〈 関彦橋 〉本州の海岸線一周 その106

 下関駅から歩いて、下関市街地の最南端を目指しました。
 山口県道250号線は、大通りで一直線です。
 迷うはずがないにもかかわらず、なかなか着きません。
 「数十m」と勘違いしていて、実際は2km近くあったからです。

 関門海峡には、面積約11㎢もある彦島が、横たわっています。
 それゆえ関門海峡は、彦島の北側と下関市街地に挟まれた水域と、彦島の南側と北九州市街地に挟まれた水域に、分かれています。
 彦島の北側と下関市街地に挟まれた狭い水域は「小瀬戸」と呼ばれ、彦島の南側と北九州市街地に挟まれた広い水域は「大瀬戸」と呼ばれています。

 下関市街地の最南端の先は、彦島です。
 両地を隔てているのは、「小瀬戸」です。
 下関市街地の最南端と彦島を繋いでいるのは、全長234mの関彦橋です。

 関彦橋の橋のたもとでしばし佇みながら、本州の端の一つへ至った感慨に耽ります。
 帰途は、バスに身を委ねることにして。

山口県 関彦橋

〈 世界一小さい下関漁港閘門 〉
     本州の海岸線一周 その105

〈 本州最西端・毘沙ノ鼻 〉
     本州の海岸線一周 その104


〈 角島大橋 〉
     本州の海岸線一周 その103

〈 本州最西北端・川尻岬 〉
     本州の海岸線一周 その102

〈 本州最西北部・向津具半島 〉
     本州の海岸線一周 その101

〈 三角州に造られた城下町・萩 〉
     本州の海岸線一周 その100

〈 日本一低い火山・笠山 〉
     本州の海岸線一周 その99

〈 阿武海岸・合併を避けた阿武町 〉
     本州の海岸線一周 その98

〈 益田海岸・三里ヶ浜 〉
     本州の海岸線一周 その97

〈 浜田マリン大橋 〉
     本州の海岸線一周 その96

 

     前回の問題 解答
 「ごちそうさま」は、漢字で「御馳走様」です。
               

 
 
     今日の問題  
 「関彦橋」は、何と読むでしょう。

    

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〈 「いただきます」と「ごちそうさま」 〉表現学習の作品から

 日本では古くから、「米の一粒一粒には、それぞれに七柱の神様が宿る」と、言い伝えられてきました。
  水・土・陽光・雲・風・虫・農人
 ご飯をいただくとは、食事を摂るにとどまらない、極めて奥深い所作も含まれています。

 今回の表現学習は、食事の際に発する「いただきます」と「ごちそうさま」について、考えをまとめてもらいました。

 Aさんは、お米や野菜・・・の食材を作って下さった方々への感謝を伝える礼儀として、 「いただきます」を欠かしてはいけないと、述べています。

 Bさんは、「いただきます」と言う言わないよりも、食べ物へ感謝する気持ちが大事であると、述べています。

 Cさんは、「いただきます」には、大自然への感謝と、食に携わる方々への感謝が、込められていると述べています。

 Dさんは、「いただきます」と「ごちそうさま」は、神々や食材になった物や調理された人々へ感謝を表す日本文化であると、述べています。

2025 09 itadakimasu

〈 花粉症・自立 〉
   表現学習の作品から

〈 自分の部屋・家族の部屋 〉
   表現学習の作品から

〈 科学月刊誌『ニュートン』を参考に 〉
   表現学習の作品から

〈 日本の人口を考える 〉
   表現学習の作品から

〈 関心のあるテーマを選んで 〉
   表現学習の作品から


〈 科学月刊誌『ニュートン』を参考に 〉
   表現学習の作品から

 

     前回の問題 解答
 四国の最西端は、佐田岬です。
               

 
 
     今日の問題  
 「ごちそうさま」は、漢字でどう書くでしょう。

    

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〈 海上大浴場 〉門司紀行その4

 14時20分に徳島港を発った【フェリーびざん】は、四国最東端の蒲生田岬沖から、南西へ向きを変えます。
 その後、四国南東端の室戸岬沖を通過し、四国最南端の足摺岬沖へと向かいます。

 この間、甲板に出て、潮風に吹かれながら洋上の大パノラマを見るのは、最高です。
 ただし甲板は、船首の先が見られない構造になっています。
 前方に広がる大海原を堪能するなら、フォワードロビーがお勧めです。

 その他様々な設備が整っている中で秀逸なのは、海上大浴場です。
 シャワー部屋を併設した浴室には、大浴槽が二据え設置されています。
 壁側は、大きな窓になっています。

 大浴槽に身を委ねていると、まるで海上にいるかのようです。
 船中にいることを忘れてしまいそうです。
 しかも24時間、いつでも利用できます。

 足摺岬沖を過ぎると、進路は北西に変わります。
 行く手の豊後水道に、陽が沈んでいきます。

 日の入り

〈 寄港地・徳島 〉門司紀行その3 

〈 東京港から潮岬沖へ 〉門司紀行その2

〈 東京/有明港フェリーターミナル 〉門司紀行その1

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 角島大橋 〉本州の海岸線一周 その103

〈 どろぼう橋 〉川越紀行その8

 

