カテゴリー別アーカイブ: 開進学園

〈 発明物語 〉表現学習の作品から

 発明王とも呼ばれるエジソンは、生涯で1300件もの発明を成し遂げたそうです。
 それらの中で最たるものは、電球でしょう。
 電球は、暗闇をなくし、夜を明るくしてくれました。
 その反面、夜通しの勤務など、過労を強いられる事態も招きました。
 人の幸福を願ったはずの発明にもかかわらず、思い通りに行くとは限らないようです。
 今回の表現学習のテーマは、「発明物語」です。

 Aさんは、「テストで100点取れるシャーペン」を考えました。
 ただし、中学生向けのシャーペンだったようです。

 Bさんは、「友達を増やせるマイク」を考えました。
 口数が少なく友達ができない風太君のためのマイクでしたが。

2025 10 hatsumei

〈 「いただきます」と「ごちそうさま」 〉
   表現学習の作品から

〈 花粉症・自立 〉
   表現学習の作品から

〈 自分の部屋・家族の部屋 〉
   表現学習の作品から

〈 科学月刊誌『ニュートン』を参考に 〉
   表現学習の作品から

〈 日本の人口を考える 〉
   表現学習の作品から

〈 関心のあるテーマを選んで 〉
   表現学習の作品から

 

     前回の問題 解答
 瀬戸内海国立公園で最西端に当たるのは、火の山です。
                     

 
 
     今日の問題  
 次の言葉を残して発明に没頭したのは、誰でしょう。
 「みんな寝過ぎだ。わたしは、死んだ後にたっぷり眠るつもりだ。」

    

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『 サハラ・サバク 』 10月の開進学園だより

 サハラ・サバクを訪れると、それまでの「自動車は通れず、ラクダに頼るしかないのが砂漠」という思い込みとは、明らかに違っていました。
 四輪駆動車(4WD)に乗り換えなくとも、自由気ままに走行できる、地盤が堅い平原が続いていたからです。
 ラクダに跨って進む砂地や砂丘もありましたが、ごく一部でした。

 「砂漠」という表記は、「砂漠=砂サバク=砂地形」を連想しがちです。
 そこで、「沙漠」という表記が出てきました。
 童謡『月の沙漠』も、日本沙漠学会も、「砂漠」ではなく「沙漠」を採用しています。
 ただし、「砂」も「沙」も「漠」も、意味の上では「すな」で繋がっています。

 サバクは、乾燥の度合いが著しい気候を表しており、砂とは関係ありません。
 年間降水量が、年平均気温から算出された乾燥限界の半分を下回れば、サバク気候と判定されます。

 サハラ・サバクにあるホテルは、室内のベットで休むか、屋外のテントで休むか、選択制になっています。
 屋外のテントを選択すると、風よけがあるだけで、屋根はありません。
 大地に直に置かれたマットに横たわると、眼の先には空を覆い尽くすほどの星々が煌めき、その間を流れ星が幾つも降り注いでいました。

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『7月26日から9月7日までの間に 』
    9月の開進学園だより

『 余部鉄橋から新余部橋梁へ 』 8月の開進学園だより

『 大の里・照ノ富士・澤勇 』 7月の開進学園だより

『 阿蘇海・天橋立・与謝海 』 6月の開進学園だより

『 つれづれなるままに 』 5月の開進学園だより

『 東京湾・伊勢湾・若狭湾 』 4月の開進学園だより

『 磁極の南北逆転 』 3月の開進学園だより

『 能登はやさしや土までも 』 2月の開進学園だより

『 四肢を超えたヘビ 』 1月の開進学園だより

 

     前回の問題 解答
 関門橋が開通した1973年前後、日本も世界も石油ショックに大騒ぎでした。
                     

 
 
     今日の問題  
 一年ごとに拡大するサバクの面積は、地球全体で何㎢でしょう。
   A 約6㎢
   B 約60㎢ 
   C 約600㎢ 
   D 約6000㎢
   E 約60000㎢
   F 約600000㎢

    

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千利休と豊臣秀吉 その15

 千利休には、高弟が七人おり、「利休七哲」と呼ばれています。
 『江岑夏書(利休の孫に当たる千宗旦 著)』によれば、次の七人です。
  一番 蒲生氏郷
  二番 高山右近
  三番 細川忠興
  四番 芝山監物
  五番 瀬田掃部
  六番 牧村大輔
  七番 古田織部

 いずれも、名だたる武将です。
 上記七人以外の武将の多くからも深く慕われて利休であれば、利休自身は武将でなくとも、利休を師と仰ぐ一大勢力が築かれる可能性もあります。

 豊臣秀吉は、利休の存在が疎ましくなり、利休と師弟の関係で結ばれている武将達を注意深く見張っていたでしょう。
 徳川家康一人を客人に迎えた茶会を最後に、利休は謹慎処分となります。

 秀吉に対して正面から進言してきた弟の豊臣秀長が病死した後、煙たい存在として唯一残る利休は、秀吉によって消される運命にありました。
 ただただわび茶を追究するだけに過ぎないとしても、政治的な情勢は、利休の存命を許しませんでした。

