始功 その10 健康気功教室

 【始功 その9 「手の平を前向きにして手指の開閉」と「手の平を上向きにして手指の開閉」】の続きです。
 始功の調べに合わせ、呼吸を重ねながら、体を動かします。

 始功第十三は、「手の平を向かい合わせにして手指の開閉」です。
閉脚長座の姿勢になります。
上体と両足は、畳面に垂直です。
上体と両脚は、不動です。
両腕を、両脚と平行に伸ばします。
両方の手の平を、向かい合わせにします。
手指と手指の間を、開き始めます。
息を吐きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、開き続けます。
開ききったら、指の間を閉じます。
短く息を吸いながら、迅速に行います。
合わせて六回です。

 始功第十四は、「手の平を下向きにして手指の開閉」です。
閉脚長座の姿勢になります。
上体と両足は、畳面に垂直です。
上体と両脚は、不動です。
両腕を、両脚と平行に伸ばします。
両方の手の平を、下向きにします。
両手の第一指と第一指を、重ねます。
手指と手指の間を、開き始めます。
息を吐きながら、ゆっくりと、ゆっくりと、開き続けます。
開ききったら、手指と手指の間を閉じます。
短く息を吸いながら、迅速に行います。
合わせて六回です。      < つづく >

     < 健康気功教室 >
 と き 毎週木曜日
     10時30分~12時
 ところ 開進学園 二階の広間
  電 話 043-273-6613
 メール kokyu@kaishin.jp.net

  始功 その9

  始功 その8 

  始功 その7 

  始功 その6 

  始功 その5 

  始功 その4

  始功 その3

  始功 その2

  始功 その1

  気と呼吸 その5 

  気と呼吸 その4 

  気と呼吸 その3 

  気と呼吸 その2 

  気と呼吸 その1 

  気になる体型 その13 

  畳む文化 坐る文化 その17 

kenkou kikou kyoushitsu

気功 広間

〈 九州最北端 太刀浦埠頭 〉門司紀行その6

 新門司港を後にして、10分ほど北上します。

 和布刈公園がある山並みを左手に見ながら太刀浦(たちのうら)トンネルを抜けると、埋め立て地が二ヶ所、関門海峡へ突き出ています。
 そのうちの西側が、太刀浦第一コンテナターミナルです。
 東側が、太刀浦第二コンテナターミナルです。
 太刀浦第一コンテナターミナルと太刀浦第二コンテナターミナルと一般船用岩壁を合わせて、太刀浦埠頭と呼ばれています。
 年間で約5000隻もの船舶が入港する、九州で有数な港湾です。

 地図上で見ると、太刀浦第一コンテナターミナルの先端は、九州最北端に当たります。

 九州最東端 鶴御崎(大分県 佐伯市)
 九州最西端 神崎鼻(長崎県 佐世保市)
 九州最南端 佐多岬(鹿児島県 南大隅町)

 九州の他の三端は自然地形なのに対して、最北端だけが人工地形です。
 しかも、私有地なので、出入りできません。
 フェンスの外から、九州の最北端を見つめるばかりです。

 太刀浦埠頭 車両

太刀浦埠頭 コンテナ

 〈 新門司港 〉門司紀行その5

〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

 

     前回の問題 解答
  安土桃山時代、「三国」とは「日本・中国・インド」を指していました。
                 

 
 
     今日の問題  
 「和布刈」は、何と読むでしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー

千利休と豊臣秀吉 その13

 千利休が切腹させられた理由を、公にされている理由以外に探れば、次の二点が考えられます。

 第一に茶の湯に関して言えば、派手好みを増すばかりの秀吉と、わびの境地を深める利休との間の溝が広がり、秀吉としては利休を師と仰ぎきれなくなったのではないでしょうか。

 秀吉は唐物や高麗物の茶器を求め、利休は和物の茶器を求めます。
 秀吉は黄金製の絢爛豪華な茶道具を求め、利休は身近にある素材を用いた簡素清貧な茶道具を求めます。
 秀吉は赤色を好み、利休は黒色を好みます。

 権力を一手に握る、天下人たる秀吉の意向を汲もうともせず。ことごとく自己を貫こうとする人物は、利休以外他にいないでしょう。 < つづく >
茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その12

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 

     前回の問題 解答
 日本で最初に築造された国家レベルの軍事施設は、「水城」です。
                 

 
 
     今日の問題  
 安土桃山時代、「三国」とはどの国を指していたでしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー

〈 博多湾 ー 水城 ー 大宰府 〉築紫紀行その15

 7世紀後半、唐・新羅連合軍と日本・百済連合軍が、朝鮮半島南部の覇権を巡って争いました。
 663年の白村江の戦いで日本・百済連合軍は敗れたため、唐・新羅連合軍が日本へ侵攻するのではないかと危惧されました。

 そこで、博多湾岸にあった役所を大宰府に移設します。
 664年には、大宰府の博多湾側で福岡平野が狭まる地点に、東西の山地を結びつけるように土塁を築きました。

 土塁は、長さ約1.2km、幅約80m、高さ約10mもあります。
 土塁の博多湾側には外濠を、大宰府側には内濠を設け、水を湛えます。
 それゆえ、水城(みずき)と称されています。