     前回の問題 解答
『日本への降伏要求の最終宣言』は、発表した三ヵ国に関連して、『米英支宣言』とも呼ばれています。
               

 
 
     今日の問題  
 四国の最西端は、何岬でしょう。

    

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『7月26日から9月7日までの間に 』 9月の開進学園だより

 1945年7月26日に、『日本への降伏要求の最終宣言』、会談場所に因んだ通称『ポツダム宣言』が、発表されました。
 この宣言を主導したアメリカは、日本へ降伏させる期日を、7月26日から「遅く」はさせず、さりとて「早く」はさせません。

 アメリカは、1945年11月1日から九州南部上陸作戦を、1946年3月1日から九十九里浜と湘南海岸上陸作戦を、計画していました。
 沖縄での地上戦を遥かに上回る惨状を引き起こすことは必至の上陸作戦まで、降伏を遅らせたくなかったでしょう。

 アメリカは、1945年4月に行われたヤルタ会談では、ソ連の対日戦への参加を、強く期待していました。
 その後、米ソ対立・東西対立が激化し、ソ連が対日戦へ参加するより前に日本を降伏させて、戦後日本の単独占領を狙います。

 もし「天皇家と天皇制の維持」を確約すれば日本がすぐにでも降伏すると、アメリカも承知していました。
 しかし、そうはしませんでした。
 日本に即刻降伏されたら、ある巨大実験を実施する千載一遇の機会を逸してしまうからです。

 日本中の都市という都市に空襲を受ける中で、中国地方の中枢都市は、ほとんど無傷を保ちました。
 来るべき巨大実験において、無傷の都市がどれほど変貌を遂げるかを、検証するためでした。

 1945年8月6日、広島へ原子爆弾が投下されます。
 1945年8月9日、ソ連が対日戦に参戦します。
 1945年8月9日、長崎へ原子爆弾が投下されます。

 その後も沖縄では、生き地獄のような地上戦が続きます。
 沖縄戦が公式に終結したのは、1945年9月7日です。

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『 余部鉄橋から新余部橋梁へ 』 8月の開進学園だより

『 大の里・照ノ富士・澤勇 』 7月の開進学園だより

『 阿蘇海・天橋立・与謝海 』 6月の開進学園だより

『 つれづれなるままに 』 5月の開進学園だより

『 東京湾・伊勢湾・若狭湾 』 4月の開進学園だより

『 磁極の南北逆転 』 3月の開進学園だより

『 能登はやさしや土までも 』 2月の開進学園だより

『 四肢を超えたヘビ 』 1月の開進学園だより

『 しなざかる 』 12月の開進学園だより

 

     前回の問題 解答
 四王寺山に大野城が築かれたのは、白村江の戦いが起きた663年の2年後です。
               

 
 
     今日の問題  
 『日本への降伏要求の最終宣言』は、発表した三ヵ国に関連して、『何宣言』と呼ばれているでしょう。

    

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〈 四王寺山と大野城跡 〉築紫紀行その14

 大宰府政庁跡の北側に、 四王寺山があります。
 岩屋山・大城山・大原山・水瓶山の四山で構成される山々で、標高は410mです。
 山域の合計は約120haあり、その全域が山城でした。

四王子山 全景

 663年、唐・新羅連合軍と日本・百済連合軍が朝鮮半島南部の覇権を争いました。
 この白村江の戦いで日本・百済連合軍は敗れ、唐・新羅連合軍が日本へ侵攻するのではないかと危惧されました。
 そこで四王寺山に築かれたのが、大野城です。
 山腹には、当時の土塁や石塁が残っています。

四王子山 尾根

 山頂には大きな礎石も多数点在しています。
 幸い唐・新羅連合軍は日本へ侵攻せず、大宰府政庁の人々が大野城へ上って籠城するには至りませんでした。
 
 平安時代になると山域に四天王寺が建立され、以後は信仰の山として崇められるようになります。

四王子山 山頂

〈 九州国立博物館と埴輪 〉築紫紀行その13

〈 大宰府政庁の跡 〉築紫紀行その12

〈 曲水の庭 〉築紫紀行その11

〈 愛のトンネル 〉築紫紀行その10 

〈 菅原道真のウメ伝説とウシ伝説 〉築紫紀行その9

〈 柳川 水辺の道 〉築紫紀行その8

〈 柳川城址と藩主別邸 〉築紫紀行その7

〈 柳川・北原白秋生家 〉築紫紀行その6

〈 柳川・堀割巡り(川下り) 〉築紫紀行その5

〈 元祖・大牟田ラーメン 〉築紫紀行その4

 

     前回の問題 解答
 秀吉は、利休を「服わぬ人物」と見なしたかもしれません。
 「服わぬ」とは、「まつろわぬ」です。
               

 
 
