〈 宇部市のときわ公園 〉本州の海岸線一周 その110

 下関市の壇ノ浦から、瀬戸内海・周防灘沿いに、山陽小野田市、宇部市と進みます。
 宇部市の最南端は、宇部岬です。
 宇部岬の北側にあるのが山口宇部空港、山口宇部空港の北側にあるのがときわ公園です。

 ときわ公園の中心となっているのは、ときわ湖です。
 正式には「常磐池(ときわいけ)」ですが、面積は約81haもあり、「池」より「湖」が相応しい広さです。

 農業用の溜池として建設されたのは、330年前の江戸時代です。
 南北1.8km、東西1.3kmの溜池によって、305町(約305ha)もの水田が灌漑されました。

 1925年には、「ときわ公園」として、整備されます。
 現在では、植物園・動物園・遊園地など様々な施設を併設した、都市公園となっており、次の「100選」に選出されています。
   日本の都市公園100選
   日本さくら名所100選

山口県 ときわ公園

〈 壇ノ浦 〉本州の海岸線一周 その109

〈 火の山 〉本州の海岸線一周 その108

〈 唐戸市場とフクマネキン 〉
     本州の海岸線一周 その107

〈 関彦橋 〉本州の海岸線一周 その106

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

〈 本州最西北部・向津具半島 〉
     本州の海岸線一周 その101

〈 三角州に造られた城下町・萩 〉
     本州の海岸線一周 その100

 

     前回の問題 解答
 室町時代の日明貿易は、勘合貿易とも呼ばれています。
                         

 
 
     今日の問題  
 「21世紀に残したい日本の風景 総合公園の部 第一位」に選出されたのは、何公園でしょう。
   

    

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茶室は戦国の世を その4

 闘茶は、参加できる階層が限定されていたため、一時的な流行にとどまります。
 他方、お茶を飲む風習は、公家・商人・武家の間に、広まります。
 そして、お茶の産地や銘柄などより、お茶を飲む際に用いる茶器など茶道具が、注目されるようになります。

 そうなると、足利将軍家も動き出します。
 日明貿易を統括する政治力にものを言わせて、唐物を収集し始めます。

 収集された唐物は、茶会が開かれる会場に、ずらりと並べられます。
 陳列された唐物は、足利将軍家の権力を誇示し、権力の象徴となります。
 茶会は、足利将軍家の権威を見せつける、この上ない機会でした。< つづく >

 茶室 松花堂

 茶室は戦国の世を その3

 茶室は戦国の世を その2

 茶室は戦国の世を その1

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 

     前回の問題 解答
 東西線行徳駅の南方に当たり、京葉線で二俣新町駅と新浦安駅の間にあるのは、市川塩浜駅です。 
                        

 
 
     今日の問題  
 室町時代の日明貿易は、別名で何貿易と呼ばれていたでしょう。
   

    

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〈 行徳のおかね塚 〉房総紀行

 東西線の行徳駅から旧江戸川周辺を散策していました。
 その途中、『行徳おかね塚の由来』なる、大きな石碑に気づきました。

 現在の行徳近辺は、江戸時代には製塩で栄えていました。
 行徳は、関東地方最大の塩田でした。
 雨が少なく、乾燥している気候が、製塩に適していたようです。

 とは言え、海水を煮詰めるのに、天日だけに頼るわけにはいきません。
 薪を燃やして、煮詰めなければなりません。
 それには、大量の薪が必要です。

 行徳近辺で大量の薪を賄うことはできず、遠く上総から船で運び入れます。
 それら船人の中の一人と、行徳近辺の乙女・おかねが、将来を約束するまでに至りました。

 ところが、船人の一人は行徳へ戻らず、おかねは憔悴のあまり命が絶えてしまいます。
 おかねの一途な恋心に感じ入った行徳の人々は、塚を建立し、長きに渡って弔い続けてきたそうです。

