カテゴリー別アーカイブ: 本に囲まれて

『十七条憲法』の謎 その十六

 蘇我馬子は、厩戸皇子と密接な血縁関
係があります。

 「蘇我馬子の長姉の子」が、「厩戸皇子の
父」です。
 「蘇我馬子の次姉の子」が、「厩戸皇子の
母」です。
 「蘇我馬子の娘」が、「厩戸皇子の妻」です。
 
 蘇我馬子は政事を担当し、推古天皇は祭
事を担当していました。
 このような分担体制の下で、厩戸皇子は
政治的な野心どころか、政治的な関心すら、
稀薄でした。
 もし政治的な野心や政治的な関心があっ
たなら、厩戸皇子は、皇太子にはなれず、
殺害されていたでしょう。

 厩戸皇子は、飛鳥の都から離れた斑鳩の
地で、妻4人と子14人とともに、平穏なマ
イホーム生活を送っていました。

 厩戸皇子が初陣を飾ったのは、13歳。
 その際、ともに戦った蘇我馬子から、お
おらく強烈な印象を受けたことでしょう。

 蘇我馬子のちょうど二回り下に当たるの
が、厩戸皇子です。
 蘇我馬子 550年 午年の生まれ
 厩戸皇子 574年 午年の生まれ

 蘇我馬子と厩戸皇子の仲は、午(馬)があ
って、ウマくいっていたと、思われます。
            <つづく>

 くわしくは、『忿と瞋と怒が渦巻く時
代 6.12クーデターと十七条憲法』(月
刊 学びあう輪)をお読み下さい。
  

『十七条憲法』の謎 その十五

『十七条憲法』の謎 その十四

『十七条憲法』の謎 その十三

『十七条憲法』の謎 その十二

『十七条憲法』の謎 その十一

『十七条憲法』の謎 その十

『十七条憲法』の謎 その九

『十七条憲法』の謎 その八

『十七条憲法』の謎 その七

『十七条憲法』の謎 その六

『十七条憲法』の謎 その五

『十七条憲法』の謎 その四

『十七条憲法』の謎 その三

『十七条憲法』の謎 その二

『十七条憲法』の謎 その一

hinon syoki hyoushi
 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 歯茎が赤いと、胃が炎症を起こしてい
る可能性があります。

 
      今日の問題 
 厩戸皇子が亡くなったのは、何年でし
ょう。
 

 
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「春を待つ」 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』
(二瓶カヨ子 作 千葉日報社)から、
「春を待つ」に因んだ短歌を、三首紹介
します。

  

   春を待つ心の息吹あたたかく 
    人の世にある花なれと知る 

   薪運ぶ子らの足許危ぶみて 
    ぬかるみを行く陽に祈りつつ 

   桃の花活けたる室の窓のへに
    あわ雪ながる春浅みかも 
 
haruwo matsu
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 エル・アルト国際空港と首都・ラパス
との標高差は、432mあります。

      今日の問題 
 2月22日は、「ニャンの日」でしょう。

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『十七条憲法』の謎 その十五

   『十七条憲法』第一条
 似和為貴 無忤為宗
 和をもって貴しとし 
  忤うことなきを宗とせよ
 天皇を中心とする体制は貴く
  この体制に忤ってはならない

   『十七条憲法』第十七条
 夫事不可独断 必与衆宣論
 それことは独断するべからず
  必ず衆とともに論うべし
 政事に携わる者の中で独断があっては
ならない
  関係する者たちは必ず話し合いなが
 ら事を進めなさい

 第一条から第十七条に至るまで、『十
七条憲法』は、蘇我臣が担ってきた政治
運営を念頭に置いています。
 このような『十七条憲法』を、厩戸皇
子が作成するでしょうか。
           <つづく>