     今日の問題  
 四王寺山に大野城が築かれたのは、白村江の戦いが起きた663年の何年後でしょう。

    

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千利休と豊臣秀吉 その12

 豊臣秀吉は、なにゆえに千利休へ切腹を命じたのでしょう。

 公にされている理由その一は、「大徳寺の山門の上部へ、利休の像を立てた」ことです。
 雪駄を履いている利休像の真下を秀吉に潜らせるとは何事ぞ、というものです。
 由緒ある大徳寺の山門へ、生前に自らの像を立てるなど、天下人にも許されるものではません。
 たとえ大徳寺側の意向で立てたとしても。

 公にされている理由その二は、「利休が、茶器の目利きをしながら、不当な報酬を得ている」ことです。
 利休の鑑定によって茶器の価値が左右されれば、秀吉がそれまでに収集してきた茶器の価値が、揺るがされるかもしれません。
 大事に至る前に、疑惑の基を裁つ必要があると考えたのでしょうか。
           < つづく >

茶室 松花堂

 千利休と豊臣秀吉 その11

 千利休と豊臣秀吉 その10

 千利休と豊臣秀吉 その9

 千利休と豊臣秀吉 その8

 千利休と豊臣秀吉 その7

 千利休と豊臣秀吉 その6

 千利休と豊臣秀吉 その5

 千利休と豊臣秀吉 その4

 千利休と豊臣秀吉 その3

 千利休と豊臣秀吉 その2

 千利休と豊臣秀吉 その1

 皐月の歴史・水無月の歴史 その七

 いつから「日本」に その八

 

     前回の問題 解答
 下記の『続堕落論』の作者は、坂口安吾です。
 天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
               

 
 
     今日の問題  
 秀吉は、利休を「服わぬ人物」と見なしたかもしれません。
 「服わぬ」は、何と読むでしょう。

    

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〈 それぞれの憲法観 / 基本的人権と天皇・皇族 〉9月のわくわく学習会

 7月のわくわく学習会のテーマは、「基本的人権と天皇・皇族」でした。

 教科書や小六法など、多くの人々の目に触れる『日本国憲法』は、「前文」に続いて「第一条」「第二条」・・・となっているため、『日本国憲法』は「前文」から始まると、勘違い「しがちです。
 その「前文」に「ここに主権が国民に存することを宣言し、・・・」と書かれているので、「国民主権」と思い込んでしまいます。
 ただし、『日本国憲法』は、「前文」の前に、「上諭」から始まります。

 朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
  御名御璽

 『日本国憲法』は、天皇が裁可(臣下から奏上された案件について許すこと)したものです。
 『日本国憲法』は、天皇が公布(成立した法令を国民に知らせること)したものです。
 「国民主権」 「基本的人権の尊重」 「戦争の放棄」などについて述べるより前の段階で、『大日本帝国憲法』から引き続く天皇制が謳われています。

   < 9月のわくわく学習会 >
と き 9月20日(土) 
    14時00分~15時00分 
ところ 開進学園 
テーマ それぞれの憲法観
参加費 100円
連絡先 電話 043-273-6613(16時から)
メール wakuwaku@kaishin.jp.net

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 < わくわく学習会 最近のテーマ >
七月  基本的人権と天皇・皇族  
六月  武器のない世界   
五月  糖化と水分摂取   
四月  豆料理の効能   
三月  ストレスとの向き合い方  
二月  為替の仕組み   
一月  睡眠と夢   

十二月 神道と仏教
十一月 古墳と埴輪
十月  ミツバチとハチミツ
九月  有機フッ素化合物(ピーファス・PFAS)
七月  世界の鉄道事情    
六月  オリエント急行    
五月  シベリア鉄道     
四月  鉄道の旅 ー日本ー     
三月  こどもと遊び     
二月  隠れキリシタン    
一月  変わる人格 変わらない人格   

十二月 様々な依存症  
十一月 天気予報の仕組み その2  
十月  天気予報の仕組み その1  
九月  天気図の見方  
七月  三角比と日常生活  
六月  平方根と日常生活  
五月  アジアの香辛料  
四月  タイと王政  
三月  サウジアラビアと王政  
二月  スカンディナヴィア半島とヨーロッパ 
一月  バルカン半島とヨーロッパ   

十二月 イタリア半島とヨーロッパ   
十一月 イベリア半島とヨーロッパ   
十月  グレートブリテン島とヨーロッパ  
九月  ロシアの建国 
七月  ロシア帝国 
六月  森の中での自給自足 
五月 『共同幻想論』と国家の探究  第四回 
四月 『共同幻想論』と国家の探究  第三回 
三月 『共同幻想論』と国家の探究  第二回 
二月 『共同幻想論』と国家の探究  第一回 
一月 『資本論』と現代社会 第四回 

 

     前回の問題 解答
 「沼島」は、「ぬしま」と呼びます。
               

 
 
     今日の問題  
 下記の『続堕落論』の作者は、誰でしょう。
 天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。

    

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