行徳 おかね塚

〈 十枝の森 〉房総紀行

〈 商いの町 房総のむら 〉房総紀行

〈 災いよけの網つり 房総のむら 〉房総紀行

〈 鋸山 〉房総紀行

〈 上総金光明四天王護国之寺(上総国分寺) 〉房総紀行

〈 上総法華滅罪之寺(上総国分尼寺) 〉房総紀行

〈 布良海岸と『海の幸』 〉  房総紀行

〈 根本海岸と若山牧水 〉   房総紀行

 

     前回の問題 解答
 ウツクシマツ自生地は、美松山と呼ばれています。 
                        

 
 
     今日の問題  
 東西線行徳駅の南方に当たり、京葉線で二俣新町駅と新浦安駅の間にあるのは、何駅でしょう。
   

    

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ウツクシマツの独立樹

 マツには、様々な種があります。
  アカマツ
  アブラマツ
  カシヤマツ
  クロマツ
  ダイオウマツ
  ヒマラヤマツ
  モンタナマツ
  ヨーロッパアカマツ
  ヨーロッパクロマツ
  リュウキュウマツ
   ・・・
 それらの中で、18789㎡という、極めて狭い一区域にのみ自生しているのが、ウツクシマツです。

 滋賀県湖南市平松地区に、1172年前に建立された松尾神社が鎮座しています。
 ウツクシマツは、その御神木として祀られてきました。
 傘に似た美しい樹形が、特徴です。

 このウツクシマツ自生地は、希少価値が高いとして、国の天然記念物に指定されています。
 ところが、松枯れ被害の拡大に伴い、多くのウツクシマツが枯死しました。

 そのような折り、名神高速道路時に、天然記念物指定地以外から移植されたマツのうち一本が、ウツクシマツであると判明し、菩提寺パーキングエリアで車の安全を見守っています。

滋賀県 ウツクシマツ

  餓死から救ったサツマイモ

  ニガウリ・緑の簾

  鳴虫・スズムシ

  富里のブルーベリー畑

  地這いのナスとキュウリ

  紫藤・白藤・黄花藤

  千葉公園の桜

  春の到来を象徴する食材(植材)・ナノハナ

 

     前回の問題 解答
 「アンドロメダ銀河」と「天の川銀河」が合体するのは、三回目の衝突後です。
                        

 
 
     今日の問題  
 ウツクシマツ自生地は、何山と呼ばれているでしょう
  

    

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〈 鴨長明と『方丈記』/ 天の川銀河 〉11月のわくわく学習会

 10月のわくわく学習会のテーマは、「天の川銀河」でした。

 「天の川銀河」の大きさは、約10万光年です。
 隣にある「アンドロメダ銀河」の大きさも、約10万光年です。
 両者の距離は、約250万光年です。
 それぞれの大きさの25倍しか離れていない、非常に近い存在です。

 「アンドロメダ銀河」が、「天の川銀河」へ向かって近づいています。
 接近速度は、秒速300km・時速100万kmです。 
 その結果、約40億年後には「アンドロメダ銀河」が「天の川銀河」に衝突し始めます。
 約70億年後には、二つの銀河は合体し、巨大な銀河になるでしょう。
     
 11月のわくわく学習会は、「鴨長明と『方丈記』」がテーマです。

   < 11月のわくわく学習会 >
  と き 11月15日(土) 
      14時00分~15時00分 
  ところ 開進学園 
  テーマ 鴨長明と『方丈記』
  参加費 100円
  連絡先 電話 043-273-6613(16時から)
  メール wakuwaku@kaishin.jp.net

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 < わくわく学習会 最近のテーマ >
十月  天の川銀河  
九月  それぞれの憲法観  
七月  基本的人権と天皇・皇族  
六月  武器のない世界   
五月  糖化と水分摂取   
四月  豆料理の効能   
三月  ストレスとの向き合い方  
二月  為替の仕組み   
一月  睡眠と夢   

十二月 神道と仏教
十一月 古墳と埴輪
十月  ミツバチとハチミツ
九月  有機フッ素化合物(ピーファス・PFAS)
七月  世界の鉄道事情    
六月  オリエント急行    
五月  シベリア鉄道     
四月  鉄道の旅 ー日本ー     
三月  こどもと遊び     
二月  隠れキリシタン    
一月  変わる人格 変わらない人格   

