です。

 織田信長を警護する数十から百数十名に対して、明智光秀は一万五千名もの大軍で挑んだのです。
 犬一匹、逃げ出せるはずがありません。

 それにもかかわらず、本能寺の内外を隈無く探索しても、織田信長の姿(死体ないし首)が、見つかりません。
 そのため、「織田信長は、薩摩へ逃げ延びた」などなど、様々な噂が立ちました。     < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

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 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 

     前回の問題 解答
 関門国道トンネルの調査用のトンネルが着工した1937年、日中戦争の始まりとなる盧溝橋事件が起きました。
                     

 
 
     今日の問題  
 本能寺の変が起きる前日、本能寺にて何が催されたでしょう。 

    

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