 くわしくは、『忿と瞋と怒が渦巻く時
代 6.12クーデターと十七条憲法』(月
刊 学びあう輪)をお読み下さい。
  

『十七条憲法』の謎 その十四

『十七条憲法』の謎 その十三

『十七条憲法』の謎 その十二

『十七条憲法』の謎 その十一

『十七条憲法』の謎 その十

『十七条憲法』の謎 その九

『十七条憲法』の謎 その八

『十七条憲法』の謎 その七

『十七条憲法』の謎 その六

『十七条憲法』の謎 その五

『十七条憲法』の謎 その四

『十七条憲法』の謎 その三

『十七条憲法』の謎 その二

『十七条憲法』の謎 その一

hinon syoki hyoushi
 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
  公職選挙法 第35条
 選挙は、投票により行う。

      今日の問題 
 蘇我馬子は、大臣に何年間在位してい
たでしょう。 

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保科正之と明暦の大火

 江戸時代初期の正月十八日、江戸の町
の大半を焼き尽くす大火事が発生します。
 焼死者は、37000名とも、100000名と
も言われ、江戸時代で最大の大火事にし
て、戦災や震災を除けば日本史上で最悪
の惨事です。

 翌十九日、火の手は江戸城内をも襲い、
天守閣は焼け落ちます。

 火災が収まった翌々日の二十日、江戸
の町は大雪に見舞われ、かろうじて逃げ
延びた人々に凍死者が続出します。

 時の将軍・家綱は、17歳。
 将軍に代わって難事の采配を奮ったの
は、保科正之。
 前将軍・家光から後事を託された、会
津藩主です。

 延焼中に行ったのは、幕府の米倉の開
放です。
 伝え聞いた人々は、協力して延焼を食
い止め、米倉を守ります。
 鎮火した後、米倉から米を持ち出し、
大量の炊き出しが実施されます。

 大火後の復旧に当たっては、延焼を防
ぐために、広小路を設けるなどの、都市
計画を進めます。
 一方、消失した江戸城の天守閣は、戦
さの時代は過ぎたとして、再建させませ
んでした。

 江戸時代の末期、江戸の街は戦火に見
舞われることなく、江戸城も、天守閣も、
出番はありません。

 保科正之を祖とする会津松平藩は、薩
長土肥の連合軍と、徹底抗戦。
 鶴ヶ城の天守閣は、砲弾の集中攻撃を
浴びます。

 保科正之 十二月十八日(太陰太陽暦・
     2018年のカレンダーでは2月
     3日) 永眠
      享年 六十一

     辞 世
  万代といはひ来にけり会津山 
   高天の原の住み家もとめて

 画像の出展『会津松平家の祖 保科正之』
        会津若松市観光公社・発行   

hoshina masayuki
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 日本で、精神障害者が福祉の対象とな
ったのは、1995年からです。
 
 

      今日の問題 
 保科正之が会津に伝えた「高遠そば」
とは、どのようなものでしょう。

 
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『十七条憲法』の謎 その十四

 中国では、隋、そして唐が、皇帝を中
心とした強大な中央集権国家を築きあげ
ます。
 蘇我「入鹿」も、中大兄皇子も、日本が
氏族連合国家から中央集権国家へ脱皮す
べきと、考えていたでしょう。
 だれが中心となるかは別としても。

 蘇我「入鹿」 大王を中心にして
       (天皇ではなく)
 中大兄皇子 天皇を中心として

 七世紀、時代は確実に変わろうとして
いました。
 時代の変化に対して機敏に対応しよう
とした蘇我「入鹿」が亡くなった後、大臣
である蘇我「蝦夷」は、旧来の路線から踏
み出せず、新たな路線への転換も打ち出
せず、自害して果てます。

 蘇我稻目  大臣の在位 33年間
 蘇我馬子  大臣の在位 54年間
 蘇我「蝦夷」 大臣の在位 19年間

 蘇我「入鹿」の殺害は、合計して106年
間続いた蘇我臣による大和政権支配時代
の幕を閉じ、蘇我大王新時代の誕生を阻
止しただけにとどまりません。
           <つづく>

 くわしくは、『忿と瞋と怒が渦巻く時
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刊 学びあう輪)をお読み下さい。
  