水城 俯瞰図

 唐・新羅連合軍は日本へ侵攻せず、水城は、軍事的な役割を失い、大宰府の門の役割を果たしていきます。
 平安時代になると、大宰府の機能が博多へ移行したため、水城は維持されなくなります。

 現代に残る水城跡地は、花々に包まれて、戦乱の最前線であったころを感じさせません。
水城 石碑 花畑

〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

〈 柳川城址と藩主別邸 〉築紫紀行その7

〈 柳川・北原白秋生家 〉築紫紀行その6

〈 柳川・堀割巡り(川下り) 〉築紫紀行その5

 

     前回の問題 解答
  「瞳」の名付けには、「ひとみ」以外に「あきら」があります。
                

 
 
     今日の問題  
 日本で最初に築造された国家レベルの軍事施設は、何でしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー

〈 瞳 〉 開進学園叢書・歌集『香る代に』から

  開進学園叢書・歌集『香る代に』( 二瓶カヨ子 作 千葉日報社 )から、〈 瞳 〉に因んだ短歌を三首紹介します。

 酒宴なるこの座席にて君の面の  
  あかきが中に瞳輝く  

 相眞見し君が瞳に感じたる 
  吾が心なり世のあはれして 

 瞳合う度にきらめく輝きを 
  見のがせじとぞ生命の深き 

shikishi harimado (2)

〈 風 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 嫁ぐ 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 心 〉
   開進学園叢書・歌集『香る代に』から


〈 吾 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 生きる 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 息吹 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から


〈 燃える 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 人の世 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

〈 寒さ 〉
  開進学園叢書・歌集『香る代に』から

 

     前回の問題 解答
 日本の長距離フェリーで航路距離第一位は、苫小牧港と名古屋港を結んでいます。
                

 
 
     今日の問題  
 「瞳」の名付けには、「ひとみ」以外に何があるでしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー

〈 新門司港 〉門司紀行その5

 【フェリーびざん】は、夕闇に包まれる中を北進し、豊後水道を、豊予海峡を、抜けて行きます。
 周防灘へ入ると、進路を西方へ変えます。

 5時35分、新門司港(北九州市の瀬戸内海側)に着岸します。
 前々日の19時00分に東京港を出発して以来、34時間35分に渡る船旅でした。

 新門司港は、九州で最大のフェリーターミナルです。
 長距離フェリーは、四路線が周航しています。
  ① 新門司港~東京港
  ② 新門司港~横須賀港
  ③ 新門司港~大阪港
  ④ 新門司港~神戸港
 新門司港と東京港を結ぶ長距離フェリーの航路距離は1151km、日本の長距離フェリーで第二位です。

 新門司港の岸壁の東方から、朝陽が昇ってきました。
 朝陽に照らされたからではないでしょうが、岸壁に立つ係留柱(ビット)は真っ赤でした。 

 新門司港

〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 どろぼう橋 〉川越紀行その8

 

     前回の問題 解答
 大船駅は、鎌倉市と横浜市に跨っています。
                

 
 
     今日の問題  
 日本の長距離フェリーで航路距離第一位は、苫小牧港と何港を結んでいるでしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー

 

「習志野市」と「船橋市」に跨る津田沼駅

 津田沼駅のホームには、視覚障害者誘導用ブロックと同じ黄色ながら幅は狭く45度交差した破線が、引かれています。
 黄色い破線の左側には「習志野市」と、黄色い破線の右側には「船橋市」と、表示されています。
 黄色い破線は、「習志野市」と「船橋市」の境界線です。

 1889年、五つの地区が合併し、そのうち谷津村から[津]を、久々田村から「田」を、鷺沼村から[沼]を、一字ずつ採って「津田沼村」が発足します。

 1894年、市川~佐倉間に、総武鉄道が開通します。
 日清戦争が始まった年です。
 翌年の1895年に、津田沼駅が開業します。

 津田沼駅の近くには、陸軍の演習場や鉄道連隊の施設などが並び、「軍都」ないし「軍郷」とも呼ばれるようになります。

 戦後になると、演習場は住宅地に、軍の施設は大学のキャンパスなどになり、駅前は一大商業地へと変貌をとげます。

 1954年、村制から町制へ移行していた「津田沼町」は、千葉市の西部地区を編入して「習志野市」となります。

 津田沼駅は、ホームも、駅周辺商業地も、「習志野市」と「船橋市」に二分されながら、境界を感じさせません。
 開業日は9月21日、今年で130周年を迎えました。

津田沼駅 市の境

〈 西鉄大牟田駅 〉築紫紀行その2

〈 オーストラリア最古の駅 〉メルボルン紀行 その4

 

     前回の問題 解答
 「関彦橋」は、「かんげんきょう」です。
               

 
 
     今日の問題  
 大船駅は、何市と何市に跨っているでしょう。

    

    夢を実現する学習塾  開 進 学 園
      ー ホームページ ー