カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 禅林寺(永観堂)の多宝塔 〉春隣の京都紀行 その五

 京都東山の一画に、禅林寺(永観堂)があります。
 真紹(空海の高弟)が、平安時代初期に藤原氏の山荘を買い求めたのが、起点です。

 放生池の畔にある梅林の先には釈迦堂が、さらにその先には多宝塔が立っています。
京都 禅林寺 ウメ

 多宝塔は、禅林寺境内の最も高い地点に建てられました。
 上層部は円形、下層部は方形で、高さは13mあります。
 室町時代に建立された釈迦堂など、古い建物が建ち並ぶ中で、1928年の建立と新しい建物です。

京都 禅林寺 多宝塔

 多宝塔の前に立つと、冬と春とが交錯する京都市街が一望できました。
京都 禅林寺 市街 

〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 

       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、「習う」です。
    「 」は一生
 
 

        今日の問題 
 病人や貧しい人々に分け与えるために禅林寺境内に植えられたウメの木々は、何と呼ばれてきたでしょう。

 

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〈 大仏様の涙 〉鎌倉紀行 その一

 七十二候で「桜始開(さくらはじめてひらく)」は、3月26日~30日。
 今年は陽光に誘われて、「桜始開」よりも随分早く開花しました。
 それでも、開花後の低温のおかげで、花が長く保たれています。

 鎌倉を訪ねた際も、冷たい雨が降り続いていました。
 悪天候にもかかわらず、三年ぶりの花見をしようという人々で、江ノ電長谷駅から高徳院へ向かう道路は、人も車もぎっしりです。
 狭い歩道では、傘と傘とがぶつからないように避けなければなりません。

 高徳院の広い境内に入って、傘同士の接触を気にせずに、満開の桜を眺めることができました。
 桜を前景に、大仏様を後景に、写真を撮ります。
 中景には、傘をさした人々を入れて。

 よく見ると、大仏様が涙を流しています。
 実際は雨の滴でしょうが、「どうして自分だけに傘が無いのか」と、嘆いているのかもしれません。
 大仏殿内に安置されていた昔を、思い出しているのかもしれません。

鎌倉 大仏 桜

       前回の問題 解答
 須崎(高知県)の人々は、鍋焼きラーメンを「ぽこぺん」という愛称で呼んでいました。
 
 

        今日の問題 
 九九の「さんくにじゅうしち」から、「桜の日」は何月何日とされたでしょう。

 

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〈 鍋焼きラーメン 〉土佐紀行

 木材の町として栄えてきた須崎にも、戦後の食糧難は容赦なく押し寄せてきました。
 そのような路地裏に、谷口食堂が開設されました。
 近くから調達できる食材を基にして。
 メニューの中には、ラーメンもありました。

 やがて、出前が始まります。
 なんとか冷めないラーメンを提供できないかと思案した谷口さんは、どんぶりに替えて、ホーロー鍋入りのラーメンを思いつきます。
 近所の食堂では、土鍋入りのラーメンが考案されました。
 須崎町内各食堂でのこれらの取り組みは、「鍋焼きラーメン」として定着します。

 銭湯帰りに鍋焼きラーメンを食べることが、須崎文化となります。

 それほど評判だった鍋焼きラーメンも、いつしか廃れていきます。

 そこへ、「須崎名物・鍋焼きラーメン」を復活させようという機運が巻き起こります。
 各食堂はもちろん、商工会議所をあげた「須崎名物鍋焼きラーメンプロジェクトX」が始まります。
 「須崎名物・鍋焼きラーメン」は、須崎の町興しの起爆剤と期待されています。

鍋焼きラーメン

〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一
 
 

       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、知恵です。
   「 」は万代の宝
 
 

        今日の問題 
 須崎(高知県)の人々は、鍋焼きラーメンを何という愛称で呼んでいたでしょう。
   A ぱこぺん
   B ぴこぺん
   C ぷこぺん
   D ぺこぺん
   E ぽこぺん

 

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〈疎水分水路(哲学の道) 〉春隣の京都紀行 その四

 琵琶湖疎水は、琵琶湖の水を京都市街へ導いています。
 そのうち、蹴上からの分水路沿いが整備され、哲学の道と呼ばれています。

 出かけた日は、早朝からの積雪が一部に名残を止めていました。
哲学の道 雪景色

 琵琶湖疎水は、水力発電にも用いられ、日本初の京都市電が開設されました。
 しかし、京都市電の閉鎖に伴い、使われていた敷石は、疎水分水路沿いの移設されています。

 疎水分水路沿いには、サザンカが冬を引き継いで咲き誇っていました。
哲学の道 サザンカ

 約2kmの疎水分水路沿いを歩いていると、カモの番いに出会いました。
哲学の道 カモ 泳ぎ

 仲良く泳いでいると、相次いで逆立ちし出ます。
 水中の藻などを食しているようでした。

 自然ばかりに関心が向き、哲学的な思索へはなかなか行き着きません。
哲学の道 カモ 逆立ち

〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 
 

       前回の問題 解答
 小惑星ベンヌはC型・小惑星イトカワはS型・小惑星リュウグウはC型の、小惑星です。
 
 

        今日の問題 
 疎水分水路沿いの「疎水端」は、後に何と呼ばれるようになったでしょう。

 