  茶の湯とはただ湯をわかし茶を点てて
   飲むばかりなり本を知るべし 利休 < 完 >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 

     前回の問題 解答
 戒壇院が創建された1260年前ごろは、奈良時代でした。
                    

 
 
     今日の問題  
 利休が自害した直後、秀吉は、何国と何国へ入貢を要求し、何国への侵略を命じたでしょう。

    

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千利休と豊臣秀吉 その14

 千利休が切腹させられた理由を、公にされている理由以外に探れば、もう一点考えられます。

 政治の面に関して、領土の拡大をあくなく目指す豊臣秀吉と、戦乱が続く時代を一刻も早く終わらせたい千利休との違いがあります。

 奥州平定をもって天下統一が達成されたにも関わらず、秀吉の野望は、止まる所を知りません。
 朝鮮半島から、中国へ、フィリピンへ、インドへと、広がるばかりです。
 日本国内の最高権力者だけでなく、三国(日本・中国・インド)における最高権力者へ、昇り詰めようとします。

 豊臣政権内部では、朝鮮侵略推進派(加藤清正や福島政則など)と内政重視派(蒲生氏郷や徳川家康など)との、軋みが増していきます。
 武将ではない利休を追い落とすことで内政重視派を牽制しようと、朝鮮侵略推進派が秀吉に焚きつけたのかもしれません。 < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 

     前回の問題 解答
 下関五大ブランドの一つに、「特牛イカ」があります。
 この「特牛」は、「とっこい」です。
                  

 
 
     今日の問題  
 利休の七人の高弟のうち、筆頭と目されていたのは、誰でしょう。

    

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千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休が切腹させられた理由を、公にされている理由以外に探れば、次の二点が考えられます。

 第一に茶の湯に関して言えば、派手好みを増すばかりの秀吉と、わびの境地を深める利休との間の溝が広がり、秀吉としては利休を師と仰ぎきれなくなったのではないでしょうか。

 秀吉は唐物や高麗物の茶器を求め、利休は和物の茶器を求めます。
 秀吉は黄金製の絢爛豪華な茶道具を求め、利休は身近にある素材を用いた簡素清貧な茶道具を求めます。
 秀吉は赤色を好み、利休は黒色を好みます。

 権力を一手に握る、天下人たる秀吉の意向を汲もうともせず。ことごとく自己を貫こうとする人物は、利休以外他にいないでしょう。 < つづく >
茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 

     前回の問題 解答
 日本で最初に築造された国家レベルの軍事施設は、「水城」です。
                 

 
 
     今日の問題  
 安土桃山時代、「三国」とはどの国を指していたでしょう。

    

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〈 瞳 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』( 二瓶カヨ子 作 千葉日報社 )から、〈 瞳 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 酒宴なるこの座席にて君の面の  
  あかきが中に瞳輝く  

 相眞見し君が瞳に感じたる 
  吾が心なり世のあはれして 

 瞳合う度にきらめく輝きを 
  見のがせじとぞ生命の深き 

shikishi harimado (2)

〈 風 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 嫁ぐ 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 心 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


〈 吾 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 生きる 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 息吹 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


〈 燃える 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 人の世 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 寒さ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 

     前回の問題 解答
 日本の長距離フェリーで航路距離第一位は、苫小牧港と名古屋港を結んでいます。
                

 
 
     今日の問題  
 「瞳」の名付けには、「ひとみ」以外に何があるでしょう。

    

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「習志野市」と「船橋市」に跨る津田沼駅

 津田沼駅のホームには、視覚障害者誘導用ブロックと同じ黄色ながら幅は狭く45度交差した破線が、引かれています。
 黄色い破線の左側には「習志野市」と、黄色い破線の右側には「船橋市」と、表示されています。
 黄色い破線は、「習志野市」と「船橋市」の境界線です。

 1889年、五つの地区が合併し、そのうち谷津村から[津]を、久々田村から「田」を、鷺沼村から[沼]を、一字ずつ採って「津田沼村」が発足します。

 1894年、市川~佐倉間に、総武鉄道が開通します。
 日清戦争が始まった年です。
 翌年の1895年に、津田沼駅が開業します。

 津田沼駅の近くには、陸軍の演習場や鉄道連隊の施設などが並び、「軍都」ないし「軍郷」とも呼ばれるようになります。

 戦後になると、演習場は住宅地に、軍の施設は大学のキャンパスなどになり、駅前は一大商業地へと変貌をとげます。

 1954年、村制から町制へ移行していた「津田沼町」は、千葉市の西部地区を編入して「習志野市」となります。

 津田沼駅は、ホームも、駅周辺商業地も、「習志野市」と「船橋市」に二分されながら、境界を感じさせません。
 開業日は9月21日、今年で130周年を迎えました。

津田沼駅 市の境

〈 西鉄大牟田駅 〉築紫紀行その2

〈 オーストラリア最古の駅 〉メルボルン紀行 その4

 

     前回の問題 解答
 「関彦橋」は、「かんげんきょう」です。
               

 
 
     今日の問題  
 大船駅は、何市と何市に跨っているでしょう。

    

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