カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 七ツ滝 〉本州の海岸線一周 その36

 小泊道(国道339号線)は、カーブが連続する山間部を抜けると、日本海沿いを走ります。
 そこに出現するのが、七ツ滝です。

 矢形石山を流れ下ってきた七ツ滝沢が、海岸間際にして、一気に落下します。
 落差は、およそ21mもあります。
 数mの落差ならともかく、20mを超える落差の大きい滝が海岸際に見られるのは、すごく貴重です。

 七ツ滝は、七段に分かれて、優雅に落下していきます。
 日本海へ突き進む、気迫も込めながら。

青森県 七つ滝

〈 十三湖と十三湊 〉本州の海岸線一周 その35

〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28
 

 

      前回の問題 解答
 睡眠や覚醒を調節するホルモンは、メラトニンです。
 

      今日の問題  
 「七ツ滝」と同名の滝は、青森県以外に、石川県・茨城県・埼玉県にもあります。
 では、「八ツ滝」は何県にあるでしょう。
        

 
 
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〈 鬼無里の祭り屋台 〉信州紀行 その二

 長野市から大町市方面へ向かう国道406号線が、長野県道36号線と交差する地点に、鬼無里ふるさと資料館があります。

 中へ入るや、アッと息を呑みました。
 展示されている祭り屋台に、圧倒されたからです。
 大きさもさることながら、施された彫刻に目を見張らされました。

 屋台の、屋根も、梁も、柱も、「一本彫り」でできています。
 鶏の羽から、鳥籠の竹から、龍の髭から、・・・細部に到るまで、一本の木を彫って作成されています。

 この見事な細工を達成する確かな技が山間地に息づいていた背景には、豊かな経済力がありました。
 一つ目は、善光寺往来・戸隠往来・安曇往来・高府往来が交わる、交通の要衝でした。
 二つ目は、広大な山林に囲まれて、林業が盛んでした。
 三つ目は、排水の良い土壌で麻を栽培し、麻糸や畳糸を生産しました。
 とりわけ畳糸は高品質で、全国各地へ出荷されました。

 こうした江戸時代をはるかに遡る奈良時代、この地が都の造営候補地になったそうです。
 ところが、遷都計画を聞きつけたこの地に住む鬼達は、自分たちが暮らせなくなると考え、阻止行動に立ち上がります。
 平地の中央に、都を造営できなくするため、一夜のうちに山を築き上げます。
 その報を受けた天武天皇は、怒り心頭に発し、鬼達すべてを追い払わせます。
 その後、鬼達が居なくなった里は「鬼無里」と、鬼達が一夜のうちに築き上げた山は「一夜山」と、呼ばれるようになりました。

信州 鬼無里 祭り屋台

信州 鬼無里 祭り屋台 拡大 

〈 信濃善光寺 〉信州紀行 その一

〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一

 

 

      前回の問題 解答
 仲秋は、太陰太陽暦で八月に当たます。
 

      今日の問題  
 「鬼無里」と「一夜山」は、何と読むのでしょう。
       

 
 
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〈 十三湖と十三湊 〉本州の海岸線一周 その35

 龍飛崎(津軽半島の最北端)を後にして、小泊道・竜泊ラインとも呼ばれる国道339号線を南下します。
 この津軽半島西岸は、日本の秘境100選の一つになっています。

 海岸線を離れる国道339号線に代わって、県道12号線・十三道を進みます。
 するとまもなく、十三湖に着きます。

 十三湖は、津軽平野の中央部を北流する岩木川が、日本海へ流出する地点にあります。
 周囲長は約31km、水深は最大でも数mしかありません。
 淡水と海水が混ざり合う条件を生かし、シジミ漁が盛んです。

 鎌倉時代から室町時代にかけて、十三湖の西岸に、十三湊が栄えました。
 博多津などと並ぶ、当時の日本十大港の一つに数えられるほどでした。
 やがて、流入する河川からの堆積作用などにより、水深は浅くなる一方で、港としての役割を果たさなくなっていきます。

青森県 十三湖

〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

 

 

      前回の問題 解答
 長野盆地は、別称で「善光寺平」と呼ばれています。
 

      今日の問題  
 「十三湖」と「十三湊」は、それぞれ何と読むでしょう。 
       

 
 
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〈 信濃善光寺 〉信州紀行 その一

 長野駅から十八丁(約2km)離れて、信濃善光寺があります。
 正しくは、信濃善光寺から十八丁離れた地点に、長野駅が開設されました。
 長野駅前から、参道が信濃善光寺へ伸びています。

 信州 善光寺 参道

 参道が境内に入る地点に、「長野市道路元標」の標柱が立っています。
 信濃善光寺は、長野市の原点となっています。
 長野の街は、信濃善光寺の門前町として、歩んできました。

信州 善光寺 道路元表

 信濃善光寺は、日本へ入ってきた仏教が各宗派に分立する前の644年に創建されました。
 それゆえ、無宗派の仏教寺院です。
 参詣者を迎えてくれる山門は、1750年に建立された重要文化財です。

信州 善光寺 山門

 本田善光が飛鳥時代に、うち捨てられていた阿弥陀如来像を、難波から信濃へ運び入れました。
 そこから、善光寺と名付けられたと言われています。
 本堂は、間口が約24m、奥行きが約54mもある巨大建築で、国宝に指定されています。

信州 善光寺 本堂

〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 初秋は、太陰太陽暦で七月・文月に当たります。
 

      今日の問題  
 長野盆地は、別称で何平と呼ばれているでしょう。 
       

 
 