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〈 久礼の大正町市場 〉土佐紀行

 南下する四万十川の流れに別れを告げ、山々を抜けて、土佐湾を目指します。
 着いた先は、中土佐町の久礼です。

 街中にあるのは、大正町市場。
 漁師のおかみさん達が、採れたての魚などを販売しています。

久礼 市場 全景

 久礼は、400年も前からカツオ漁が盛んな漁師町です。
 「鰹乃國」とも呼ばれています。

 昔ながらの風情も、色濃く残っています。
 漁師町としては全国で初めて、「重要文化的景観」に指定されました。

久礼 市場 魚

 市場では、一頭売りも好調なようで、残り少なくなっています。
 とは言え、一頭買いができない観光客のためのサービスもあります。

 好みの魚を選んで料金を支払えば、その場で調理してもらい、市場に隣接する食堂へ届けてくれます。
 裁きたての刺身は、格別です。

久礼 市場 刺身

〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一

 
 
       前回の問題 解答
 三日分の痰を採取してガン細胞などが含まれているかいないかを調べるのは、喀痰細胞診検査です。
 
 

        今日の問題 
 久礼の海岸に立つ避難タワーは、漫画『土佐の一本釣り』に因んで、何タワーと呼ばれているでしょう。

 

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〈 東山慈照寺(銀閣寺) 〉春隣の京都紀行 その三

 京都市街の東寄りで大文字山の麓にある東山慈照寺(銀閣寺)に着いたのは、開門時間前の早朝。
 寺の方々が、折からの雪を掃いて道づくりをしていました。
 総門とその奥の寺域は、重々しい雪空に覆い被されています。

京都 慈照寺 総門

 1477年に応仁の乱が終わって5年後、足利義政(室町幕府八代将軍)は、隠棲生活を送るため、山荘東山殿を造営します。
 10年間にも渡る乱が収束したとは言え、各地で一揆が続発し、息子・足利義尚や妻・日野富子との確執など難問を抱え、身も心も休まる地を求めたのでしょう。
 総門を抜けて50mほど続く銀閣寺垣を行くと、俗界とは別世界へ抜け出たようです。

京都 慈照寺 銀閣寺垣

 足利義政は、東求堂(とうぐどう・檜皮葺きで現存する最古の書院)、善阿弥作の池泉回遊式庭園・・・を、次々に造営します。
 最後は、観音殿銀閣です。
 一層・心空殿(書院風)と二層・潮音閣(唐様仏殿)からなる観音殿の完成の翌年、足利義政は亡くなります。

京都 慈照寺 銀閣 雪

 展望所から眺めると、観音殿銀閣も、向月台も、薄っすら雪化粧をしていました。
 展望所を下りて、観音殿銀閣を見上げると、屋根上の雪は見えず、池の畔に立つウメの蕾が膨らんでいるように見えました。
 まさに春隣の東山慈照寺(銀閣寺)でした。

京都 慈照寺 銀閣 ウメ

 
〈 梅苑「花の庭」 北野天満宮 〉春隣の京都紀行 その二

〈 大文字の火床は雪化粧 〉春隣の京都紀行 その一
 

 
       前回の問題 解答
 次のことわざの「 」に入る語句は、「学」です。
   少年老い易く「 」成り難し
 
 

        今日の問題 
 東山慈照寺は、誰の法号に因んで命名されたのでしょう。

 

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〈 四万十川の沈下橋 〉土佐紀行

 四万十川は、源流部から一路南下します。
 ただし、約27km下った地点で、流路を90度変え、西方へ進みます。
 その後、西進 → 南進 → 西進 → 北進・・・と、凄まじい曲流を続けます。
 実距離と直線距離の比(曲流率)は、四万十川が3.77と、利根川の2倍を超えます。

 曲流率が高ければ、洪水の被害を受けやすくなります。
 洪水に強くするためには、橋脚を高く強くしなければなりません。
 そうは言っても、交通量が少なく、対岸とを主に歩いて渡る生活道路の橋に、多額の費用は掛けられません。

 そこで、洪水に遭うことを前提にした橋作りが求められます。
 橋を、川面から高くせずに、増量したら川の流れに入るようにします。
 洪水が運ぶ流木などに巻き込まれないように、欄干は設けません。

 こうして、最小限の費用で架けられたのが、沈下橋です。
 四万十川水域には、約50の沈下橋が残っています。

四万十川 沈下橋 2 

四万十川 沈下橋 3 

〈 四万十川の源流部 〉土佐紀行

〈 三輪タクシー・ツノトゥク 〉土佐紀行

〈 片岡兄弟の生家 〉土佐紀行

〈 皿鉢料理 〉土佐紀行

〈 高知線(土讃線)発祥の地 〉土佐紀行

〈 路面電車 とさでん交通 伊野線 〉土佐紀行

〈 ひろめ市場 カツオの藁焼き 〉土佐紀行

〈 とさでん交通 路面電車の車庫 〉土佐紀行

〈 アンパンマン像とからくり時計 〉土佐紀行

〈 はりまや橋 〉土佐紀行

<かわうそ自然公園> 初冬の土佐路 その三

<竹林寺の紅葉> 初冬の土佐路その二

<五台山の紅葉> 初冬の土佐路 その一

 
 
       前回の問題 解答
 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺)の七重塔の高さは、約63m と言われています。
 

        今日の問題 
 四万十川水域で用いられる「沈下橋」は、公式には何橋と呼ばれるでしょう。

 

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