カテゴリー別アーカイブ: 日本の旅

〈 「山を越えろ」 災害伝承館 〉本州外周 その15

 東京電力福島第一原子力発電所が立地している双葉町の海岸近くに、東日本大震災・原子力災害伝承館があります。
 
 伝承館の基本理念は、次の三点です。
  ➊ 原子力災害と復興の記録や教訓の、未来への継承・世界との共有
  ➋ 福島にしかない経験や教訓を生かす、防災・減災
  ➌ 福島に心を寄せる人々や団体と連携する、復興の加速化への寄与

 常設展示は、五つのテーマに分かれています。
  ① 災害の始まり
  ② 原子力発電所事故直後の対応 
  ③ 県民の想い
  ④ 長期化する原子力発電災害の影響
  ⑤ 復興への挑戦

 このような展示もさることながら、深く心に刻まれたのは、地元で災害を経験された方々による、語り部講話です。

 原子力発電所の爆発に伴う脱出の話は、危機迫るものでした。
 中で最も印象に残ったのは、次の言葉です。
  「山を越えろ」

 津波被害を避けるためには、一刻も早く山へ駆け上がることです。
 しかし、原子力発電所の爆発事故において、山へ駆け上っただけでは、助かりません。
 講話をされた方は、事故が起きる前から、原子力発電所が爆発したら、家族がバラバラになったとしても、各自がそれぞれに山を越えると、確認しあっていたそうです。
 津波対策となる山でも、放射能対策にはなりません。
 「山を越えろ」の山とは、海岸近くにある山々ではなく、海岸から数十km以上離れた阿武隈山地を指します。
 現に、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質は、浜通り(福島県の太平洋岸)一帯に、厚く降り注いでいました。
 爆発事故による放射性物質から逃れるためには、浜通りと中通り(福島県の中部)の境となる、阿武隈山地を超えなければならなかったのです。 


福島県 災害伝承館

 〈 立ち入りを阻む二重鉄柵 〉本州外周 その14

 〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 『小倉百人一首』で次の「 」に入る語句は、「わが庵」と「世をうぢ山」です。
   「 」は都のたつみしかぞ住む
    「 」と人はいふなり
 

      今日の問題 
 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による放射性物質は、西方では、千葉県は言うに及ばず、何県まで到達したでしょう。
    

 
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〈 立ち入りを阻む二重鉄柵 〉本州外周 その14

 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故により、原子力発電所の周辺一帯は長期間に渡って立ち入りが制限されてきました。
 福島県の太平洋側を走る国道六号線も、通行禁止でした。

 2011年の夏、東北地方太平洋沖地震の津波被害調査に出かけた際には、いわき市(福島県南部)から相馬市(福島県北部)へ抜けるために、阿武隈山地の山中を右往左往しなければなりませんでした。
 現在では、立ち入り制限の緩和に伴い、国道六号線も通過は可能です。

 ただし、それは、本線上の通行に限ってのことです。
 本線から集落へ入る道路には、本線側と集落側と、二重に鉄柵が設けられて、自動車の進入を拒んでいます。

福島県 立ち入り禁止 二重柵

 〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 大間は今でこそ「大間のマグロ」で名高い産地ですが、江戸時代中期頃までは漁業の後進地でした。
 そこで、安房(千葉県南部)の漁師を招いて、一から漁法を伝授してもらったそうです。
 

      今日の問題 
 東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による避難指示区域は、最大時で東西何km・南北何kmに及んだでしょう。
    

 
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『本州最北端 大間崎』 6月の開進学園だより

 本州北端に位置する下北半島には、冷夏がたびたび訪れ、冷害・飢饉をもたらしました。
 江戸時代中期の1783年には、八戸藩領内で人口の半数が餓死しています。

 それほど過酷な自然環境の下へ、薩長新政権に対して公然と異を唱えた旧会津松平藩が、斗南藩として「廃藩置藩」されて来ます。
 それから二年後、移住してきた17000余名は、10000余名へ急減しました。

 現代に到り、下北半島は他地域で敬遠される原子力関連施設が目白押しです。
  核燃料再処理工場
  ウラン濃縮工場
   ・・・
 原子力発電所も、三ヶ所建設中です。

 その中の一つが、本州最北端の大間崎に建設される、大間原子力発電所です。
 原子力発電所の危険性は、下北半島・青森県内は言うに及ばず、津軽海峡を挟んだ北海道へも及ぼうとしています。
 

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『週の始まり』      5月の開進学園だより

『関東大震災と千葉県』  4月の開進学園だより

『雨は空から宇宙から』 3月の開進学園だより

『一番低い山々』    2月の開進学園だより

『ノウサギAとクサガメB』1月の開進学園だより

『 地球一周と1日 』    12月の開進学園だより

『 熱よ 光よ 「水平社宣言」100周年 』
            11月の開進学園だより


『 本州最東端 トドヶ崎 』 10月の開進学園だより
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 「賽ノ河原」の「賽」とは、小石を積んで仏に捧げます。
 

      今日の問題 
 大間は今でこそ「大間のマグロ」で名高い産地ですが、江戸時代中期頃までは漁業の後進地でした。
 そこで、どの地域の漁師を招いて、一から漁法を伝授してもらったのでしょう。
    