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〈 津軽半島最北端 龍飛崎 〉本州の海岸線一周 その34

 龍飛崎は、津軽半島の最北端になります。
 対岸の白神岬(松前半島・北海道)との距離は、約19.5kmです。

 本州最北端の大間崎(下北半島・青森県)と、その対岸の汐首岬(亀田半島・北海道)との距離は、約17.5kmです。
 龍飛崎~白神岬の方が、大間崎~汐首岬より、長くなっています。
 それでも、青函海底トンネルは、龍飛崎~白神岬を抜けています。

 青森駅から竜飛崎までの走行距離は、約70kmです。
 青森駅から大間崎までの走行距離は、約150kmです。
 青森からの地の利は、竜飛崎までが圧倒しています。

 そうしたこともあってか、蝦夷地までの航路は、三厩湊(下北半島・龍飛崎の近く)と,松前湊(亀田半島・白神岬の近く)を結んでいました。
 蝦夷地へ逃げ延びようとした源義経一行も、三厩湊(現義経海浜公園)を出港したようです。
 そして、津軽海峡を渡るに際し、龍飛崎の東隣にある島で、帯を締め直して気を引き締めたと伝えられています。
 現在、その島は「帯島」と名付けられています。

青森県 龍飛崎

〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

〈 本州の太平洋岸最北の地 尻屋崎 〉本州の海岸線一周 その27

 

 

      前回の問題 解答
 太陰太陽暦で十月・神無月に吹く、出雲へ出かける神々を送る風を、「神渡」と呼びます。
 

      今日の問題  
 太宰治は『津軽』の中で、龍飛崎を何(◯◯の◯◯◯)と書き表しているでしょう。
       

 
 
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〈 伊勢神宮の式年遷宮 〉伊勢志摩紀行 その八

 五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらし)で、手を清めた後、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の境内を進みます。
伊勢 五十鈴川

 やがて「正宮(撮影は禁止)」に着きます。
 社殿の中心をなす「正殿」は、古代からの建築様式である「唯一神明造」を、今に伝えています。

 正宮の東側は、「古殿地」と呼ばれる空き地になっています。
 次回(2033年)の式年遷宮の際、「正宮」を造営する用地です。

 式年遷宮は、社殿の造営と神宝の調製を20年ごとに行い、技術を長く伝承してきました。
 同時に、用材のリサイクルも兼ねていました。

 たとえば、五十鈴川を渡る宇治橋の両側に立つ鳥居です。
 右岸の鳥居は、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の旧棟持柱です。
 左岸の鳥居は、豊受大神宮(伊勢神宮外内宮)の旧棟持柱です。
 棟持柱(むなもちばしら)とは、「唯一神明造」で棟を支える大黒柱です。

 なお、次回の式年遷宮に伴って宇治橋両側の鳥居が立て替えられると、それまでの鳥居は別の神社の用材として再々活用されるそうです。
伊勢 内宮

〈 五十鈴川の木除け杭 〉伊勢志摩紀行 その七

〈 おかげ横丁 〉伊勢志摩紀行 その六

〈 伊勢神宮のまがたま池 〉伊勢志摩紀行 その五

〈 伊勢神宮の「亀石」 〉伊勢志摩紀行 その四

〈 伊勢神宮の「要石」 〉伊勢志摩紀行 その三

〈 鳥羽港を照らす日の出 〉伊勢志摩紀行 その二

〈 英虞湾 横山展望台 〉伊勢志摩紀行 その一
 

 

      前回の問題 解答
 「垂乳根の(たらちねの)」は、古くは「母」に、平安時代からは「親」にもかかる、枕詞です。
 「乳の実の(ちちのみの)」は、「父」にかかる枕詞です。
 

      今日の問題  
 伊勢神宮の式年遷宮は、何年間に渡って行われてきたでしょう。
       

 
 
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〈 階段国道 〉本州の海岸線一周 その33

 アジサイロード(青森県道281号線、三厩停車場・龍飛崎線)を北上すると、国道339号線(三厩港~龍飛崎~弘前市)へ合流します。
 国道339号線を合流地点から20kmほど北上すると、龍飛崎灯台を見渡せる平原に到ります。
 地名は三厩龍浜ですが、眼下の龍飛漁港からは80mほども高い、台地です。
 
 その台地から龍飛漁港へ下りる急傾斜区間の国道339号線は、道路ではなく、石造りの階段になっています。
 車両の通行は、不可能です。
 人の歩行のみが、可能です。

 階段の段数は、362段。
 階段の標高差は、約70m。
 階段の長さは、約400m。
 世にも珍しい、階段国道です。

青森県 階段国道

 〈 アジサイロード 〉本州の海岸線一周 その32

 〈 義経海浜公園 〉本州の海岸線一周 その31

 〈 仏ヶ浦 〉本州の海岸線一周 その30

 〈 本州最北端の・・・ 〉本州の海岸線一周 その29

 〈 本州最北端 大間崎 〉本州の海岸線一周 その28

 〈 本州の太平洋岸最北の地 尻屋崎 〉本州の海岸線一周 その27

 
 

      前回の問題 解答
 カリ(雁)が渡る9月から10月にかけて吹く北風を、「雁渡」と呼びます。
 

      今日の問題  
 『津軽海峡・雪景色(作詞・阿久悠 作曲・三木たかし 唄・石川さゆり』で、竜飛岬(龍飛崎)は何(「◯の◯◯◯」)と歌われているでしょう。
       

 
 
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