『十七条憲法』の謎 その十三

『十七条憲法』の謎 その十二

『十七条憲法』の謎 その十一

『十七条憲法』の謎 その十

『十七条憲法』の謎 その九

『十七条憲法』の謎 その八

『十七条憲法』の謎 その七

『十七条憲法』の謎 その六

『十七条憲法』の謎 その五

『十七条憲法』の謎 その四

『十七条憲法』の謎 その三

『十七条憲法』の謎 その二

『十七条憲法』の謎 その一

hinon syoki hyoushi

 

 

 

 

 

 

 
 

 

      前回の問題 解答
 中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の
会は、全国の公営住宅のうち22000戸が
アスベストを使用していると、発表して
います。
 
 

      今日の問題 
 中大兄皇子のライバルである古人大兄
皇子の母親は、蘇我氏とどのような繋が
りがあるでしょう。

 
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『横綱の品格』双葉山

 1939年1月15日(一月場所 四日目)、
双葉山は外掛けに屈しました。
 連勝記録が、69で止まった日です。
 この連勝記録は、未だに破られていま
せん。

 双葉山のしきりは、大相撲の模範とし
て、賞賛されています。
 一 「待った」をしない
 二 相手力士が立てば、必ず立つ
 三 相手力士よりも後から立ちながら
  相手力士より先に踏み出す

 双葉山には、相手力士よりも後から立
たなければならない事情がありました。
 右の目を、失明していたからです。

 相手力士が立つのを見届けてから立つ
のは、不意をつかれないための予防策で
もありました。

 また、右手の小指の先を潰していて、
右手が不自由というハンディも抱えてい
ました。

 このような障害を超えて、双葉山は空
前の大相撲ブームを巻き起こします。
 その苦闘の生涯を書き留めたのが、次
の本です。

『横綱の品格』
   双葉山 著
   ベースボール・マガジン社

 わたしとしては、その日その日の勝負
にベストを尽くそうとしたばかりです。
 するとのちには、自分で自分の相撲を
楽しむといった気分で、土俵にのぞむこ
とができるようになりました。

yokodunano hinnkaku

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 1914年1月12日、大爆発を起こして大
隅半島と陸続きになったのは、桜島です。

 
 

        今日の問題 
 1939年1月の場所前、双葉山の体調は
良かったのでしょうか。


 
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偏差値が「 4月は26」から「10月は60」へ そして大学に合格

 明帆(仮名)さんは、父一人娘一人。
祖父母と折り合いが悪く、家に居着き
ません。
 勉強どころでない状況へ。

 それでもお父さんは、素行についても、
成績についても、責めません。
 やさしく見守り続けます。

 高校3年になり、明帆(仮名)さんは決意
します。
 お父さんのために大学を受験しようと。

 しかし、大学受験用の教材は、歯が立
ちません。
 高校用はおろか、中学生用の教材も。
 そこで、小学4年用の教材から学習を
始めます。

  4月には26だった偏差値が、10月は60
へ大幅にアップ。
 そして、みごとに一般受験で大学に合
格します。

 何で挑戦したほうがいいのって、人に
聞かれたら、今私はこう答えます。
 挑戦し抜いた人にしか味わえない達成
感があるからです。
 また、挑戦することで、初めて人は
「自分の可能性」に気づき、自分を信じ
られるようになるからです。
 だから、「成功するかしないか」じゃ
なく、「挑戦すること」が大切なのです。

 明帆(仮名)さんを含めて七人の挑戦を
記したのが、次の本です。
  『人生は「失敗」でできている。』
    石川淳悦・鈴木甲子雄 著
    キングベアー出版 

jinnseiha shippaide
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      前回の問題 解答
 1938年12月26日、中谷宇吉郎は雪の
結晶を人工的に造ることに、世界で初め
て成功したと、発表しました。
 
 

        今日の問題 
 『人生は「失敗」でできている。』で、
成功の反対は何と述べているでしょう。

 
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