 
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〈 平沼ノ内弁天岬 賽ノ河原 〉本州外周 その13

 2011年に発生した東北地方太平洋沖地震は、福島県内各地に多大な被害を及ばしました。
 その中の一つが、賽ノ河原です。

 賽ノ河原(いわき市)は、塩屋崎の北に位置する薄磯海岸にありました。
 そこへ巨大地震と巨大津波が押し寄せ、洞穴内へ入れなくなりました。

 そのため、遙かに塩屋崎灯台を見渡せる海崖上に、賽ノ河原は移転されました。
福島県 賽の河原 崖

 賽ノ河原は、亡くなった幼子の成仏を祈念する場です。
 平沼ノ内弁天岬の賽ノ河原には、夥しい数の石仏や地蔵様が林立しています。

福島県 賽の河原 仏像

 一画に建立された石碑には、『鎮魂慰霊之碑』とともに、次の言葉が彫られていました。

  賽ノ河原の幼子や
  永い眠りの水子たち
  之より先は御佛の
  慈母観音に抱かれて
  日夜楽しく群遊ぶ

福島県 賽の河原 碑

 〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4
 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 『小倉百人一首』で次の「 」に入る語句は、「天の原」と「三笠の山」です。
   「 」ふりさけ見れば春日なる
    「 」に出でし月かも
 

      今日の問題 
 「賽ノ河原」の「賽」とは、何を積んで仏に捧げるのでしょう。
    

 
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〈 塩屋崎 〉本州外周 その12

 三崎公園から北東方向へ約9km進むと、海抜40mを超える丘陵が太平洋に突き出ています。
 その先端が塩屋崎で、塩屋崎灯台が立っています。

 1938年、福島県東方地震(塩屋崎沖地震)が発生し、灯台を大破させました。

 2011年に発生した東北地方太平洋沖地震は、塩屋崎灯台そのものより、眼下の豊間地区に惨状を引き起こしました。
   全壊(流出) 44%
   全壊(撤去) 19%
   ・・・
   被害なし   8%
 最大8.5mもの巨大津波は、85名の生命も奪い去りました。

 それから10年余、豊間地区では着々と津波対策が進んでいます。
   海岸堤防のかさ上げ
   津波対策緑地の整備
   ・・・

 塩屋崎には、美空ひばりの碑が立っています。
 長きに渡った闘病生活からの復帰第一作が、『みだれ髪』でした。
   暗や 涯なや 塩屋の岬
   見えぬ心を 照らしておくれ
   ひとりぼっちに しないでおくれ 

福島県 塩屋崎

 〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 松尾芭蕉の次の俳句の「 」に入る語句は、「栗」です。
   世の人の 見付けぬ花や 軒の「 」
 

      今日の問題 
 1987年に発売された美空ひばりのシングル盤で、A面は『みだれ髪』でした。
 では、そのB面の曲は何でしょう。
 

 
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〈 小名浜港と三崎公園 〉本州外周 その11

 小名浜港は、江戸時代、東北地方の太平洋岸各地と江戸を繋ぐ、重要な中継港でした。
 それゆえ、江戸幕府の直轄地にされました。

 常磐炭田が開発されると、石炭の積み出し港として栄えます。
 やがて常磐炭田が閉ざされると、今度は石炭の輸入港として栄えます。
 付近の火力発電所で用いる石炭を、世界各地から輸入するためです。

 小名浜港の北側に、丘陵が張り出しています。
 標高40mほどの丘陵頂上部は、広大な三崎公園になっています。
 様々な施設がある中で、秀逸は「潮見台」です。

 階段を上る形式の展望台の先は、海岸から海上へ円筒橋が突き出ています。
福島県 三崎公園 潮見台

 恐る恐る円筒橋の中を進みます。
福島県 三崎公園 潮見台 突端

 円筒橋の終点は、眼下に海食崖を見下ろす、絶景スポットでした。
福島県 三崎公園 潮見台 眼下の崖

 〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 『小倉百人一首』で次の「 」に入るのは、「かさぎ」と「白き」です。
   「 」の渡せる橋に置く霜の
    「 」を見れば夜ぞ更けにける
 

      今日の問題 
 三崎公園から西北へ約13kmの地点にあり、建造物として福島県内で唯一国宝に指定されているのは、何でしょう。
 

 
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〈 勿来の関公園 〉本州外周 その10

 福島県に入ってすぐ、太平洋沿いに走る国道6号線を離れ、小高い山へ向かいます。
 目指すは、勿来の関公園です。

 ここで、疑問が湧いてきます。
 関所が、小高いとはいえ、山頂あるとは、妙です。
 関所なら、昔も人通りが多かったであろう、海岸沿いの街道にあるはずです。

 どうも「勿来の関」には、不明な点が多々あるようです。
 所在地も、所在自体も、・・・。

福島県 勿来の関 道

 山道に沿って、歌碑がいくつも立っています。

 その山道を過ぎると、大きな門が構えています。
 門があるだけで、由緒正しき関所に佇んでいる気になります。

福島県 勿来の関 門

 〈 茨城県海岸線の北端・福島県海岸線の南端 鵜ノ子岬 〉本州外周 その9

 〈 平潟漁港とアンコウ 〉本州外周 その8

 〈 五浦海岸と六角堂 〉本州外周 その7

 〈 野口雨情の生家 〉本州外周 その6

 〈 茨城県第二位の低山・天妃山 〉本州外周 その5

 〈 大洗海岸 〉本州外周 その4

 〈 鹿島灘と鹿島台地 〉本州外周 その3

 〈 鹿島灘と鹿島港 〉本州外周 その2

 〈 茨城県の最東端 〉本州外周 その1
 
 
 
 
 
      前回の問題 解答
 エジプトの女王・ハトシェプストが送った船団が持ち帰った品々の名前を刻んだ碑文にあるスパイスは、シナモンです。
 

      今日の問題 
 「奥州三関」とは、どこでしょう。

 
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