十二月 様々な依存症  
十一月 天気予報の仕組み その2  
十月  天気予報の仕組み その1  
九月  天気図の見方  
七月  三角比と日常生活  
六月  平方根と日常生活  
五月  アジアの香辛料  
四月  タイと王政  
三月  サウジアラビアと王政  
二月  スカンディナヴィア半島とヨーロッパ 
一月  バルカン半島とヨーロッパ   

 

     前回の問題 解答
 平安時代に国際交流拠点である鴻臚館は、平安京と浪速と筑紫に設置されました。
                        

 
 
     今日の問題  
 「アンドロメダ銀河」と「天の川銀河」が合体するのは、何回目の衝突後でしょう。
 

    

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〈 大濠公園 〉築紫紀行その18

 黒田長政は、1601年から博多の街の西側に当たる荒れ地に、舞鶴城(福岡城)を築き始めます。
 東側には那珂川が流れ、西側には草ヶ江の干潟(入り江)があり、北側には新設した城下町の先に博多湾が広がり、その他多数の堀とともに城を守る重要な役割を果たします。
 このうち「草ヶ江の干潟(入り江)」は、「大濠」と呼ばれるようになります。

 「堀」は、水を張っていれば「水堀」で、水を張っていなければ「空堀」です。
 一方、「濠」は水を張っている場合だけに用いられ、「水濠」や「空濠」とは用いません。

 舞鶴城(福岡城)跡が「舞鶴公園」に衣替えしたのに対して、大濠跡は「大濠公園」へ衣替えしました。
 周囲約2kmの大きな池を取り囲むように、日本庭園などが整備されています。

 なお、舞鶴城(福岡城)跡西側の大濠と対称的に、舞鶴城(福岡城)跡東側から、「鴻臚館」に関連する遺構が発掘されています。
 飛鳥時代から平安時代にかけての、古代日本最大級の国際交流拠点の全容解明が待たれます。

大濠公園

〈 舞鶴城(福岡城)と天守閣 〉築紫紀行その17

〈 戒壇院 〉築紫紀行その16

〈 博多湾 ー 水城 ー 大宰府 〉築紫紀行その15

〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

 

     前回の問題 解答
 「栂尾」は、「とがのお」です。
                       

 
 
     今日の問題  
 平安時代に国際交流拠点である鴻臚館は、どの都市に設置されていたでしょう。

    

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茶室は戦国の世を その3

 お茶を中国から日本へ伝えた栄西(臨済宗の宗祖)は、「茶を飲めば、病が治り、命を長らえる」と、繰り返し述べています。
  茶は、養生の仙薬なり。
  延齢の妙術なり。
  山谷之を生ずれば、其の地神霊なり。
  人倫之を採れば、其の人長命なり。
   『喫茶養生記』 栄西 著 吉田紹欽 訳 講談社

 お茶は、人の体を健康にし、人の心を元気にする、仙薬でした。
 禅宗の寺院を中心として、修行しながらの飲み物でした。

 鎌倉時代に仙薬だったお茶は、室町時代に入ると、嗜好的な面や、娯楽的な面を、見せるようになります。
 さらには、賭博の中に組み込まれていきます。
 賭博の最たるものが、闘茶です。

 闘茶は、お茶を飲んで、産地を当てるゲームです。
 京都の栂尾で栽培された茶葉か、他の産地の茶葉かなどを、飲み当てるゲームです。

 問題となるのは、ゲームに賭けられた品々です。
 陶磁器や水墨画など、中国から日本へ輸入された美術品も工芸品も、非常に高価でした。
 そのような唐物を賭けてゲームをする闘茶は、ギャンブル性が極めて高いものでした。  < つづく >

 茶室 松花堂

 茶室は戦国の世を その2

 茶室は戦国の世を その1

 千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 

     前回の問題 解答
 本州最北端の地は、大間崎です。
                      

 
 
     今日の問題  
 「栂尾」は、何と読むでしょう。

    

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